議員歳費に関しても自民党並みになったのかな。
比例選出議員は資金集めもままならないから歳費の一割削減提案に異論を唱えるとは、どのような「生活が第一」なのだろうか。彼らは議員活動にカネがかかって資金集めもままならないから大変だというのなら、次の選挙には出ないことだ。あなた方の代わりに国民の平均的な歳費でも議員になりたい篤志家はいくらでもいる。比例候補の大部分は特定の団体による選出議員で選挙戦らしい選挙戦はやっていない人が大半だ。
すでに比例選出議員を大幅に削減しようとする意見もある。つまり、民主主義にとって特定の団体の利益のために働く議員が本当に必要なのか、という問題もある。個々が自立した個人ならば投票行動の縛りに「団体」は働かないはずだ。
年間2800万円もの歳費が多いか少ないかは議論のあるところだとしても、本質を考えるなら多いに違いない。ただ地元に私設秘書を十人も抱えているから資金が絶えず不足している、という声をよく耳にする。
しかし本当に私設秘書が地元に十人も必要なのだろうか。議員活動を逸脱して冠婚葬祭にすべて付き合い、ちょっとした会合にも小まめに付き合わなければならないからだというのなら、今後は国政報告会を年に何回か行うだけにする、とすれば良いのではないだろうか。
そもそも年中走り回っていて、一体いつ勉強をするのか不思議に思う。国民も勉強不足でも手足となって働く人を国会議員に望むのか、手足となるのは地方議員で国会議員は国全体を俯瞰するような大局観を養うべきとするのか、よくよく考えなければならないだろう。
国会議員を眺めて痛感するのは人物が小粒になったということだ。ことに小泉以降ポピュリズム政治が展開されるようになって、首相の器というにはあまりに幼い、拙い人物のオンパレードだったことだろうか。菅氏に到っては何もない「空き缶」だったことが露呈するにつれて民主党への期待も萎んでしまった。いまはただ仙石氏や前原氏が対外的にとんでもないことをしでかさないように祈るばかりだ。
一割程度の歳費削減もできない、あるいは手こずるようでは民主党国会議員の資質もその程度かと底の浅さに慨嘆するしかない。魁より始めよというではないか、国家公務員給与の二割削減のマニフェストを国民は忘れてはいないぞ。それを実現するのに自分たちが二割どころか一割すらも削減できないようでは、民主党政権に何を期待せよというのだろうか。