政治を面白い読み物にすべきではない。
日本は国家的な難題に面し、強力な政治力が求められる時代に、最も政治的に弱体した内閣を作ってしまった。民主党の反小沢派と称する議員たちの幼稚性は犯罪的ですらある。
菅氏の次が誰か、と反小沢派の中で人選する限り野党と連立を組むほどの人物は見当たらない。それこそ体の良い政権盥回しに過ぎず、彼らが菅氏支持を訴えた本旨に悖ることでもある。
民主党は何のために存在するのか、という根本命題に立ち返らなければならない。国家と国民のために官僚による官僚のための政治ではなく、国民の代表たる政治家による政治を打ち立てるために政権を奪取したのではなかっただろうか。
党内に同志的な連帯意識がなく、野党とも連立協議が出来ないのなら、もはや民主党に政権運営する資格はない。潔く解散すべきだろう。
それが嫌なら、小沢氏を担ぐことだ。来年三月なら小沢氏の「政治とカネ」の一件も片付いている。「強制起訴」とすれば弁護士による起訴となり、検察は取り調べた資料をすべて明らかにさせられてしまう。するといかに杜撰な無理筋の捜査を強行したのかが明らかになってしまう。
今回も検審会に助言を与える弁護士に検察は自分たちの立場に立つ人を選んだようだが、そのように「市民目線」といいつつ実は市民目線を隠れ蓑に権力者の意見を国民に押し付ける構造は、しかし機能させないだろう。
大マスコミもこれ以上「政治とカネ」で小沢問題を引っ張ると、彼らの虚構に過ぎなかったと国民にバレてしまう恐れがある。一大キャンペーンを張った小沢氏の「政治とカネ」問題は、大マスコミの検察と癒着した問題として浮かび上がる可能性が大きくなる。そうした愚をするほどバカではないだろう。
来年三月に到る前に、菅氏は立ち枯れて仲間は指導力も構想力もない菅氏と運命を共にするのを怖れて彼の許を去るだろう。
その程度の連中に何ができるか、冷静に判断すれば分かることだ。解散の足音が近づけば、一年生の多くは震え上がって小沢氏の下へと走るだろう。彼らは自分たちがやった罪深さに気付かなければならない。菅氏はこれからも碌なことはできないはずだから、日本の政治はしばらく停滞のまま足踏みを続けるだけのはずだ。
そうした閉塞状態を打ち破れるのは小沢氏しかいない。民主党の国会議員は全員で小沢氏に民主党代表に就くのをお願いしなければならないだろう。反小沢派の中で政権盥回しは断じてすべきではなく、また出来もしない子供議員の集まりに過ぎないのだ。