自公政権の「改革」と称する日本弱体化政治はもう沢山だ。

<参院徳島高知補選など自民党候補が落選するケースが、ここにきて相次いでいる。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「岸田首相の失政だけでなく、立憲民主党の反転攻勢の影響も大きい。多弱だった野党の中での求心力が回復しつつある」という――。

立憲民主党への評価が下げ止まった
 潮目が変わる、とはこういうことを言うのだろうか。永田町の関心事は岸田政権の激しい失速に集中している感があるが、この中で野党第1党の立憲民主党に、ようやく一定の肯定的な評価がみられるようになってきた。というより、否定的な評価の「打撃力」が衰えてきたのだ。
 そのことを強く感じさせるのが、これまで立憲民主党批判のパワーワード化していた言葉の「無効化」だ。代表的なのが、立憲と共産党の選挙協力を揶揄する「立憲共産党」という言葉である。2021年の前回衆院選で立憲が公示前議席を割って以来、外野が声高に言い募るこの言葉は、立憲の戦闘力を大きく下げることに寄与していた。
 こうした言葉の「打撃力」が落ちてきた。同時に、2021年衆院選以来、「下げ」トレンドにあった立憲の評価が、ようやく反転しつつある。
 いきなり「政権を取って代わる」とまではいかなくても、野党の存在感が高まり、時の政権に緊張感を与えることは、それがどの政党の政権であっても望ましいことだ。やや遅きに失したとは言え、筆者はこうした政界の「潮目の変化」を歓迎したい。

物議を醸した共産党との「選挙協力合意?」
「立憲共産党」という言葉が最近注目されたのは、臨時国会開会直後の10月23日、立憲民主党の泉健太代表が、国会内で野党各党の「あいさつ回り」を行った時だ。
 前日の22日に行われた参院徳島高知補選で、立憲など野党各党が推した広田一氏が、自民党候補を破り勝利したことへのお礼、という名目だった。共産党の志位和夫委員長のもとを訪れた時、泉氏は志位氏に、次期衆院選で「野党議席の最大化」をするための「連携と力合わせ」を持ちかけ、志位氏も同意した。
 これが翌24日の共産党機関紙「しんぶん赤旗」で「党首会談で(選挙協力に)合意」と報じられ、メディアはいきり立った。この日行われた立憲の岡田克也幹事長の記者会見では、メディアの質問がこの件に集中。岸田首相の会見などではほとんど見られない「更問い」が、複数の記者によって10問以上続いた。
 メディアが注目したのは、国民民主党の玉木雄一郎代表が、共産党との関係を理由に泉氏の「あいさつ回り」を拒否したこと。「聞き流しておくような話」と軽くいなした岡田氏に対し「候補者調整がご破算に?」「結果的にそういった流れになっている」などという「更問い」が続いた。
 岡田氏の発言ではなく、記者会見での質問によって「立憲と共産が選挙協力を深化させ、その結果国民民主党との協力関係がご破算になる」という流れが作られていった。
党の方針をぶれさせず、地味に選挙で勝ち続けた
 少し前なら、こうして作られる永田町の「空気」に、立憲の党内が少なからず動揺しただろう。泉執行部はそれをまともに受け止め、党内で方針が揺れ動き、それが無党派層の支持離れを生んだかもしれない。昨年(2022年)夏の参院選で、立憲はそうやって負けた。

現在の立憲の党内に、こうした空気はほとんど見られない。
 参院選後の立憲は、誰にも注目されないなかで地道に地方での定着を目指し、今春の統一地方選以降の各種選挙で地味に勝ち星を重ねてきた。小さな勝利体験の積み重ねが党内を安定させ、執行部は他者からの「揺さぶり」に動じない一種の強さを身につけ始めた。
 その安定感が少しずつ永田町の外に伝わり、政党支持率をじりじりと上げ、ついには日本維新の会をとらえたのではないか、と筆者は考えている。

衆院和歌山1区補選で得た「教訓」
 春の統一地方選と衆参の5補欠選挙。メディアは立憲の「3補選全敗」と、維新の「衆院和歌山1区補選勝利」を対比させ、昨夏の参院選から続く「立憲下げ、維新上げ」を盛り上げた。報道にあおられ、政党支持率はこの後も、維新が立憲を上回る状態が続いた。
 しかし、国政選挙の補選は、政界の「空気」を作るには大きな意味を持つが、政党全体の「地力」をはかることの役には立たない。補選と同時期に行われた統一地方選で、立憲は地味に議員数を増やした。特に女性は公認候補の9割以上が当選する好成績を残した。
「地力がついた」というには全く足りないが、全国各地で選挙を戦った立憲の議員は、おそらく何らかの手応えを感じたのだろう。メディアにどんなにあおられても、補選全敗をめぐり党内で執行部批判が盛り上がることはなかった。
 統一地方選と衆参5補選の後、泉氏は選挙における野党間の協力に慎重な姿勢を強調した。5月にBSフジの番組で「日本維新の会や共産党とは選挙協力をしない」と述べた。共産党は泉氏の発言を批判し、泉氏の地元・衆院京都3区を含め、独自候補の擁立を加速した。
 しかし、言葉遣いの問題はあったとはいえ、泉氏の発言の意図は「選挙協力の否定」ではない。「自力での候補擁立の加速」だった。
 当時政界で「6月解散の可能性」がささやかれるなか、立憲は衆院選挙区での候補擁立が遅れていた。野党「共闘」への期待が自前での候補擁立の遅れにつながっているのでは、との観測もあった。
 立憲が自前の候補を立てない選挙区には、間違いなく維新が候補擁立を狙う。維新が「非自民」票をかっさらって、比例代表のみならず小選挙区でも議席を伸ばし、本当に立憲から野党第1党の座を奪う可能性は否定できない。
 衆院和歌山1区補選の教訓は、実はここにあると考える。

多弱の中で他の野党への「甘え」はなかったか
 野党を力強く牽引すべき立場の立憲の党内に「甘え」はなかったか。選挙区で他の野党に候補を降ろしてもらい、楽に勝ち上がろうという姿勢はなかったか。勝ちを見込めない「保守王国」の選挙区を、他の野党に押し付けようとする姿勢はなかったか。
 野党の「多弱連合」状態を脱するには、第1党の立憲が多くの自前の候補を擁立し、自らが野党陣営の中核となる「構え」を作らなければいけない。そこで初めて、立憲が野党内で求心力を取り戻し、協力関係の構築もうまくいく。
 泉氏がどこまで意識していたかはわからないが、5月の「選挙協力しない」発言には、こういう意味があったと思う。
 そして夏以降、立憲は中央政界であまり注目されない地方選挙で、少しずつ結果を出し始めた。
 筆者が初めて潮目の変化を感じたのは、8月27日投開票の神奈川県寒川町長選だ。立憲民主党が推す現職と、自民党が推す新人らによる「与野党対決」で、立憲が推す現職が勝利した。

秋の補選で1勝、支持率も維新に並ぶまでに回復
 1週間後の9月3日には東京都立川市長選で、立憲が推す元都議の新人が、自民党が推す新人(こちらも元都議)ら4人を抑えて初当選を果たした。この市長選に2人の都議が立候補したことで発生した東京都議補選立川市選挙区(10月15日)は、自民、立憲、都民ファースト各党が公認した新人による三つどもえの戦いの結果、都民ファと立憲が議席を獲得、自民の新人が落選した。
 そして臨時国会の開会直後の10月22日に行われた衆参2補選。参院徳島高知補選で立憲など野党各党が支援した広田氏が、自民公認の新人を破った。同日行われた宮城県議選では、自民党が選挙前の議席を6減らすなど自民・公明両党で県議会の過半数を割った一方で、立憲は公認候補10人が全員当選した。
 維新は秋の衆参2補選で「勝てない」とみて候補を擁立しなかった。結果として、実際に「1勝」した立憲など他の野党が注目された。宮城県議選では春の統一地方選同様「維新が初議席」を得たが、そのニュースは「立憲全員当選」の後景に退いた。
 維新には大阪万博の迷走に対する批判の影響もあったのか、各種世論調査で維新に離されていた立憲の政党支持率はここへ来て上向き始め、中には維新と並び、追い越す調査も出てきた。
「支持率が低いから選挙に負ける」のではない。「選挙に負けるから支持率が低い」のだ。裏を返せば「選挙に勝てば支持率が上がる」。そのことを改めて痛感した。
 毎年春と秋にある統一補選。「春」と「秋」との間に、野党をめぐる空気は明らかに変わっていた。

「小さな勝利の積み重ね」が他の野党を変えた
 メディアが「泉・志位会談」なるものを面白おかしく取り上げていた10月24日、泉氏は衆院本会議で代表質問に立っていた。演説の最後に、泉氏は最近のこれらの選挙結果に触れたうえで「生活者目線で特権政治を変え、行財政改革を進め政策を動かす。論戦できる国会にするため、私は戦います。どうか力をお貸しください」と、議場の上階を見上げ、傍聴席の国民に訴えた。

反転攻勢への手応えを感じさせる表情だった。
 岸田政権が予想以上の急激さで崩壊し始めるなか、立憲が地道に小さな勝利を積み重ねてきたことを、他の関係政党が見ていないはずがない。
 次期衆院選に向け立憲に対抗して次々と候補を擁立していた共産が、立憲の「連携と心合わせ」にかじを切ったのも、その必要性を感じたからだろう。そのためには「会談」「合意」といった党内向けの言葉が同党には必要なのだろうし、それを気にしない程度の「余裕」が、立憲には生まれている。

共産を毛嫌いする国民民主や連合の変化
「共産党との連携」に強い拒否反応を示す国民民主党や連合にも、変化の兆しがある。
 国民民主党の玉木雄一郎代表は相変わらず「共産党との連携」を振り回して立憲から距離を置こうとするし、連合の芳野友子会長も同様に立憲にくぎを刺し続けている。今や政界で最大の「アンチ立憲共産党」勢力、と言ってもいい。メディアも2人の言葉をありがたがって取り上げる。

しかし、2人の言葉が必ずしも言葉通りに機能しているわけではない。
 国民民主党は先の衆院長崎4区補選で、立憲の公認候補を推薦も支持もせず、関与の弱い「支援」にとどめた。しかし、同党長崎県連代表の西岡秀子衆院議員は、選挙戦で立憲候補の応援に入った。立憲との距離感について、国民の党内には温度差がある。
 泉氏と志位氏の「あいさつ回り」の際、玉木氏はこれまでに立憲と行ってきた選挙区調整について「ご破算」の可能性に言及したが、泉氏は「玉木氏は何を見ているのか」と一蹴した。その後も、立憲と国民が9月に選挙区の「すみ分け」に合意した福岡でも、それをご破算にする動きはみられない。

「多弱の野党」を変える2つのステップ
 一方の連合。芳野氏は11月9日の泉氏との会談で、次期衆院選で共産党の支援を受ける候補は推薦しない方針を伝えた。しかし翌10日の記者会見で、立憲候補の演説に共産党関係者が応援に駆けつけることについて「現実問題として仕方ない」とも述べた。「他党の支援がなくても勝てるよう地力をつけてほしい」とも付け加えたものの、芳野氏の発言としてはかなり意外性のあるものとなった。
 そもそも、連合の清水秀行事務局長は10月27日、泉氏と志位氏とのあいさつ回りについて「共産党が少し過剰反応したのではないか」と記者団に語り、問題視しない考えを示した。トップの発言と組織の動きが必ずしも一致しないのは、国民民主党も連合も同様である。
「多弱」の野党のなかで第1党として求心力を得るためには、まず自らが野党の中核としての立場を確立し、その上で他党に協力を呼びかける、という2段階のプロセスを経る必要がある。
 2021年衆院選、22年参院選の連敗でいったん「多弱」の状態に押し戻された野党が再び「まとまる」ため、泉氏はまず地道に党勢を拡大し、勝利体験を積み、求心力が上がったところで他党への協力を呼びかけた。思えば、立憲の初代代表の枝野幸男氏が結党当初、党勢拡大のために取った方法も、これと同じだった。

「立憲共産党」という批判にも党内の動揺はない
 立憲の戦略は不十分とはいえ、一定程度奏功している。共産党にせよ連合にせよ、それぞれの関係者が「決して自らの立ち位置を大きく動かしてはいない」という建前のもと、渋々ながらも「野党は協力」の路線を認め始めている。立憲の小さな「勝利体験」の積み重ねが、目立たなくても少しずつ、野党の求心力再生につながりつつある。
「立憲共産党」という言葉からは、立憲の党内を動揺させて打撃を与える力は、もはや失われている。むしろ今後は、この言葉にしがみついて自民党や維新に色目を使い、かつての「保守系第三極」的な立ち位置を目指そうとする勢力が、逆に打撃を受けることになるのではないか。>(以上「PRESIDENT Online」より引用)





 「なぜ自民党候補の落選が相次ぐのか…岸田首相の失政だけではない、立憲民主党の存在感が増しつつある理由「立憲共産党」という批判にも、動じない芯がある」との見出しで尾中香尚里(ジャーナリスト)氏がPRESIDENT誌上から野党応援の檄を飛ばした。
 昔は労働組合のスローガンに「闘う総評」というものがあった。闘わない「同盟」に対する揶揄でもあったが、総評を支持母体とするのが社会党で、同盟を支持母体とするのが民社党だった。

 その流れは現代も続いているようだ。総評系の労働組合で最大のものが「国労」であり」労働」だった。両者とも国鉄の労働組合で、それらは激しい労働運動を繰り広げた。そのため自民党の中曽根内閣は国鉄の解体による国鉄労働組合の解散を主目的として、国鉄分割民営化を強行した。それにより日本の鉄道インフラは弱体化し、ことに地方ローカル線は不採算を理由に廃線の憂き目にあい、現在もあいつつある。
 当時の社会党は国鉄の分割民営化に断固として反対すべきだった。そしてマスメディアも現在の鉄道輸送の弱体化を見通した論戦を国に挑むべきだった。今になってトラック運転手が不足しているなどと、自民党政権が寝言を言うべきではないだろう。こうなることは当時から分かっていたことではないか。

 現在も何によって動かされているのか知らないが、自公政権は「国のかたち」を変えようとしている。構造改革により郵政分割民営化が強行されて、社会インフラの最たる郵便制度が分割民営化された。日本は国家として弱体化しつつある。しかしそれ以後も高速道路が分割民営化され、さらには地方自治体が死守すべき水道事業までも民営化への道を開いた。
 「改革」はすべて善であり、「継続」はすべて悪だという風潮は何だろうか。そのくせ国会議員の世襲批判は依然として低調だ。そうした世論を誘導しているのはマスメディアで、マスメディアの背後にいるのは経済団体だ。彼らはグローバル化の名の下に、米国ですら成し遂げていない消費税(国の税としては米国に消費税はない)導入を支持し、米国では国家として郵便事業を行っているが「民営化こそ合理化だ」と叫んで分割民営化を支持した。そしてLGBT法に関しても、米国では国家としてLGBT法を持たないが、次々期大統領選に意欲を燃やす愚かな駐日米国大使が自身の手柄にするために使嗾し、使嗾された岸田政権が日本に導入した。

 こうして日本は相次いで国家として死守すべき「採算性よりも確実性」を優先すべき国営事業を国家が民間に売却した。そうした延長線上に国立大学の独立法人への改革があった。その名目も「稼げる国立大学」への「改革」という馬鹿げた名目だった。成果の出ない研究は「採算性」がない、という理屈だが、それは研究をしたことのない愚かな連中が考えるプラモデル製作段階のお遊びでしかない。採算性の悪い研究だからこそ、国が支援するのが本来のあり方ではないのか。
 そうした採算性を当初から度外視した研究が盛んだったからこそ、日本はアジア諸国の中で抜群のノーベル賞授賞者を排出する国になったのだ。しかし今後は絶望的だろう。研究開発費を削減した国に研究開発そのものが衰退するのは目に見えている。食えないオーバードクターがバイトに精出すようでは、日本の未来は決して明るくない。

 「改革」によって日本は成長したのか。「構造改革」によって日本の厚かった中間層は何処へ行ってしまったのか。おおむね貧困層へ下方シフトして、子供の1/6が貧困家庭だという。「改革」によって日本は豊かになったのか。「改革」によって日本国民の幸福度は増したのか。「福祉目的税」と称する消費税の創設により、日本国民の福祉は手厚くなったのか。国民年金で国民はすべて文化的で安定した暮らしが営めるようになったのか。
 最近の30年間で、若者たちは誰もが明日への不安がなくなり、愛する異性と婚姻して家庭を営めるようになったのか。消費税が創設されたのは平成元年だったが、それ以後、日本の福祉は手厚い北欧並みになったと云うのか。

 すべては機構であり、現実は消費税が法人税の引き下げと、富裕層への超過累進課税の解消のために使われたのではないか。そうした「改革」ばかり断行して来たのが自公政権だ。いい加減、国民は目を醒ますべきだ。近頃は維新が専売特許のように「改革」を口にしているが、彼らが仕出かしている政治とは何か。愚かな大阪都構想であり、万博であり大阪IRではないか。それらは「利権政治」と呼ぶべき代物ばかりだ。
 野党連合に政権交代しなければ、日本は衰亡するだろう。消費税を廃し、経済成長を強力に推進しなければ、日本経済は日本国民を養う力すら喪失する。若者たちに残す日本の姿が衰退した日本であって良いのか。自公政権の「改革」と称する日本弱体化政治はもう沢山だ。

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