ザイム真理教徒揃いの総裁選候補者たち。

<学生運動が衰退しつつあった70年代の初めとはいえ、筆者の大学1年から3年まで、すなわち71年から73年までの期末試験はことごとくロックアウトで論文に代替された。お陰で留年もせず卒業できた訳だが、折角専攻した政治学も「勢力均衡(balance of power)」くらいしか記憶に残っていない。
 必修の「原書講読」の教材に「勢力均衡」は載っていた。が、出席不足で落とし続け漸く4年で履修、それも薄氷を踏む思いで。ある日、胸騒ぎがして授業に出たら試験中、だが大幅遅刻で教室に入れない。就職も婚約も決まっていたので、教授を部屋に訪ねて平身低頭、数十頁の原書翻訳で「可」をくれた。
 こうした事情から「勢力均衡」だけは頭に残っていて、ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』(勁草書房2010年刊)でも数年前に読んだ。元々彼の「核の拡散抑止論」に賛同していて『国際政治・・』も読んだら、「勢力均衡」は「国際政治を動かす国家の支配的な行動原理」であると書いてあった。なぜこんなことを冒頭に書くかと言えば、それは自民党総裁選のせいである(以下、敬称を略す)。

 前経済安保大臣の小林鷹之が真っ先に出馬宣言したことを各紙が挙って報道し、「コバホーク」支持が俄かに二桁台に。高市早苗現経済安保相が就任時に前任者について、「良くやっているので(私に代えなくても・・)」と述べていた。報道を見る限りだが、会見での彼の保守的な主張には首肯する点が多い。
 2番手の石破茂は地元神社で立候補を表明した。「子供の頃、ここで夏祭りがあり賑やかだった。日本は今ほど豊かではなかったが、若い人も、子供たちも、高齢者も皆、笑顔だった。もう一度賑やかで皆が笑顔で暮らせる日本を取り戻していく」と述べた。そこは筆者もまったく同感である。
 が、聞きたいのはそれをどうやって実現するかの政策だ。彼の話は、現状批判だけは立派だが、国民が知りたい「だからこうする」がいつも欠けている。安倍政権で地方創生大臣をやったが、何か成果があったのか。防衛畑も長いと誇るが、なぜ現場の自衛官に嫌われたかご存じないか。これだから総理に5度も挑戦することになる。
 女性天皇や選択的夫婦別姓の容認も論外だ。が、憲法改正では九条二項の削除を述べる。ご説ご尤もだが、自公連立でどう実現するのか。出来ない正論はやる気がないと同義。青山繁晴がネット番組で「加計問題で100万円もらった大臣云々」と名前を出さずに述べていたが、それは石破である。
 表明3番手は河野太郎。先ず外務大臣としての実績を挙げたが、訪問国と面談の数を成果だと言われても困る。表明で憲法改正、皇室、反原発などは避けたが、しっかり記者に問われてどれも「はぐらかし」た。他方、明確だったのが財政規律重視と選択的夫婦別姓容認とは頂けない。但し、マイナカード普及の突破力と「裏金」ではなく「不記載」と述べたことを筆者は評価する。
 次の出馬表明は、菅前総理が推して一躍世論調査トップに躍り出た小泉進次郎らしい。冒頭で「勢力均衡」のことに触れたのは、彼が総理総裁になる可能性が大いに出て来たからだ。昔から「神輿は軽くて〇〇がいい」と言われているのに、地元の祭りで支持者と交流する法被姿が報じられた。悪い冗談か。
 米大統領がカマラ・ハリスになれば「類は友を呼ぶ」の喩えもあるので、ケミストリーが合うかも知れぬ。が、左派メディアの攻撃に「同病相憐れむ」仲だったトランプとシンゾーとは大違い。共に不勉強と言われ、台本なしの討論に不安のある「類」に対し、「同病」の方は揃って当意即妙、ディベートの達人だ。
 内政でのミスは直ぐに命に係わる訳ではないし、世間が騒いで選挙となれば新政権で是正できる。が、相手国がある外交でのミスは取り返しがつかない。ウォルツの『国際政治の理論』にも「国内政治では暴力を抑止する国家権力が存在するのに対し、国際政治では国家の上位の主体が存在しない。勢力均衡とはそこから導かれる生存戦略である」との記述がある。
 それゆえに、国際システムの中で国力が劣る国家は、より強力な国家に対抗すべく、軍事力を強化し、他の国々と同盟を結ぶ。平和主義の理念や国際法には多くを期待できないからだ。勢力の均衡をもたらす根本的な要因は、国際システムの無秩序な構造、すなわちアナーキーにある、と言うのである。
 ウォルツは、17世紀の30年戦争のウェストファリア条約、18世紀のスペイン継承戦争のユトレヒト条約、19世紀のナポレオン戦争後のウィーン体制などを引いて国際政治の成立に触れ、複数の強国による多極構造が勢力の変化に応じて同盟が組み替えられ、それによって勢力の均衡が保たれていたとする。
 長らく続いていた冷戦構造がソ連崩壊と共に壊れ、米国の一極体制となったが、習近平の中国が鄧小平の改革開放の果実を摂って一方の極に成長し、欧州各国もEUで固まった。新たな三極体制と言え、その中で日米同盟を強化する日本の在り方がウォルツの言う「勢力均衡」に沿うかどうかは別として、「もしトラ」ならまた違った舵取りが必要になるかも知れぬ。
 トランプの対日政策が、例えば台湾に防衛費増額を求めたように、日本にも思いやり予算の増額を求めて来たら、米国は日本から出て行ってもらっても構わないが、その代わり日本は独自に「核兵器」と「原潜」を保有しますよ、と言ったウォルツ理論の一部に沿った議論を、誰ならトランプと出来るのか。
 次の総理総裁には、こうした渡り合いを役人の台本なしに各国のトップと臨機応変にやれる、「芯の通った国家観とそれを支える知識と胆力」のある、そして普通の社会常識を身に付けた人物になってもらいたい。流暢な英語も必要ない。専門の通訳を介しても、表情豊かに人間性を出したやり取りを進めることの方が大切だ。
 こう考えれば、「勢力均衡」は措くとしても、男子男系の皇室を守る気のない人物や選択的夫婦別姓で家族制度を壊そうとする者は先ず失格、「レジ袋って石油から造るんですよ」などと口にする軽薄な人物は更なり、である。果たして後の候補が出馬表明で何を述べるのか、しっかり耳をそばだてたい>(以上「アゴラ」より引用)




 高橋克己(在野の近現代史研究家)氏の「次期総理には「勢力均衡」を解する人物を」という表題が目に付いた。いや、目に付いたのは表題ではなく、名前だった。
 私たちの世代では高橋和巳氏の長編小説「悲の器」(ひのうつわ)は必読書だった。彼は 1971年に若干40歳で亡くった哲学者のような作家だった。ただ高橋和巳氏は(たかはし かずみ)と濁るが、高橋克己氏は(たかはし かつみ)と濁らない。亡くなってから50年以上も経った作家と彼の作品を不意に思い出すとは。

 高橋克己氏は国際政治の「勢力の均衡」を理解していることが日本の総理大臣になる条件に上げている。先の大戦の敗戦国で核を持たない日本は必然的に「勢力の均衡」の中で国際的な立場を維持するしかない。
 西側に属する日本は当然のことながら米国と勢力の均衡を保たなければならないが、実態は高橋氏が「勢力の均衡」を強調するほど均衡のとれた状態ではない。いや、むしろ1945年8月以来日本は米国の占領下にある、といって良いだろう。その証拠に当時のトランプ大統領は訪日の際に羽田民間空港ではなく、米軍横田基地に降り立ったではないか。それは進駐軍総司令官のマッカーサーがコーンパイプを咥えて厚木航空基地に降り立ったのと何ら変わりない。実に礼を失した態度だったが、日本政府は一言も抗議していない。

 日米安全保障条約で日本は米軍の核の傘に守られている、という建前を取り続けている。しかし核の傘など現実には存在していない。日本が核攻撃されたら、米国が相手国を核攻撃する、という約束があるだけだ。それが核抑止力になっているというが、核の傘などなくても核保有国が核兵器を使用すること自体に強力な抑止力が働くことはプーチンの戦争を見ても明らかだ。
 つまり核兵器は攻撃兵器でもなければ、防衛兵器でもない。核クラブの一員だ、というバッジほどの意味でしかない。だから「それがどうした」といえばそれまでのものだ。核を実際に使用すれば、それは全人類の滅亡を意味するから、ロシア領内に攻め込まれたプーチンでさえウクライナのキーウへ戦術核の一発も撃てない。もちろん全人類を殲滅する権利はプーチンにも習近平氏にも金正恩氏にもない。

 このような好戦的な独裁国家を隣国に持つ日本の総理大臣として、日本のみならず世界の平和のための外交を実践できる力量が総裁選に名乗りを上げている人たちや代表選に名乗りを上げている人たちにあるだろうか。
 外交に関してだけでない。内政に関しても「ザイム真理教」の信徒でない候補者が一人としているだろうか。「ザイム真理教」徒かどうかの見分け方は簡単だ。現在のデフレ下経済を転換するために、候補者が「消費税廃止」とか「トリガー条項発令」といった個人可処分所得を増やす政策を掲げているか否かを見れば良い。そして「PB黒字化」よりも「国家の衰亡と国民の貧困化」対策が優先する、と発言するかを見れば良い。なぜなら財政運営は財政PB黒字化が目的ではなく、経済政策の一つでしかないからだ。政治は国家と国民のためにあるのであって、財務省のためにあるのではない、と断言できるかを見れば良い。

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