明確な指針と度量のある政治家が

 民主党政権が成立して一年余が経ったが、残念ながらこれといった成果を残していない。ただ政治家主導らしい「あがき」は多少みせているが大マスコミや評論家諸氏に叩かれるとすぐに足腰がふらつく頼りなさばかりが目立つ。


 


 しかし民主党政権が政権交代に立てた理念は正しい。官僚制内閣による特定の利権構造のための政治から、真に政治家の手による国家と国民のための政治を行うのは喫緊の課題だ。予算規模は90兆円を越えたが国債費を差し引けば実質的な予算規模は対前年比それほどの伸びは見られず、財政健全化が求められる、という自民党政権から受け継いだ負の遺産に苦しんでいる。


 


 それでも昨年の政権交代を果たしたマニフェストを原則として政策を展開すべきだろう。大マスコミや評論家諸氏の言うとおりに物分り良く政策を変更したのでは、結局民主党らしさは失われ自民党そのものへ変貌するしかない。なぜなら大マスコミの論説委員や評論化諸氏は自民党時代に育ち、自民党が官僚に操られてきた政策しか経験していないからだ。彼らは自然と官僚の目で政治を見ている。


 


 格好の例が「子供手当て」へのばら撒きとする限りない反発だ。かれらには「直接給付」は政策でなく、国民の歓心を買うためのばら撒きとしか評価できない政策基準が出来上がっている。彼らの基準では「政策」とは官僚が予算を直接執行する制度事業であって、国から都道府県へ予算と利権構造の裾野を広げ、都道府県から市町村へとさらに利権構造の各種団体を増加させて予算の多くがそれらへタダ洩れになることが「国家が行う政治」というものだという概念が出来上がっている。


 


 たとえば子供手当てをばら撒くより保育所の増設を、と叫ぶ大マスコミや評論家諸氏は保育している子供一人当たりで「保育事業費」の総額を除して算出すると一人当たり月額57万円もの税を消費しているという子供食い物の制度事業の実態が明らかになってくる。


 つまり実際に政策により受益を受けている人数で予算総額を除してみることだ。そうすれば実態と予算額との乖離が見えてくる。介護保険会計が破綻の危機に瀕している、と大マスコミは報じ「高齢化により被保険者が増加しているからだ」と結論付けている。それも一因に違いないだろうが、上記の手法で「制度事業」が上手く機能しているか検証してみることだ。


 


 あらゆる事業を分析・検証することなく官僚の説明を鵜呑みにするのは危険だ。自民党は長年官僚制政治をやって来て膨大な国債の山を築いた。それが増税要請圧力となって政治をいびつなものにしている。民間企業で業績が悪化すれば原価削減へと動くのが常識で、次に採算割れしている事業を廃止する。しかし官僚たちは国家財政で大きな歳出を占める人件費にほとんど手をつけず、投資効果が1を下回る公共事業も相変わらず継続している。防衛や消防や警察や教育や医療や福祉など企業原理の働かない部分は当然赤字でも行うべきだが、それでも原価意識は必要だ。


 


 民主党が掲げた旗は正しかった。しかし政権成立前から執拗な「政治とカネ」攻撃により政治的な部分からではなく「世論調査」と称する支持率により勢いを止められ改革を断念させられつつある。虚構の「政治とカネ」攻撃は後の世で官僚と大マスコミによる「複合支配構造」と称されるだろう。そして国民世論を誘導する毎週のように行われる「世論調査」による大マスコミの政治介入だ。


 この国は不思議な国になってしまった。子供手当ては「少子化対策」から特殊出生率の改善を劇的に果たした仏国の少子化対策を参考にして作られたものだ。人口減を能天気にも「それも良いことだ」と評する評論家もいるが地域社会を守り国民経済を守るには人口減は大きなマイナス要因だ。それを乗り越えて国民の住環境を守るのは容易ではない。


 


 想像して欲しい。百年後に現在の出生率1.34では人口は半分になる。それで現在のインフラを維持するのは至難の業だ。現在の国民個人支出の総額を維持するのは困難だ。つまり全国展開しているコンビニもバタバタ閉店するしかなく、それも人口減著しい地方から、ということになる。そうすれば益々地方から人影はなくなり地方の道路は草茫々となるだろう。それでも子供手当ては単なるばら撒きなのか、評論家諸氏の見解を聞きたいものだ。


 


 しかし既に菅氏は民主党を第二自民党化させようとしている。小沢派排除という子供じみた論理で片翼飛行しようとしているようだ。程なく墜落するのは火を見るよりも明らかだ。


 国民は冷静に判断しなければならないが、大マスコミの扇動により米国相手に戦争をした国民だ。そうした国民性は今も臍の緒のように国民の間に残り、多くの国民がいわれなき「政治とカネ」攻撃により小沢氏を毛嫌いしている。それは政治家を政治的な能力で評価するのではなく大マスコミのイメージで判断するという危険なことだ。それは短距離走の順位を決めるのに、走らせないで飯の食い方が気に食わないとか、顔が美形でないからといった要素で決めているようのものだ。馬鹿げたことをしているという自覚のないまま、この国の国民は実に馬鹿げた大マスコミの誘導により馬鹿げたことをしているのだ。


 


 そうした自覚すらなく、事実と扇動とを識別もしないで「汚沢」などと表現する者たちの跋扈するうちはまともな民主主義は根付かないのだろう。


 


 



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。