どんな選挙も権力闘争だ。

 街頭宣伝で大切なのは全体の雰囲気を見抜くことだろう。特定の候補の動員によるサクラは同じような種類の人たちだから全体を見渡していると良く分かる。


 


 ただ、街頭演説を行っているのは民主党の代表選だから民主党に関心のない者にとって鬱陶しいばかりと指摘されても仕方ないだろう。しかしそれを「醜い権力闘争」と批判するのは的外れだ。何の選挙であれ、限られた椅子を大勢の者が奪い合う選挙なら間違いなく権力闘争だ。


 


 密室でやり取りするのも権力闘争だ。誰も知らないところで自分の気にくわない者を抹殺するのも、権力闘争だ。だから人前で候補者が並んでそれぞれの所信を叫ぶのは極めて民主的な権力闘争だといわなければならない。


 


 「みっともない権力闘争」と吐き捨てた大阪のご婦人は小沢氏が冤罪で官権力から抹殺されようとした一連の「政治とカネ」キャンペーンこそが実在する「汚い権力闘争」だと、なぜ気づかないのだろうか。そこには大マスコミも敢然と官権力の側に立って民主主義を担保すべき「報道の自由」を使ってイギ汚く小沢氏を攻撃し続け、今度の代表選でもさらに攻撃し続けている現実を無視している鈍感さには驚くより他ない。


 


 そして大マスコミの一年有余に渡る検察情報タレ流しのプロパガンダを頭から信じて、街頭インタビューで「小沢氏には政治とカネ問題があるからねぇ」とご婦人がシタリ顔で言うのを見ると、「具体的に小沢氏の「政治とカネ」問題について説明してみろ」とテレビ画面に向かって叫んでしまう。


 何も確かめようとせず、テレビから流される報道を頭から信じる国民の数の多さは、この国を報道で操れるという証拠だ。なぜ一歩退いたところで大マスコミ報道と接しないのか、と国民の無防備さにある種の危機感を覚える。


 


 街頭演説で菅氏や小沢氏の生の姿を見て声を聴けば、頭の中に刷り込まれている虚像の修正をしようと頭脳が働かないのも不思議だ。彼らには物事を科学する姿勢が根本的に欠けている。


 テレビ報道や新聞の活字が必ずしも真実ではない。それは今日のブログで村木元厚生省局長の「件」を取り上げてみたことからも明らかだ。去年の六月の全国紙を図書館で読み返してもらいたい。間違いなく、村木氏は犯罪者として扱われている。その絶望的な恐怖は本人でなければ分からないだろう。


 


 国民の安易な思い込みと無関心が官権力による恣意的な世論操作を可能にする。小沢氏は全国紙など大マスコミでは支持されていないと世論調査に出ている。しかしネットでは殆どの支持率調査で菅氏と小沢氏の支持率は反対になっている。そうした事実を冷静に考えなければならない。


 間違いなく小沢氏は検察と大マスコミにより冤罪をでっち上げられ、名誉を著しく毀損された。その影響はマスコミのみならず管氏までもが恥もなく「政治とカネ」問題を代表選で大きなカードとして使ったことから、菅氏も官権力の暴走に便乗した愚かな国民の一人だと暴露した。その程度の者を首相に就けて本当に大丈夫なのだろうか。



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