連合オバチャンの視野に労働者は存在するのか。

政権ベッタリ。連合の芳野友子会長が理解できぬ対話と癒着の違い
 みなさま、こんにちは!
「衰退ニッポンの暗黒地図」をお届けするマネーアナリストの神樹兵輔(かみき・へいすけ)です。
 読者の皆様は、「れんごう」という言葉を耳にして、何を思い浮かべるでしょうか。
 板紙・段ボール製造の国内最大手の 「レンゴー(株)」でしょうか、それとも自民党とべったり癒着関係の旧統一教会の現在の名称「世界平和統一家庭連合」のことでしょうか。
 あるいは、もっと巨視的に見て、世界各国が連なる「国際連合」や「欧州連合(EU)」のことだったりするでしょうか。
 それとも、政治献金を自民党にだけバラ撒いて、政策を自分たちの都合のいいようにコントロールしてきた「経団連」という略称で呼ばれることの多い「日本経済団体連合会」のほうでしょうか。
 いずれにしても、近年「れんごう」と聞いて、肝心の「日本労働組合総連合会」のことを最初に頭に思い浮かべる人は、まずいないのです。
 つまり、近年は労働団体の地盤沈下が著しいため、「連合」と聞いても、「何のこっちゃ?」という状況のわけです。
 これが、労働運動の地位が極度に低下した日本における労働組合のナショナルセンター(全国中央組織)の「日本労働組合総連合会」の象徴ともいうべき状況です。
 賃上げのためのストライキもすっかり封印してしまった、労使協調第一主義の日本の労働組合の中央組織は、なぜ、こんなに落ち目になってしまったのでしょうか。
 今回のテーマは、その「連合(日本労働組合総連合会)」について、その体たらくぶりを、いろいろえぐっていきたいと思います。
 日本の労働組合が大同団結で結集し、構成された「連合」は、かつては、新聞やマスメディアのニュースで取り上げられることも多かっただけに、「れんごう」といえば、「日本労働組合総連合会」を指すのが一般的であり、「連合」は700万人弱もの労働組合員数 を有する日本最大の団体であり、その代表的存在だったはずなのです。
 そんな数の力をさえ活かせないのが今の「連合」です。
 もはや、というべきか、やはり、というべきか、近年はすっかりショボイ存在になり下がっているのが「連合」なのです。
 単純に総括してしまうと、かつて「連合」という名称で誰もが想起していた「日本労働組合総連合会」は、存在自体が低下したため、いまや表向きメーデーの集会で「労働者の味方ヅラ」をした労働貴族幹部が差配する、名目だけの労働運動を標榜する、無意味な組織の成れの果て状態──ということなのです。
 実際、全国の労組の組合員の上納金を巻き上げているだけで、日本の労働者には、何の役にも立っていませんし、社会政策を提言する圧力団体としての機能も喪失してしまっています。
 ゆえに組合員組織率も、69.6%で、組織率は年々低下し続けています(日本の全労働者の労働組合員組織率はたったの16.5%)。
 「連合」の幹部たちは、無意味なスローガンを掲げ、テキトーな労働運動ポスターを作って、高額報酬を貪り、経費使い放題で、自民党幹部と仲良く会食して癒着を深めるだけが、現在の大事な「お仕事」になっている組織に見えるのです。
 とまれ、現在に至っては「反共・一点張り」を強調しすぎたための反動なのか、「自民党にすり寄るばかり」で「見識のないお飾りの女性会長」さえもクビに出来ない体たらくな組織となった「連合」なのです。その実態をざっとえぐってまいりましょう。

対立・分裂で離合集散の繰り返しだった日本の労働組合運動

 さて、まずは日本の労働組合運動における簡単な歴史と「日本労働組合総連合会」が生まれるまでの経緯をざっとまとめて見ておきましょう。
 日本の労働組合運動は、産業が勃興し始めた明治初期からありますが、大正、昭和の時代には、政府による弾圧や厳しい規制の中にありながらも、脈々とその運動が受け継がれてきているものです。
 そして、戦後は新憲法によって、ようやく「団結権」「団体交渉権」「団体行動権(ストライキ権)」の労働3権(労働基本権)が認められるに至り、組織としての近代化が図られるようになってきたのでした。
 また、敗戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)は、労働組合組織の結成は、日本の民主化に役立つと考え、その後押しもあって実際次々労組が生まれた──という背景事情もあったのです。
 しかし、それも朝鮮戦争勃発(1950年6月)まででした。
 米ソ冷戦が深まると、その後は日本共産党の影響力の及ぶ労組に対しては、GHQはパージや弾圧を強め、日本共産党系労組の弱体化がすすめられるようになったからです(1950年以降のマッカーサーGHQ総司令官によるレッドパージで共産党員やシンパが数千人規模で企業や公職から追われた)。
 こうして労組の団体では、支持政党や思想によって、分派や分裂による離合集散が激しくなっていきます。
 そして高度成長期においても、組合活動は紆余曲折を辿っていくのでした。
 こうした離合集散の動きが、次第に多くの企業別組合から産業別組合へとひろがり、やがて全国組織のナショナルセンターへの集約化が図られてきた──というわけです。

水と油の労組の中央組織が「連合」に大同団結!

 そして、官公庁労働者が組織する労働組合の中央組織「日本労働組合総評議会=総評(391万人)」と民間企業の労働組合が組織する「全日本労働総同盟=同盟(210万人)」という2大ナショナルセンターが、「連合」という中央組織内で結ばれ、何とか融和する状況が生まれてきたわけです。
 これが、1989年の「連合(日本労働組合総連合会)」の誕生でした。
 日本最大級の労働組合組織のナショナルセンターとなったのです(組合員数約700万人弱を擁する、総労働者の1割強を組織する全国団体)。
 この「連合」には、前述の通り、合流する前の「総評」が、かつての日本社会党系の労組のナショナルセンターであり、もうひとつの「同盟」はかつての民社党系(1960年に日本社会党を離党した右派の国会議員により結成された政党)の労組のナショナルセンターだったという2大組織が融合しました。
 もともと「総評」は、社会党支持の党内左派寄り(自衛隊違憲、日米安保反対、日の丸・君が代反対、脱原発など)の団体でした。
 一方でこれに反発して、組合員の離脱で生まれたのが民社党系(自衛隊合憲、日米安保賛成、日の丸・君が代賛成、原発賛成、反共・反社会主義、労使協調路線など)の「同盟(210万人)」という団体でした。
 ゆえに、2大ナショナルセンターの「総評」と「同盟」は、本来の主張は「水と油」だったのです。
 しかし、それでも、「総評」と「同盟」の2大ナショナルセンターが大同団結して、1989年に「連合」が誕生したのでした。
 その際には、「総評」に近かった「新産別(全国産業別労働組合連合・6万6,000人)や、いずれにも属さなかった中道派の「中立労連(中立労働組合連絡会議・75万人)」という2つのナショナルセンターも「連合」に合流しています。
 つまり、合計4つのナショナルセンターが合体して、1989年に生まれたのが「連合」だったのです(この時、反共・労使協調を批判して「総評」から離脱した日本共産党系の「全労連・52万人」や日本社会党左派系の「全労協・9万人」も「連合」とは別のナショナルセンターとして誕生しています)。

細川内閣と民主党政権の誕生までには組織的な貢献もあった「連合」だったが…

 「総評」と「同盟」という水と油の2大ナショナルセンターが大同団結して、巨大ナショナルセンターの「連合」になったのは、労働者の運動は本来の賃上げ中心の活動のみならず、政府の政策全般にも大きな影響力を及ぼすべきだ──という考えによるものでした。
 つまり、圧力団体としての存在感を強めるのが目的だったのです。
 互いに寄り合い、出来るだけ数多くの声を結集したほうが政策提言においても強力で効果的だ─―という算段があったからでした。
 実際、「連合」が生まれてから、1993年8月には「55年体制の崩壊(自民党の38年に及ぶ単独政権が終焉)」をもたらした細川護熙内閣の誕生(非自民・非共産の8党派の連立政権)や、自民党を下野させ、2009年9月から3年にわたって続いた民主党政権(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・野田佳彦内閣)の誕生などで、「連合」も組織的行動によって得票率においても、それなりに大きく貢献しています。
 しかしながら、その後の今日に至るまでの大まかな「連合」の流れを辿ってみると、いったいどうだったのでしょうか。
 以降の自民党政権による労働者弱体化・大企業優遇の政策で、どんどん労働者の環境が悪化させられたにもかかわらず、「連合」そのものは、ほとんど無力といってよい、体たらくぶりとなったのでした。

派遣労働者容認・外国人技能実習制度容認・消費税率アップ容認という日本の「労働運動」の破滅的行動の数々!
 企業の中に「正社員」と「非正規雇用社員」という賃金水準や雇用条件の異なる差別的な階層を作り出す「労働者派遣法」を成立させたのは、1985年の自民党・中曽根康弘政権の時でした(施行は翌年7月)。
 戦後、労基法で禁止されてきた「中間搾取」と「間接雇用」を合法化したのです(中間搾取とは賃金を支払う側と受け取る労働者との間に介在して賃金を横取りする派遣会社の存在をいいます)。
 これが、直接雇用のパートやアルバイト、契約社員といった臨時的な属性でもないのに、同じ会社の中に、「無期雇用」が原則の正社員と、いつでも首を切ることが出来る「有期雇用」の非正規雇用の派遣社員を混在化させた天下の悪法だったのです(2022年時点で労働者の4割に及ぶ非正規雇用労働者2,101万人中に占める派遣労働者は7%の149万人で過去最高の数となっている)。
 ただし、この中曽根政権の時の「労働者派遣」解禁の時までは、まだ派遣対象は13業務の専門職に限定されていました。
 また、この中曽根政権では、公営企業の民営化を促進したことで、「総評」の中核団体だった国労(国鉄労働組合)、動労(国鉄動力車労働組合)、全逓(全逓信労働組合)、全電通(全国電気通信労働組合)などの組織が弱体化させられています。
 そして、労働者派遣の対象業務を26業務にまで拡大したのは1996年の自民党の橋本龍太郎政権の時でした。
 さらに、派遣対象業務を原則自由化したのは、1999年の自民党の小渕恵三政権の時でした。
 次いで、「製造業務」まで派遣の対象にしたのが、2003年の自民党の小泉純一郎政権の時で、同じく「日雇い派遣」も04年に解禁しています(2012年に30日以内の日雇い派遣は再び原則禁止された)。

労働組合の中央組織は労働環境悪化に対応出来ず!

 こうした中間搾取を行う派遣労働が許され、拡大していく過程において、日本の労働組合のナショナルセンターであった「総評」や「同盟」の対応、および1989年に大同団結した「連合」の対応はどうだったのでしょうか。
 政府の審議会に多数の審議委員を送り込んでいながら、明確な反対・打開策を打ち出せず、そのまま押し切られてきたというのが、労働組合団体の実態だったのです。
「中間搾取」や「間接雇用」「有期雇用」の派遣労働を認めるなら、正規雇用よりも大幅な賃金アップでの処遇が求められるべきにも関わらず、そうした条件面での制約すらも一切勝ち取れなかったのです。
 結局、派遣労働などという、戦前のタコ部屋奴隷労働への先祖がえりを放漫に許し、既存の正社員の雇用を守る方向にかじ取りを強めるばかりで、こうした派遣労働者の組織化さえもが後手に回って、その実現さえもかなわなかった──というのが実態だったのです。
 労働組合でありながら、企業の言いなりになる未組織労働者の拡大に手を貸しただけだったのです。
「総評」も「同盟」も、そして「連合」もこのような体たらくであり、団体幹部たちだけが、ストライキのための潤沢な積立金を費消して、政府与党幹部らと潤沢な社交生活を続けていたわけです。
 日本人賃金への下押し圧力となる労働者派遣を事実上容認し、1993年に導入された「外国人技能実習制度」においても、明確な反対姿勢をとらなかったのが、こうした労働団体だったのです。
 おかげで、違法な偽装請負で隠れ営業をしていた初期の悪徳違法・口入れ稼業の業者が、労働者の賃金を公然と3割~4割もピンハネできるようになり、ピンハネ派遣会社が今日の大企業にまで成長するキッカケを与えたのでした。
 労働団体でありながら、政府・自民党による正規・非正規の労働者分断政策を阻止することなく、賃金下落政策に協力したといって過言でない労働団体だったのですから、クソの役にも立たない「無用な労働団体」だった──といってもおかしくないでしょう。

消費税導入も阻止出来なかった、役立たずの「連合」!

 1989年に3%で導入した消費税においてもそうです。
 自民党の竹下登政権に対して、消費者団体や労働団体は一応の反対の姿勢を表明するも口先だけで、バラバラになりがちな労働団体を結集する「連合」結成への政治的対応を優先し、反対運動をさえ、全国規模で起こすまでにも至らなかったのです。
 自民党は、悪法を通す手段として法律を「小さく生んで、大きく育てる」手法がお決まりの政権政党です。
 労働者派遣にしろ、外国人技能実習制度にしろ、消費税にしろ、反対される部分を最小限に抑え、法案を成立させてから、内容をどんどん改悪していきます。
 そんなことも見据えないで、法案に絶対反対を唱える姿勢も皆無だったのが、労組の中央組織だったのです。
 さんざん政府の「賃下げ」に協力してきた「連合」が、今頃になって、政府・自民党の尻馬に乗って「賃上げ」などと臆面もなく口にして追従するという、こんな労働団体中央組織などは笑止千万であり、はっきりいって、政府になびく御用ナショナルセンターなどは、まったく不要な存在なのです。

連合会長の芳野友子氏とは何者か?

 世間が驚いたのは、2021年9月30日、「連合」での役員改選に合わせた役員推薦委員会への届け出で、会長に立候補したのが、芳野友子副会長ただ一人となり、10月6日の定期大会では、そのまま芳野友子副会長が初の「連合」の女性会長に選ばれるという「異変」が起こったことでした。
 他の有力会長候補が大規模な出身母体の団体(自動車総連)との調整がつかないままに、とんだダークホースが会長就任となったのでした。
 この連合会長となった芳野友子氏とはいったい何者なのでしょうか。
 芳野氏は、1965年11月9日生まれの59歳です。
 1984年に18歳でミシンメーカーのJUKI(ジューキ)株に入社し、翌年19歳でJUKI労働組合の専従職員になります(入社時の社名は東京重機工業株式会社)。
 また、JUKIではバレーボール部のマネージャーを務めていたという情報もあります。
 しかも、労組の専従職員でありながら、芳野氏はJUKIの社長、役員とも非常に良好な関係を維持し、いつも経営陣から励ましの声まで送ってもらっていたと、のちのち「連合」の会長に就任してからのインタビューでも無邪気に述懐しています。
 人たらしだったのでしょうか。
 そして、1988年23歳の時に、JUKI労働組合の中央執行委員に就任します。この時、20人の役員中、女性は芳野氏たった一人だったのでした。
 当人は、JUKI労働組合の中央執行委員を務めていた際には、男女の均等待遇に向けた取り組みをずっと行ってきたといいます。育児休業制度を会社側に認めさせて、女性社員から感謝された──などとも後に語っています。
 そして、1999年9月、34歳でJAM(ものづくり産業労働組合=後述)の中央執行委員ともなり、次いで2007年10月、42歳で「連合」中央執行委員にもなります。
 その後、2010年には45歳でJUKI労働組合委員長に就任します。
 さらに2015年、50歳でナショナルセンター「連合」の副会長にも就任します(この時すでにJAMの副会長にも就任していました)。
 ちなみに、芳野氏の出身母体のJUKI労働組合は600人程度の少人数の組合員しかいませんが、産業別労働組合のJAM(ものづくり産業労働組合=金属機械産業中心)に属しており、ここにはセイコー、ニコン、横河電機、ダイキン、クボタなどの大手労組の他、中小企業労組が多く連なり、34万人の組合員を擁し、連合内では5番目の組合員数を誇ります。
 芳野氏が、数少ない労組の女性役員という立場をふんだんに活かして、男性中心の労働組合の中で頭角を現し、とんとん拍子に出世していった状況がよく窺えます。

ここぞと狙った勝算ありきの会長立候補

 そして、2021年10月、55歳の時に「連合」の会長となります。
 通常、「連合」の会長は大企業労組のトップがなるものでしたが、中小企業労組出身者で、しかもそのトップでもなく(JAMの副会長)、女性というのも、すべてに「初」がつく異例の就任でした。
 就任後すぐのインタビューには「想定外だった」などと謙遜を述べていますが、「ガラスの天井を突き破るチャンスは逃すな」とも語っており、ここぞと狙っての勝算ありきの会長立候補だったことは間違いないでしょう。
 しかし、会長就任後に、全国の組合員はじめ、一般国民を大いに驚かせたのは、次のような共産党アレルギーが全開の発言だったのです。
 それは、「野党共闘」を標榜し、日本共産党とも連携し、打倒自民党に向けて選挙区調整を行っていた立憲民主党が、共産党と限定的な「閣外協力」でも合意した──という報道に対し、記者会見で芳野会長は、こう述べたからです。
「共産党の閣外協力はあり得ない」と言い切ったのです。
 つまり、労組の中央組織の代表者が、衆議院選挙を前にした立憲民主党の政党活動の細かい去就にまでいちいち口をはさんだのです。
「現場では選対にも共産党が入り込んで、両党の合意をたてに、さらなる共産党政策をねじ込もうとする動きがある」などと共産党拒絶の大演説まで行います。
 閣外協力とは、立憲民主党が政権をとったあとも、野党時代と同様、合意できる政策については政権外野党の日本共産党とも連携して実現させる──ということであり、それ以上でも、それ以下の意味もないものです。
 にもかかわらず、次には衆議院選挙を終えた後の翌2022年7月の参議院選挙においては、共産党と連携する候補者に対して、「連合」は推薦すらしない──とまで断言したのです。
 芳野氏は「労働組合である連合は、共産主義とは相いれない」「連合は民主主義であり、共産党とはまったく考え方が違う」などと、たびたび会見で発言し、共産党との選挙協力は論外だとつねに日本共産党を切り捨ててきたのでした。

異常な共産党アレルギーの源流は、旧統一教会とも接点を疑われる羽目に!

 芳野友子氏は、徹底した「反共主義者」と目されるゆえんです。
 その源流は、若いころに研修を受けたとされる民社党系・同盟系の私塾である 「富士政治大学校」にあるといわれます。
 この研修学校は、1969年に民社党の初代委員長の西村栄一氏によって静岡県御殿場市に設立されて、泊まり込みで学習活動を行う施設です。
 出所不明の噂では、共産主義やファシズムに対抗する研修がメニューにあったことで、米国CIAから支援金までが贈られていたという──怪説まであります。
 この富士政治大学校を運営していたのが、公益財団法人・富士社会教育センターであり、西村氏に次ぐ2代目理事長の松下正寿氏(強固な反共主義者で民社党参議院議員1期、立教大学総長などを歴任。旧統一教会の文鮮明教祖を師と仰いでいた)の存在が、芳野氏のJUKI労働組合での活動と重なります。
 この松下氏は、文鮮明教祖を師と仰ぐほどに、旧統一教会とのつながりが深く、日本と韓国をトンネルで結ぶという統一教会教祖・文鮮明の提唱で生まれたNPO法人「日韓トンネル研究会」の設立メンバーでもあったほどなのです。
 とまれ、「反共」と言えば、旧統一教会の政治団体「国際勝共連合」が有名ですが、民社党も「反共主義」で、こうした団体と共鳴していた時代が確実にあったことは否めない事実なのでした。
 こうした経緯から、芳野友子連合会長も、松下氏や旧統一教会との関係性を疑われました。
 この件で質問されると、芳野氏は言下に「知らない。調べるつもりもない」などと慌てて否定しています。
 もちろん、今となっては、このことの真偽は不明ですが…。

「連合」の芳野友子会長による奇異な言行が、ナショナルセンターの信用失墜を招いている!

 芳野連合会長の奇異な言行は、その後も収まりません。
 2022年2月には、国民民主党の玉木代表との会見終了後、「連合は、政府の予算案に反対ではない」と仰天発言をします。
 修正が成されなければ、連合は予算案に絶対反対の立場にも関わらず、こうした意味不明の発言を平気でしています。
 同月に芳野氏は、夏の参院選をめぐり、立憲民主党や国民民主党への支援を明示しない基本方針まで発表します。
 一方で、その直後、「女性同士での懇談」をしたいとの自民党・組織運動本部長の小渕優子氏に誘われた芳野氏は、都内の日本料理店で小渕氏らと会食しています。
 また、同3月には芳野氏自身が日本酒好きと聞き及んだ自民党副総裁の麻生太郎氏に誘われて、都内のホテルで会食までしています。
 そして4月には、自民党の「人生100年時代戦略本部」の本部長・上川陽子氏からの誘いをうけて、同会合に出席し、のちに「問題認識は自民党とほぼ一緒だと思う」などと、完全に自民党になびいた発言までしています。何なのでしょう、この方は…。
 さらに、同4月には、岸田政権の「新しい資本主義実現会議『論点案』に対する意見」という文書において、マイナンバーカード普及推進の立場から「今まで以上に国民の不安払しょくに取り組むべきだ」などと通りいっぺんの方向性を述べています。
 健康保険証の強制紐づけ問題や、プライバシー漏洩の問題はどうなんだ―─と突っ込みを入れたいところでしょう。
 同9月には、「安倍晋三氏の国葬に出席する」──と発言して物議をかもすものの、「労働側代表としての責任をどう果たすべきか。出席せざるを得ないと判断した」と述べています。
 安倍氏の国葬に出席するのが、労働側代表の責任とどう結びつくのか不可解な発言でした。
 そして、国葬出席で批判を受けたのちには、国葬について、こう顧みて発言します。
「国会の関与をおろそかにし、(自民党岸田内閣が)閣議決定だけで進めようとし、議会制民主主義や立憲主義を軽視した、1強政治のおごりといわざるを得ない」などと吠えたのでした。
 自分の国葬出席を棚に上げて政府を強く批判したのですから、世間をのけぞらせました。
 ネットには「じゃあ、アンタは何で国葬に参列したんだよ」──などという声があふれたのは言うまでもないことでした。
 同11月には、消費税導入容認の立場から、2023年10月から導入のインボイス制度について、「着実に導入すべきだ」と公然とのたまいました。
 この方は消費税の逆進性などの弊害をどこまで理解しているのでしょうか。
 とまれ、あちこちで、「なんじゃこりゃ」──という、わけのわからない発言をバラ撒いてきたのです。

日経新聞のインタビューでは当事者意識を欠いた「まるで評論家」のような発言だらけ!

 2023年11月19日付の日本経済新聞の単独インタビューでは、労組の中央組織代表とは思えない、まるで評論家のような、主体性のない、さらなる迷言を繰り広げています。
 若者の労組への関心不足については、「連合は若い人と女性の人気がない。労組の意義や日々の活動が彼らの目に留まっていない。20代女性は連合のジェンダー平等への取り組みへの関心が高く、私はまだ希望を持っている」と答えます。
 はあ?―─と思わせられます。そんな20代女性がいったいどこに?……なのです。

自民党との「対話」と「癒着」の違いを理解できない芳野氏

 賃金体系多様化の中での労組による賃金アップの一律要求について聞かれると、「連合は数字を示しているだけで、要求は加盟組合が交渉で決める。大手を中心に成果・能力主義など色々な賃金体系がある。個々の労使関係の中で判断すればいい」と応じています。
 なるほど、2023年春闘のベアと定期昇給を合わせた平均賃上げ率は大手が3.58%(1万560円)であり、30年ぶりの高水準でした(組合員300人未満の中小は3.23%・8,021円)。
 そこに、芳野友子氏の出身労組であるJUKIについての、別のインタビューで「ベアなし」に終わったことを聞かれ、「非常に経営が厳しい」「運動的には足を引っ張ってしまった反省はある」などと答えはしたものの、一時金(賞与)についても「世間からかなりかけ離れた非常に低い水準になってしまった」などと、しれっと他人事のように答えるのみでした。
 しれっとしてて、よいものなのかどうか、会長サマ、足元は大丈夫なのでしょうか?
 来年2024年の春闘(春季労使交渉)で、連合が「5%以上」という目標を決めたことについては、「23年の賃上げは30年ぶりの高水準だった。1年で終わらせず、持続的に上げていかなければならない。世界水準と比べて一般労働者の賃金は低い。最低賃金は半分程度にとどまる」「来年も政府の力を借りたい。業績の良い企業は賃上げできる。業績回復が途上の中小が底上げを図るには労務費を含めた価格転嫁が重要だ」などと、どこか評論家風の他人事のように語っています。
 賃金が上がらない国にしてきた「連合」自体のナショナルセンターの責任や、「連合」のリーダーの発言としては「政府頼み」なのですから、主体性にはほど遠いのです。
 政府・自民党に近づくことへの連合内での批判があることに対して芳野氏は、「国際的には労働組合も政府や経営者との対話を通じて課題を解決していくのが主流だ。政府と対話が出来るようになったのは連合が国際レベルになった証といえる」「政権と対話ができる信頼関係を築かなければ連合の政策を理解してもらえない。私は積極的に対話していく」などと応じています。
 しかしまあ、芳野氏は、自民党との「対話」と「癒着」の違いというものが、どこまでわかっているのでしょうか。
 いやはや、何といっても、この方の日経新聞とのインタビューの応答は、とても労働組合運動の代表である当事者の言葉とは思えないほどの、あちこちピント外れの答えばかりだったのです。
 これが、日本最大のナショナルセンター「連合」の会長発言だとすると、組合員ならずとも、日本国民としては頭を抱えたくなるでしょう。
 この国の衰退は、ホントにいよいよ…のレベルに来ているのだな……と悲哀感が深まります。
 ところで、芳野友子氏は、周辺からは「無類の肩書好き」とも揶揄されているそうです。
 それもそのはず、実際に、「労働者福祉中央協議会会長」、「日本生産性本部副会長」、「日本水フォーラム副会長」、「財務省財政制度等審議会委員」、「法務省法制審議会委員」、「内閣府男女共同参画会議議員」、「ふるさと回帰支援センター顧問」、「日本防災士機構評議員」、「日本財団パラスポーツサポートセンター顧問」、「JAM(ものづくり産業労働組合)副会長」……などなど、10もの役職や委員会委員を、「連合の会長」以外にも兼任しているからです。
 連合会長の仕事以外にどれだけ、こうした仕事がこなせるのか──はなはだ疑問視されているのが現実のわけです。
 なんだか、どえらい勘違いの人なのかもしれません。

「自民党のトロイの木馬」に他ならない芳野会長の存在

 とまれ、いったい、この人は何を考えているのか──と首を傾げざるをえない人物なのですが、何といっても日本最大労組ナショナルセンター「連合」の会長ですから困ったもの……としか言いようがありません。
 連合内部で、さっさと何とかしたほうがよい──と思う人も多いはずでしょう。
 もしかすると、この方は労働組合運動を隠れミノにして、組織内でうまく伸長し、本当は反共バリバリの右翼主義者なのではないか──とまで思えてくるような感じのする人物なのです。
 とすれば、その存在こそは「自民党のトロイの木馬」に他ならないともいえるでしょう。
 そんな芳野氏ですが、2年の会長任期を経て、2023年10月6日には、連合の定期大会が行われ、芳野友子氏は晴れて再任され、「連合」会長の2期目をスタートさせています。
 もはや、日本の労働組合運動も、ここに極まれり──といった感じなのでしょうか。
 今までの日本で、自民党と「連合」会長の蜜月時代が到来する日が来る──などと、いったい誰が想像できたでしょうか。
 このままでは、日本の労働組合運動は終わった──といわれかねません。
 全国の労働組合員の皆さんは、高い組合費を払うことなく、さっさと組合を脱退したほうがよいのかもしれません。
 まあ、外野が云々するのも大きなお世話かもしれませんが…。
 それでは、今回はここまでといたします。>(以上「MAG2」より引用)




 連合オバチャンのバカさ加減にウンザリしているのは私だけではなかった。神樹兵輔(投資コンサルタント&マネーアナリスト)氏の「自民ベッタリ“肩書”大好き。解体すべき労働者の敵「連合」と芳野友子会長の怪しい正体」を一読すると、芳野某女史がいかに度し難い傑女か良く解るだろう。その傑女を今年10月に連合は再任したというから、連合の幹部たちも連合オバチャン同様のバカの集まりでしかないようだ。
 芳野友子氏の出自については引用記事に詳しいから、私は再述しない。弱小労働組合出身だということも問題にしない。しかし彼女が何を学んできたかは問題にしたい。なぜなら芳野氏が労働者全般に愛情を注いでいるとは思えないし、常に労働者の権利拡大の先頭に立っているとは決して思えないからだ。

 戦後、労働者の権利はGHQから棚ボタ式に戴いたものだ。戦後の労働組合運動は戦前のものとは明らかに異なる。それはイデオロギー対立・階級闘争の延長ではなく、国民たる労働者の権利の確保と拡大を主眼としたものだった。
 しかし日本最大の労働組合を擁していた国鉄が解体民営化され、次に巨大な労働組合を擁していた郵政も分割民営化された。それら国有企業の解体民営化は必ずしも事業の合理化を目指したものではなく、労働運動の弱体化を狙った自民党・経営者政党の策動だった側面があったことも否めない。

 当時、国民の多くは春闘の度にストを頻繁に行っていた国労や動労に対して「国鉄の分割民営化」により労働組合が解体されるのに拍手を送った。しかし、それが後々労働運動の衰退と、国民所得の停滞を招く契機になろうとは思いもしなかっただろう。
 確かに赤字を垂れ流す国鉄に問題はあっただろう。しかし全国つづ浦々を網羅した鉄道網を日本の基本的な社会インフラとして維持する必要性を軽視してしまった。分割民営化すればローカル線を多く抱える地方の鉄道会社が赤字体質になることは当初から分かっていた。貨物輸送を鉄道からトラックへ主体を移せば何が起きるか、当初から分かっていたはずだ。今になってトラック運転手が不足する、などと騒ぐ方がどうかしている。

 労働者の権利を守ることが「日本のかたち」を守ることになる。それは歴史的な真実だ。芳野氏はそうした労働組合運動と、労働組合運動潰しの熾烈な歴史をご存知ないのだろうか。
 「構造改革」と称する合理化が製造労働現場に非正規労働者を誕生させた。当初、派遣業法の緩和は通訳やキーパンチャーといった特殊技能者に限定されていた。しかし「小さく生んで大きく育てる」官僚たちの常套手段によって、派遣業法が次々と緩和拡大され、労働者は正規と非正規に分断された。分断された労働者の「同一労働同一対価」という原則を芳野氏が政府にねじ込むのかと思いきや、そうした動きは殆どない。彼女は何を考えているのか、或いは何も考えていないのか。

 国民所得の倍増を目指すなら、労働組合が再び強くならなければならない。総理大臣が経済団体に赴いて「どうぞ賃上げを」と頭を下げるの年中行事に、芳野氏は文句の一つでも云ったらどうか。賃上げを経営者に要求するのは労働組合の仕事だ。それを奪われては連合会長はお飾りでしかない。
 連合がナショナルセンターであるならば、非正規労働者たちも傘下に抱え込むべきだ。彼らに労働団結権を与える運動こそ、連合は先頭に立って起こすべきではないか。派遣業者に抱え込まれているとはいえ、彼らが働いているのはまさに労働現場だ。彼ら非正規労働者の身分が云々という前に、派遣されれば派遣先の労働環境の中で働く。そうした厳然たる事実を無視して、非正規労働者を分断するための論法を受け容れてはならない。断じて「労働者の身分に関する法律」の制定を求めて、連合会長は丁々発止の論戦を政府と闘わすべきだ。そうした「闘争」が芳野氏に出来るだろうか。それ以前に、芳野氏にそうした覚悟があるだろうか。もしなければ、芳野氏は直ちに連合会長を辞任すべきだ。さもなくば」労働貴族」の汚名に塗れるだけだ。

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