政治家の所信表明に…

 政治家が所信を明確に表明したからといって、それに対して「脅威だ」と目くじら立てることではないだろう。それよりも日本の大マスコミが策謀している動きの方がはるかに危険だ。


 マスコミは社会の公器として「表現の自由」が憲法によって保障されている。何を書こうと基本的に自由で、公機関から検閲や差し止めを受けることはない。世界でも冠たる自由度が日本のマスコミには与えられている。


 


 それでは大いに言論界が活発に機能しているのかというとそうでもない。なぜなら日本の大マスコミは押し並べて言論の方向性が同じで、その幅が狭いからだ。験しに今月初めからの民主党代表選に関する全国紙の記事を読み比べてみると良い。記事からだけならどの新聞のものか判別がつかないほど「菅氏贔屓」だ。一様に虚構に過ぎない小沢氏の「政治とカネ」マターを取り上げて攻撃している。その同一性には驚くばかりだ。


 


 その止めがこの週末の代表選予測記事だ。読み比べても全国紙の個性は見られず、必死に小沢氏の敗北を願っているとしか読めない。本当に事実だけに基づく記事の部分と、そこから想像する憶測と、記者個人の考えに基づく希望と、将来の予測部分と明確に一線を引いた書き方ができないものかといつも思う。


 何よりも新聞の読者が知りたいのは事実だ。人は一日に何人もの人と会えないし、あっちこっちへ取材して飛び歩くこともできない。そこを補う手段として新聞を購読しているのだ。捏造された解説記事や、下手な三文推理小説のような憶測記事を読みたいがためではない。


 


 さて、記事によると記者は小沢氏の思考回路からここ15年の世界情勢や国内情勢が急変している事実認識が欠落しているのではないかと指摘している。政治家に対して大変無礼な「失格宣告」をしていることに無頓着なのに驚きを禁じ得ない。あたかも小沢氏を記憶の中に暮らす認知症の人であるかのような言い草だ。それほど横柄な口を叩けるのなら、記者の世界観と日本の現代社会の問題に関する蘊蓄をしかと聞きたいものだ。


 


 誰であろうと社会生活を送っていれば程度の差こそあれ、現実社会の様々な問題と無縁でいることはできない。そして目や耳に否応なく様々な情報が飛び込んでくる。常識的な頭脳と分析力を持ち合わせていれば、誰もが世界の問題や日本の置かれている位置を各人はそれなりに認識している。その知識や分析力の叡智の程度から素人と専門家と分類されているにすぎない。


 記者はあらゆる部門で素人に過ぎず、専門家面して解説する愚かさに赤面しなければならないだろう。たとえばこの記事に関して心理学者のような分析を試みているが、小沢氏の生い立ちや日常生活まで熟知して、初めて心理分析が可能だということを知らなければならない。心理分析を行う心理学者とはテレビに出ていい加減な宣託を垂れる「占い師」とはわけが違うのだ。


 


 尖閣諸島に出現し海保船と衝突した中国漁船の船長を逮捕するかどうするかで手間取ったのは、中国との関係を考慮した仙石氏の迷走があったという。この一事からも、菅政権は退陣すべきだ。国際関係ではまず毅然とした態度を示し、しかる後に話し合いを「受け付ける」ものだ。同時に自衛艦艇に尖閣諸島領域へ派遣命令を出すのが政府の危機管理というものだ。それが出来なければ菅政権に日本を託すわけにはいかない。


 


 それなら誰かに代わるべきだし、その選択肢として小沢氏がいるのなら迷うことはない。菅氏より程度の低い首相はどこを探してもお目にかかれないだろうから。



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