政策ビジョンを示さない中道に明日はない。

<2026年2月8日に総選挙が実施され、自民党が歴史的大勝を飾りました。立憲民主党と公明党が合流して生まれた中道改革連合は、小選挙区で地滑り的大敗を喫して49議席となり、予算案を伴う法律も内閣不信任案も単独では提出できない小政党となりました。
 原因については専門家が様々な分析を加えているので私が言えるようなことは特にありませんが、素人考えとしてはいくらなんでも名前のイメージが悪すぎるということは少なからず影響したのではないかと思っています。

「中革連」はマズかった
 いくら公式な略称は「中道」だ、とアピールしたとしても、「中革連」と略せてしまうのは事実ですし、しかも語呂が非常によいためあっという間にその略称が広まってしまいました。
 私がいた大学では当時(25年ほど前)は学生運動がまだまだ元気で、ゲバ文字の立て看板もたくさん立っていましたが、その中に「中革連」という団体がひとつくらいあっても不思議ではないくらいしっくりきます。
 政党名を決めるにあたって「略称がどうなるか」は当然検討しなければなりませんが、それを怠っていたとしか思えません。また、いくら秘密裏に動いていたとはいえ、決定する前に女性や若手に意見を聞いていればさすがに誰かが止めたのではないかと思います。
 組織において多様性が重要なのは、同じような属性の人ばかりではスルーしてしまうリスクを発見できるからというのが大きな理由の一つです。政党として多様性や包摂を掲げておきながら、その本質的な理解に欠けていたのではないかと思わざるを得ません。
 と、ここまでボロクソに書いておいてなんですが、実は私個人としては中道にわりと期待していました、それは「生活者ファースト」というスローガンに共感したからです。
 ところで、「生活者」とはなんなのでしょうか?
 中道改革連合のサイトを見ても「生活者」の具体的な定義はありません。
 多数の有権者にとってはあまり聞いたことがないと思われる「生活者」というフレーズに明確な定義を置かないというのもひどい話だと思いますが(そういうところがダメなのだと思います)、実は私にとっては結構なじみが深い言葉です。

「生活者」とは「消費者」を拡張した概念である
「生活者」という言葉は、伝統的には「消費者」を拡張する概念として使われてきました。森永ヒ素ミルク事件(1955年)に端を発するといわれる日本の消費者保護活動ですが、英語の「consumer」を直訳したフレーズであるとはいえ、どうにもしっくりこないという感覚は昔からあったようです。そうしたなか、様々な言い換えが検討されてきた中の一つとして、「生活者」は比較的有力なものでしょう。
 つまり、「生活者」とは、社会を構成する個人を、単にモノを消費するだけの側面から捉えるのではなく、ある面では生産にかかわり、ある面では消費活動を通して自己実現を図っていく存在として規定しようとするものです(ただし、中道のサイト上に定義がないので、こうした伝統的な意味で「生活者」を使っているのかどうかはよくわかりません)。
 私は専門分野が保険行政なのですが、保険の規制・監督の目的はつまるところ「消費者(契約者)保護」です。かつて保険募集は「保険募集取締法」という法律で規制されていました(貸金業も同じで「貸金業取締法」でした)。要は、保険募集は消費者に害をなす危険なものであり、取り締まらなければならないと認識されていたわけです。
 平成7年の保険業法全部改正時に募集取締法は吸収されてその名前はなくなりましたが、最近のプルデンシャル生命の問題などを見ていると、やはり「取り締まる」必要があるのではないかと思わないわけでもありません。
 なので、私は消費者行政には強い関心を持って見ています。個人的には、近年の行政改革として最も価値のあったものは、福田(康夫)内閣による消費者庁の設置(2009年)であったと思っています。

「産業界重視」から「生活者ファースト」へ
 消費者庁設置直前の2008年の国民生活審議会では、「消費者・生活者を主役とした行政への転換に向けて」という意見書が出され、「生活者」は「消費者」だけでは説明しきれない個々人の側面を補完する用語として使用されています。
 敗戦からの戦後復興期・高度成長期には国民のニーズがわかりやすかったので、大企業中心の経済政策がうまくいっていました。テレビを作ればテレビが売れるし、車を作れば車が売れるわけですから、経済政策はいかに効率よくモノを作るかというところに帰着していきます。
 消費者に多少の損害があったとしても、産業界の都合を優先することで経済全体が成長し、結果的に消費者も経済成長の恩恵を受けることができていたため、消費者軽視が正当化されるという構造でした。
 もちろん、森永ヒ素ミルク事件に代表される深刻な健康被害や、豊田商事事件に代表される凶悪な詐欺被害を正当化することはできませんが、全体として「消費者保護は後回し」という意識があったのは間違いないでしょう。
 その時代が一段落し、現代は「消費者がなにを求めているのか」がわからない時代になっています。そうした時代には、生産に力を入れてもそれが必ずしも売れるわけではなく、当然、経済成長にもつながらないので、このような正当化は成り立ちません。
 現代は、消費者にとってフェアなマーケットを作り、産業界側が偶発的なニーズをつかむことでしか経済を成長させていくことができない、「複雑性の時代」にあるといえます。
 消費者庁の設置は産業界ではなく個人中心の経済構造に転換していくことの決意表明といえますし、中道の「生活者ファースト」にも同じベクトルを感じたので、私個人としては期待感が高かったわけです。
 選挙期間中、一部SNSでは「生活者ファーストとは日本人を後回しにするという意味だ」というような誹謗中傷がなされていましたが、「生活者」というフレーズについての経緯を知っていた身としては非常に腹立たしく感じました。
衆議院では27の常任委員会と特別委員会のうち、すべての常任委員会の委員長を自民党が獲得することとなりました。野党に与えられた委員長ポストは選挙前の12から2に激減することになりました。
 ただ、その2つのうちの1つが「消費者問題に関する特別委員会」であったことは中道にとってはチャンスなのではないかと思っています。ここで充実した国会審議を行い、「生活者ファースト」の意義を国民に伝えられるかどうかが党勢回復のカギになるのではないでしょうか。
 SNSを開けば、金融商品・サービスについて詐欺としか思えない広告や、詐欺とまではいかなくとも非常に問題のある広告が洪水のように表示されます(私はそういう広告を片っ端からチェックしているので表示されやすいのでしょうが)。
 最近流行っているのが、NISAやiDeCoの説明会を装って、ほかの金融商品を買わせようとしているパターンですが、こうしたものをなぜ取り締まることができないのでしょうか? 消費者特委において審議すべき重要なテーマになり得るでしょう。
 また、政府として「貯蓄から投資へ」を推進しているにもかかわらず、保険会社が多額の手数料を投入して利回りの低い貯蓄保険を売りさばいていることについて、消費者特委で議論してもよいでしょう。そのような低利の商品でなくインデックス投資信託を購入すれば期待リターンははるかに高いわけですから、これも結局は消費者・生活者に対して機会損失を与えてしまっているわけです。
 ほかにも金融業界における消費者問題のタネはいくらでもあります。金融庁はその成り立ち的に金融システムを守ることが最大の使命なので、金融業界と消費者の利害が対立する場面ではどうしても金融業界よりになってしまいます(なお、本当は生命保険会社は金融システムを構築していないので守る必要はないのですが、なんとなく銀行の並びで守られています)。
 プルデンシャル生命の問題も、本当に「顧客本位」の判断をするのであれば、免許取消ということも視野に入ってくるはずです。なにしろ、生命保険会社の中でも特に財テク商品に偏った経営モデルなので、金融システムとしての機能どころか生命保険業が持つ生活のインフラとしての機能も極めて薄いため、消滅したところで消費者は特に困りません。
 銀行などの金貸しであればどれだけあくどい商売をしていても「他者に資金を融通する」という最低限の社会的メリットが存在します(ヴェニスの商人のシャイロックやミナミの帝王の萬田銀次郎のような高利貸しにも一応の存在意義がある)。しかし、倫理観を失った保険会社は社会にとっては害悪でしかないのです。
 代わりの業者もいくらでもいます。ある保険会社が潰れても国民に生命保険が行き渡らなくなるなどということはなく、すぐに似たような会社の似たような商品のセールスマンがやってくるでしょう。
 消費者庁は、金融商品・サービスに関する消費者問題は金融庁の縄張りであるためか、あまり積極的に関わってこない印象がありますが、本来はそんな縄張りを土足で踏み荒らすことが求められているはずです。それが消費者庁に与えられた「横串を刺す」官庁としての役割なわけです。

生活者省の創設を掲げよ
 先日、こんなtweetが話題になっていました。
https://x.com/Retsu_SUZUKI/status/2023659638408048779?s=20
 今回の選挙で落選した鈴木烈候補による「経済問題に向き合わず『市場原理主義/自己責任論』という保守派のビジョンに代わる説得力のあるビジョンや政策を示すことが出来なかった」という「敗戦の弁」です。
 ここまで解説してきたように、「生活者ファースト」というのは本来そのビジョンになり得るものだと思っています。ただ、おそらくは中道から立候補したほとんどの候補者自身が、そもそも「生活者ファースト」がなんなのかよくわからないままに選挙戦に臨まざるを得なかったのではないでしょうか?
 偶然か必然か、高市政権の掲げる政策は極めて産業界のウェイトが重いものとなっています(ブレーンが経産省出身者であることと無関係ではないでしょう)。ずっと消費者保護をテーマにしてきた身としては、また産業界の都合が優先され、消費者の権利が軽視される時代に逆戻りしていくのではないかという危惧がないといえば嘘になります。
 中道改革連合(個人的には名前を変えた方がいいと思いますが)には、「生活者ファースト」というスローガンに則って、消費者庁創設時の「消費者・生活者一人一人がそれぞれの幸せを追求し、その生活を充実したゆとりのあるものにできる社会」という理念の実現のために邁進してほしいと思います。
 そのためには、インパクトのある旗印が必要でしょう。ひとつのアイディアとしては、消費者庁に、たとえば金融庁の所管する金融サービスの利用者保護行政や厚生労働省が所管する労働行政を移管するなどして、「消費者庁を生活者省として改組する」というようなものではどうでしょうか?
 議席数では圧倒的な差がありますが、産業界重視の高市政権と個人(消費者・生活者)重視の野党第一党という緊張感のある対立軸を作り、国会審議を充実させてくれることを期待します。>(以上「JB press」より引用)




中道改革連合はプルデンシャル生命問題を復活への奇貨とすべし!「生活者ファースト」こそ高市政権に対峙するカギに」と題する、主題が何なのか判然としない論評があった。書いたのは我妻 佳祐(ミニマル金融研究所代表)氏だ。あえて主題が判然としない選挙総括を取り上げたのは、中道なる政党の向かう先が、同じように判然としないからだ。
 だが我妻氏は「プレデンシャル生命問題を復活への奇貨とすべし」と意味不明なことを述べている。それが中道の復活とどう繋がるのか論理の道筋が全く見えない。

 プレデンシャル生命の問題とは「プレデンシャル生命社員が顧客に金融投資を持ち掛けて不正を働いた」という事件だった。云うまでもなくプレデンシャル生命は好待遇の保険会社として有名だ。保険業界の「ベンツ」だと云われてきた。他の保険会社は「普通の国産車」だという意味だ。
 その「プレデンシャル生命は高級車ベンツだ」と自ら自称し誇って来た生保会社の不祥事からの復活と、中道の再興と何の繋がりがあるというのだろうか。引用文中に「今回の選挙で落選した鈴木烈候補による「経済問題に向き合わず『市場原理主義/自己責任論』という保守派のビジョンに代わる説得力のあるビジョンや政策を示すことが出来なかった」という「敗戦の弁」です」とある。我妻氏は高市政権の「公約」を読んだことがあるのだろうか。何も高市氏は「市場原理や新自由主義」を打ち出してはいない。

 むしろ、そうした「小さな政府」とは真逆の「積極・減税」財政を打ち出している。そして高市政権が主眼とするのは、まさしく「生活者ファースト」というべき経済成長による国民所得の増額だ。
 日本の宿痾は成長しない経済にあった。経済というパイが同じなら、国民がより多く食べるのか、企業がより多く食べるのか、それとも政府が税金や負担金としてより多く食べるのか、という比較でしかなかった。そうすると最も弱い立場の国民が割を食って可処分所得が年々減少して貧困化した。その反面、法人税率引き下げにより企業は利益を内部留保に回して株主配当や役員報酬の原資とした。もちろん税収増や負担金増により、財務省も特別会計に数々の別荘(基金)を作り、補助金支出により多くの仲間を育てた。

 財務省の取り分を減らすには「減税」を断行すれば良い。企業の取り分を減らすには法人税率を旧に復せば良い。そして国民所得を増やすには経済成長すれば、労働分配率が上昇しなくても自然と所得は増える。その大本にある経済成長こそが肝要だと、着眼した高市氏の経済観は本物だ。そして消費税を限定的に減税しようとするのは財務省に配慮してのことだろう。
 だが、本気で経済成長する日本を取り戻したいのなら、消費税は廃止すべきだ。まさに可処分所得を減額する税が消費税で、景気にブレーキを掛ける税金だ。何か事あるごとに財務官僚や評論家諸氏は消費税は「世界の平均的な、どの国でも実施している税だ」と解説するが、それは欧州諸国の対米輸出補助金として誕生した付加価値税が基になっているだけだ。ちなみに米国連邦政府に消費税に相当する税はない。

 消費税を廃止して税収減は24兆円前後だ。法人税の納税総額は17.4兆円だ。現行の20%から40%に戻せば単純計算で17.4兆円増加する。それに所得税の配当などの資産課税源泉分離20%を廃止して、総合課税に一本化すれば数兆円の増収になるだろう。さらに宗教法人の非課税を現行よりも「宗教行為に限定する」と制限すれば数兆円の増収が見込まれるだろう。
 さらに「男女共同参画事業」や「家庭庁」といった効果の見られない事業を仕分けすれば新たな財源が見込まれるだろう。もちろん「再エネ補助金」なども打ち切って、経済成長策に回せば良い。

 そうした高市政権の「国民所得の増額」を目指す抜本的な経済政策の転換を国民・有権者は大歓迎して支持した。それに対して中道の「生活ファースト」には具体的な政策が殆ど何もなかった。明確に「消費税廃止」すら打ち出してなかったではないか。労働者団体が支持母体なら、なぜ労働分配率を上げるための政策を明快に打ち出さないのだろうか。
 株主配当が「失われた35年」のうちに10倍になったことに怒りを表明しない労働組合に存在意義があるのだろうか。働いて企業収益に寄与しているのは労働者ではないか。現代の株主は「資本投資」ではなく、株式売買で短期投機資金を稼ぐ単なる「相場師」ではないか。企業は株主のものだ、とよくも云えたものだ。そのような明確な意思表示もなく、貧困化する労働者を放置し続けた労働組合に、いつまで依存している気なのか。中道は明確な政治ビジョンを国民に提起して、国民の広範な支持を獲得する政治理念を示すべきだ。

 高市氏は「経済成長」という分かり易い政策を提起した。それこそ国民の誰も反対しない政策だ。労働者にとっても好ましい政策だ。本来なら中道が打ち出すべき政策だった。中道の「野党慣れ」した怠慢が解党的な大敗を招いた。そのこととプレデンシャル生命の不祥事と何ら関連はない。

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