石川氏が一転無罪を主張。
やっと始まる公判で石川被告は一転して無罪を主張して検察とトコトン争うようだ。やっと始まると書いたが、起訴されてから公判手続きでこれほど長期間を要したのは異例だ。異例といえば大久保氏の場合も無罪判決を待つばかりとなって半年近くも法廷が開かれていない。検察の恣意的な引き伸ばしとしか思えず、小沢氏を捏造の「政治とカネ」批判を浴びせる期間を引き伸ばすための手段としか思えない。
本来なら参議院選後のすぐにでも第五検審会が開かれるものと思っていたものが引き伸ばされ、民主党代表戦でも菅一派は卑怯にも捏造の「政治とカネ」批判を小沢氏に浴びせ続けた。そして代表選を勝利に導いて、やっと10月にも第五検審会の二回目の議決を出すようだ。
ここまで検察の政局に絡ませた悪意に満ちた公訴権の乱用は前代未聞だ。国民は決してこのような官僚の権利の濫用を許してはならない。政治家の殺生与奪の権限を握っているかの様な振る舞いは、しかし検審会にまで及ぶとなればこの国の司法権は何をやっているのかと徹底した検証が必要なのではないかと疑念を持たざるを得ない。
その検審会に関して、まだ出てもいない議決を予断を持ってマスコミは小沢氏の去就を面白おかしく書きたてているが、それがまともなジャーナリストのあり方なのだろうか。
官権力の抑制と不正追求を本来の使命としていたはずだが、いまやマスコミは官権力の提灯持ちになってしまったようだ。
小沢氏の政治資金規正法に基づく政治団体の収支報告書の細部に亙ってああだこうだと論うのなら、他の政治家の政治団体の収支報告書に関しても詳細な検討を加えてはどうだろうか。たとえば菅氏の3団体の収支報告書を仔細に検証してその結果を公表していただきたい。それでも菅氏の言うところの「クリーンでオープンな」収支報告がなされているのか。
悪質ということからいえば菅氏の政治団体の間で付け替えられている政治資金と事務所経費などの方が小沢氏の単純明快な事務処理と比較すれば数段も悪質だ。それを無罪放免に放置して、小沢氏の火のないところに煙を立てて煽ぎ回るのはどういうことだろうか。検察は小沢氏の件に関して国民への重大な説明責任がある。この際、検審会は小沢氏を強制起訴として徹底して法廷の場で検察と小沢氏が争い、国民の目の前で白黒つけてはどうだろうか。
石川氏は徹底して検察と争う覚悟を決めた。起訴されるような事案でない事件で起訴した検察は公判でどのような論理を展開するか見ものだ。針小棒大に事件を報じ、ご大層に「不実記載」との罪状を付した起訴事実が実はどのようなものなのか、マスコミも正直に事実を報道することだ。