高齢者問題はすべての国民の問題だ。

家賃を払えなくなり、住み慣れた家を失う「漂流老人」が増えている。司法書士の太田垣章子さんは「年金だけでは生活できず、家賃を滞納してしまう高齢者は多い。頼れる身内がいない場合は、生活保護を受けながら孤独な最期を迎えることになる」という――。

高齢者の家賃滞納という知られざる問題
 親しい家主から「おばあちゃんの入居者が家賃を滞納しているんだけど、お願いしていい?」と相談を受けた時には、何がしかの理由をつけてお断りしたいと瞬時に思いました。
 高齢者が滞納しているケースは、一般の相手より何倍も時間と手間がかかるからです。若い人と違って「はい、次探してね」とはいきません。なぜなら70代以上になると、貸してくれる家主がほとんどいないからです。
 まして現在滞納していると言うことは、頼れる親族がいない確率が高いということ。そうなると私が新たな転居先を手配したり、経済的な面でも行政と繋いだり、場合によっては福祉の力も借りていかねばなりません。その上、本人が心を許してくれるとは限らないから、事は厄介なのです。
「旦那さんが亡くなって、困っているはずなんだよね。新築当時から住んでくれているから無下にもできず、太田垣さんしか頼れないのよ」
 逃げ腰だった私は家主のその言葉を聞いて、断りの理由を見つけることができずに引き受けてしまいました。このおばあちゃんは年金が一人分減ってしまったために、滞納になってしまったのでしょう。誰かの手を借りないと身動きできない状況に陥っているおばあちゃんを、私はスルーすることができませんでした。

築52年のアパートは「ゴミ屋敷」だった
 78歳の小林栄さん(仮名)に会いに行ったのは、家主から話を聞いた2日後でした。物件は、下町の安い価格帯の賃貸物件が立ち並ぶエリアにありました。木造2階建て、築57年。外階段の古いタイプのアパートです。メンテナンスはされているものの、大きな地震が来たら、確実に倒壊してしまいそうな佇まいでした。
 栄さんは2年前に亡くなったご主人と、人生の大半をこの物件に過ごしてきました。間取りは、最近では少なくなった2K。6畳の畳部屋と4畳半の板間、古い流しがつき、その横に玄関扉があります。トイレと風呂場は分かれていましたが、浴槽は小さく今時見かけることが珍しくなったバランス釜。典型的な昭和の時代のアパートでした。
 家賃は共益費を入れて4万1000円。この半年ほど払いが遅れ気味で、滞納額は15万円を超えていました。預貯金が底をつき、年金だけでは払っていけなくなったのでしょう。
 呼び鈴を鳴らすと、室内から人が動く気配がします。ようやくドアがゆっくりと開き、私は栄さんと対面することができました。栄さんは70代後半ですが、身なりを構っていないからなのかもっと老けて見えます。足が悪いようで、膝を押さえながら体を支えていました。
 そのまま目線を下げると、床はゴミで埋め尽くされています。
「お家賃のことで家主さんから依頼を受けて来ました」
 私のその言葉に栄さんは観念した表情で、室内に招き入れました。

ただ「死」を待つだけの老婆
 話をするために室内に上がったものの、飲み終わったペットボトルなどのゴミや物が床に置かれ、すり足で除けるようにしないと前に進めません。膝下まで積まれている所もありました。全部退けたら、害虫の死骸もありそうです。不衛生極まりない状態でした。
「どうぞ座って」と指さされた場所も、洋服等を退けなければ腰を下ろすこともできませんでした。流しには使った鍋やフライパンがそのまま置かれ、料理もろくにされていない様子。ご主人を亡くされ、まさにセルフネグレクトです。洋服も頻繁に洗濯している様子はなく、人付き合いもなさそうでした。
「払ってないのも申し訳ないけど、お金ないし身動きできなくて」
 そう小さな声で呟く栄さんは、完全に福祉の手からも漏れ、孤立している状態なのでしょう。想像していた通り、行政に助けを求めることもなく、栄さんには福祉の知識もありません。払えないから好きにしてくださいと、投げやりとはちょっと違う、諦めというか「死」だけを待ち望んでいる、そんな印象でした。
 50年以上前の賃貸借契約には、栄さんの弟さんの名が連帯保証人として書かれていました。親族との付き合いを尋ねても、誰とも関わりはないと言います。栄さんはなぜ弟が連帯保証人として書かれているのか、覚えていないようでした。
 もしかしたら栄さんが勝手に書いたかもしれません。大昔のこと、真相は誰にもわかりません。ただ更新ごとに契約書も書き換えてもおらず、唯一の手掛かりはこの情報だけでした。

連帯保証人の弟を探すことに
 頼みの綱は、連帯保証人。職務上請求で戸籍から辿っていくと、幸運にも弟の野中栄吾(62歳、仮名)さんにたどり着くことができました。そしてさらにラッキーなのが、栄吾さんは栄さんのアパートから車で20分ほどの場所に住んでいます。栄吾さんがどのような反応をされるのか分からなかったので、まずは手紙でコンタクトを取ってみました。
 すると届いてすぐに、栄吾さんから電話がかかってきました。栄吾さんはこう教えてくれました。
 もともと6人きょうだいだが、他の4人は戦争や病気で亡くなった。年が離れているので、自分は姉の記憶もほとんどない。親が反対する人と姉が結婚したので、それ以来家族は姉と交流せずにきたと思う。兄弟たちが亡くなった折に姉に連絡したかったが、戸籍を辿れず探し出すことはできなかった。こういう形であれ、姉と会えるなら嬉しい。契約書の件は、兄たちは結婚に反対したので連帯保証人と書けず、当時小さかった自分を勝手に書いたのでは? と思う。姉に会いたい――。
 きょうだいとはいえ相続などで事情がなければ、直系以外の戸籍を取得することは難しく、栄吾さんの心の中には姉の栄さんのことは解決できていない問題のように重くのしかかっていたのでしょう。電話の声は本当に嬉しそうで、早く会いたいという思いが伝わってきました。栄さんが家賃を滞納していること、自宅がゴミ屋敷になっていることを伝えても、栄吾さんは怯みません。「早く何とかしてあげたい」といった印象を受けました。
50年以上経過して再会したきょうだい
 最初に私が栄さんと会ってから、3週間ほど経ったでしょうか。栄吾さんと私は、栄さんの元に訪れました。前回よりもさらに栄さんは弱っていて、呼び鈴を押してからかなりの時間をかけないとドアまで辿り着けないようでした。やっと開いたドアから見えた栄さんは、顔色も優れず少し痩せたような印象です。
 栄さんは栄吾さんの顔を見ても、弟とは気づかなかったようです。それもそのはず、別れた当時5歳くらいだった栄吾さん。今の中高年の男性を、想像もできなかったのでしょう。
「お姉さん、大変だったね。栄吾だよ」
 そう声をかけると、栄さんはさっきまでぼんやりとした顔つきだったのに急にしっかりとした表情になりました。
「こんな部屋見られたくないわ」
 急にバツが悪そうな顔で、オロオロしています。
 大丈夫だからと何度も伝え、私たちは室内に入りました。室内は確実に前回よりも荒れていました。布団と座るところ以外、ほとんどゴミで覆い尽くされています。栄さんは恥ずかしいのか、ずっと下をむいたままです。
「姉さん、僕の家の近くに部屋を借りるから、そっちに越さないか?」
 これ以上ない優しい申し入れに、栄さんは首を縦には振りません。その理由は、結婚当初から住んだこの部屋には、ご主人との思い出が詰まっているから。家族の反対を押し切って結婚したけれど、栄さんはとても幸せだったのでしょう。お金がないながらも心豊かに暮らしてきた姉のことを知り、栄吾さんもホッとしたようでした。

2tトラックの荷台がゴミでいっぱいになった
「じゃあ、この部屋を綺麗にしよう。僕が姉さんのところに通うよ。家賃のことも心配しないで」
 私は、行政の担当者と申請すれば生活保護費と年金の差額が支給されるよう打ち合わせをしていました。それすら栄吾さんは断ります。
「両親は姉さんの結婚を反対したこと、ずっと後悔していました。だからもし姉さんがお金に困っていたら助けてあげてと。僕は両親の遺産を姉さんのために使いたいんです」
 栄さんはその言葉を耳にして、少し涙ぐんでいるようにも見えました。
 栄さんの部屋のゴミは、2tトラックの荷台が埋まるほどの量でした。ただ大半がお茶のペットボトルだったので片付けるのは楽でしたが、除けた畳にはウジも湧いていました。そこで家主と相談し、栄吾さんの費用で全てフローリングにリフォーム。ついでにと流しやトイレまで、最新のものに入れ替えました。栄さんは「同じ部屋とは思えない」と、とても喜んだ様子でもありました。
 このケースでは栄吾さんのおかげで訴訟をすることなく、滞納分の回収やリフォームまでできて家主側にとってとてもいい形で終わりました。
 それは栄さんにとっても同じだったでしょう。ご主人が亡くなって生涯孤独です、と言っていたところ、半世紀以上会っていなかった弟が全面的にサポートしてくれたのですから。

ひとりぼっちの高齢者を一人でも救うためには
 その後、3年ほど経ったでしょうか。私は栄吾さんからの連絡で栄さんが永眠したことを知りました。「あのゴミ屋敷ぶりは、キョーレツでしたね」と笑っていましたが、姉を看取った栄吾さんからは大きな一仕事を終えた安堵感が伝わってきました。
 今回たまたま栄さんの賃貸借契約の連帯保証人欄が栄吾さんになっていたため、私は戸籍から現住所を辿ることができました。けれど栄吾さんからは、栄さんの居場所を知ることはできません。相続などの権利行使のためでしか兄弟姉妹(傍系)の戸籍を取得することができないからです。
 個人情報の兼ね合いもあると思いますが、家族関係が希薄になってきた今だからこそ、疎遠になった兄弟姉妹を探したいという場合には戸籍の取得はもう少し簡易になっても良いのではと今回のケースを通して感じました。
 兄弟姉妹の居場所を知るのが、亡くなってから、あるいは相続で権利が発生したからでは、あまりに悲しいと感じます。居場所を知られたくないという場合以外、兄弟姉妹でも戸籍を取得できる、そんな世の中になってほしいなと思いました。

内閣府「令和6年版高齢社会白書」より>(以上「PRESIDENT」より引用)




 若者も生きている限り誰でも高齢者になる。だから高齢者問題は国民すべての問題だ。「自宅を「ゴミ屋敷」に変え、死の瞬間を待っていた…家賃滞納の現場で見た「ひとり暮らしの高齢者」の悲惨な現実」と題して太田垣章子(司法書士)氏が具体例を上げて「高齢者問題」を論評している。
 引用文の中で、太田垣氏は高齢者問題の主な点は「独居老人」だという。いかに中の良い夫婦だとしても、夫婦が同時に亡くなることはまずないから、老人問題は過去に婚姻していようが生涯独身でいようが、結局は「独居老人」問題に帰結する。

 人は生きている限り必ず年老いる。高齢者になれば体が思うように動かなくなるだけでなく、頭まで霞がかかったようになり記憶力が怪しくなる。動物としての人の運命を変えることは出来ない。
 ことに男の場合が悲惨だ。現役から退いた高齢男性は会社文化から放逐され、馴染みの薄い地域社会に放置される。新たに人間関係を暮している地域社会で築くのが億劫に思えて、出歩くことがなくなる。妻がいる間は何とかなるが、独り者になるとどうしようもない。

 女の場合も似たり寄ったりだ。たとえ配偶者がいたとしても、平均寿命から配偶者の方が早く死ぬ。残された高齢女性は若い頃のようにチヤホヤされることもなく、独居老人になる。そして多くの場合、女性の年金の方が男性より少ない。生きる糧さえ乏しくなり、高齢女性が寿命を全うするのはなかなかの苦行難行だ。
 たとえ婚姻して子供を産み育てたとしても、現在の貧困化した日本では子供からの仕送りを期待することは出来ない。子供にも厳しい日々の暮らしがあり、彼らも高齢化する将来に備えなければならない事情がある。太田垣氏が遭遇した高齢女性は弟がいて世話してくれたから悲惨な最期を迎えないで済んだ。しかし多くの場合はそうではない。

 婚姻率の低下から、将来は独居老人が増加し、孤独死が大きな社会問題化するだろう。もちろん人として尊厳ある死を迎え、人生を終えた死者として尊厳ある葬儀や埋葬をして貰えるのかと、心配は尽きない。
 戸籍制度を目の敵にする「選択的夫婦別姓」を求める活動家たちは人生の最期で何を考えるだろうか。選択的夫婦別姓によって人が人として死後も処遇されるのか。戸籍制度を破壊して、人を個々人に分離させる「選択的夫婦別姓」によって、何を手に入れるのだろうか。

 群衆の中にあって孤独を感じる、と云ったのは安倍公房だっただろうか。いかに大都会に暮らしていようと、人は孤独だ。そうした意味では「ポツンと一軒家」に暮らしていようと大差ない。
 むしろ生きる糧を得やすいのは「ポツンと一軒家」かも知れない。政治は国家と国民のためにあるが、国民は最後の拠り所として行政に頼ることが可能なのだろうか。奇しくも今日が衆議院選の告示日だ。多くの人が候補者として名乗りを上げるが、彼らは政治家として国家と国民のために働く、と決意した人たちなのだろうか。高齢者問題はまた彼らの問題でもあるのだが。

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