泉下のクーベルタン男爵はバリ五輪の現実に、いかなる感慨を持つだろうか。

<セレブも多数参加して開会式を盛り上げた。クライマックスの聖火点火で、エッフェル塔下のステージに現れたのはカナダの女性歌手セリーヌ・ディオン。愛の讃歌を歌い上げた。

 開会式のアトラクションは盛りだくさんで、まず選手の水上パレードがスタートすると、川岸ではディオールのドレスを身につけた米歌手レディー・ガガがダンサーを従えて踊りを披露。
 フランスで活躍しているメゾソプラノ歌手マリーナ・ヴィオッティとメタルバンド「ゴジラ」がコラボし、人気歌手アヤ・ナカムラもヒット曲「ジャジャ」で盛り上げた。
 ダンスフロアでは、ユーロビートにLGBTのアイコン、DJバーバラ・ブッチも登場。ジョン・レノンの名曲「イマジン」の演奏では、水上でピアノが激しく燃え上がる演出で観客を仰天させた。
 21年東京五輪で13分の大演説をして「長すぎる」と批判を浴びたのがIOCのトーマス・バッハ会長。注目のあいさつは、今回は7分45秒程度。ネット上では「これでも最近では最短だ」と微妙な評価を受けた。
 聖火ランナーでは、フランス元サッカー代表のジネディーヌ・ジダン氏、テニス全仏オープン14勝のラファエル・ナダル、米女子テニスのセリーナ・ウィリアムスや米陸上のカール・ルイス氏らが参加した>(以上「夕刊フジ」より引用)




豪華セレブがパリ五輪開会式に華 セリーヌ・ディオン、レディー・ガガら圧巻パフォーマンス 「長すぎ」批判のバッハ会長は〝控えめ〟挨拶」だったようだ。他ならぬバリ五輪の開会式のことだ。
 昔の軽口に「挨拶(演説)と女性のスカートは短いほど良い」というのがあった。今そんな軽口を叩こうものなら飛んでもない批判の集中砲火を浴びるだろう。しかし開会式も「ほどほど」が良いと思う。意味もなくミュージシャンが登場して歌声をサービスするのも空調の効いた屋内で楽しむのなら何の文句もないだろう。しかし真夏のパリの屋外で長々と鑑賞するものではない。

 いや、そもそもオリンピックを四年ごとに開催する意味があるのか、という疑問すら覚える。各競技には各競技ごとに国際大会があって、オリンピック相当の世界レベルのパフォーマンスを人々は毎年のように観ている。そうした各種競技の総合版がオリンピックに成り下がっているが、元々のオリンピック精神はそんなものではなかったはずだ。
 現在もウクライナとガザ地区では戦火が止まない。むしろゴラン高原のサッカー場にヒズボラがロケット弾を撃ち込み(ヒズボラは否定している)、イスラエル市民が12名も死亡した。イスラエル当局はヒズボラに対して報復攻撃を宣告している。

 戦火を止める努力を国際社会はしているだろうか。何の動議もなく資金源もなく砲弾などの支援もなく、ハマスやヒズボラなどの破落戸集団がイスラエルにテロ攻撃を仕掛けることは出来ない。それらの破落戸集団を支援する国があるから、彼らは正業に就かずテロ行為に勤しんでいる。そうしたテロ集団を支援する国を国際社会は徹底して批判し制裁すべきだ。
 バリにアスリートが集まって競技に勤しみ、それを報道機関が世界中に配信している段階ではないだろう。なぜ全ての報道機関がテロ集団の非を世界に配信し、それらテロ集団を支援するイランや中国などを名指しして批判すべきだ。彼の国の国民は、なぜテロ集団を自分の国の政府が支援するのかすら知らないはずだ。彼の国の国民に自国が仕出かしている非道ぶりを、彼らは知らなければならない。

 オリンピック開会式典は厳かに「世界平和」を願う場ではなく、様々なミュージシャンが歌声やパフォーマンスを披露する場に堕している。スポンサー企業が付かなければ大会運営も出来ない、カネ塗れのオリンピックをクーベルタン男爵は願っていただろうか。戦火の止まない世界で、オリンピックが賑々しく開催されている現実を見て、泉下のクーベルタン男爵はいかなる感慨を持つだろうか。

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