chatGPTは21世紀に産業革命をもたらす。

<アメリカのベンチャー企業、OpenAIが2022年11月30日に公開した対話型オープンAI「ChatGPT」は、人類の知的活動における生産性を飛躍的に高める可能性を秘めていると考えられます。話題になるのは当然と言えます。

 ところがこの4月、新しい学年、年度を迎える中で日本の多くの大学では、大学として「利用の禁止、制限」をするというメッセージを発信しているようです。報道によれば、例えば、上智大学は「リポートや学位論文でChatGPTなどのAIが生成した文章や計算結果などを、教員の許可なく使うことを禁止」と、ここまでは当たり前ですが、「使用が判明した場合、厳格な対応を行う」というネガティブな告知を行っています。
 4月7日に行われた京都大学の入学式では湊長博学長が、AI生成の論文には問題が多いと述べ、「文章を書くということは、非常にエネルギーを要する仕事だが、皆さんの精神力と思考力を鍛えてくれる」とスピーチの中で訴えたようです。間違ってはいませんが、やはりAIに対する姿勢はネガティブです。
 もちろん、学生が「自分は理解していない」くせに、「AIが出力した解答」を丸写ししては全く学力は伸びません。まして、自然科学にしても、人文科学にしても、言語にしても、必要な知識や技能の獲得をサボって、AIで宿題を済ませるようでは、教育は成立しないのは確かです。大学でも、教養課程あるいは各分野の基礎に関しては、AIに頼らずに頭と手を使って学習することは求められると思います。

AI実用化で人間の役割は変わる
 そうではあるのですが、一連の各大学のメッセージ発信が全て「ネガティブ」なことには違和感があります。まるで黒船を恐れる江戸時代の人々や、写真は魂を吸い取るとか、電話するとコレラが伝染ると怖がった明治初期の人々のようだからです。2点指摘したいと思います。
 1点目は、AIが実用化されるということは、教育の定義が変わるということです。AIが多くのタスクをこなす能力と信頼性を持つのならば、人間の役割はより高度に知的な活動にシフトすることになります。つまり、「AIを使いこなす」あるいは「AIのエラーを見抜いて訂正する」活動ということです。
 にもかかわらず「AIを使うのは不正だからAI禁止」という教育を行うということは、「人間がAIに負けていく」ことになります。そんなことをやっていては、やがて人間はAIの命令を受けるか、AIによってエラーを訂正される惨めな存在になってしまいます。
 特に日本の場合は、高校以下の教育が悪しき平等主義や悪しきペーパー偏重入試のために「正解のある」問題だけに取り組むという、中程度の知的活動に限定されています。だからこそ、大学では「AIを使いこなす」という、より高度な知的活動へと教育の目標を質的に転換しなくてはなりません。
 この文明の転換というべき問題に対して、とりあえず「AIは禁止」とか「論文は手で書いて」などというメッセージを発信するというのは、AIのもたらすインパクトへの危機感が不足している点、教育とか学問のあり方をどう転換していったら良いかということを「考えていない」点で、大きく失望させられると言わなくてはなりません。
 第2の点は、このOpen AIにしても、その協業先やライバルなどの多くもそうですが、シリコンバレーを中心とした外国勢力だということです。この点に関しては、まさにこの4月上旬、当該のOpen AI社のCEOであるサム・アルトマン氏が来日して、岸田首相と会談、さらに自民党本部のプロジェクトチームにも参加して、日本、つまり日本語におけるAIの実用化について協議しています。
 冗談ではありません。日本語の言語データベースを作って言語データを蓄積し、その上で、日本語に最適化したアルゴリズムなどを開発し、現在英語で実現しているような対話型AIを開発することは、日本という文明、日本語という言語の将来を決定する重要な知的、文化的インフラに他なりません。
 それを外資に依存し、外資による支配を受けるというのは、それも初期の段階から首相と与党がホイホイとそれに乗っていくというのは異常です。確かに、日本の現在の風土には、既得権益に脅威を与える技術や商慣習を国内の勢力が導入しようとすると、巨大な守旧勢力が抹殺にかかるという状況があり、あらゆる改革は「外圧頼みの遠回り」をしないと進まないという傾向があるのは事実です。
 ですが、こんな初期段階から首相と与党が白旗というのは奇怪を通り越して悲喜劇としか言いようがありません。どうやら、本当にOpen AIは日本に拠点を設ける構えです。各大学は、日本の知性を代表する気概があるのなら、まず日本語の世界では自前のデータベースとアルゴリズムを持った自国のAIを開発すると宣言したらどうでしょうか。
 そう考えると、AIに関するネガティブなメッセージばかりを発信している各大学の姿勢には、二重に失望させられるのです>(以上「NEWSweek」より引用)



 再びAIについてブログを書く。なぜならchatGPTに関する否定的な発言が多々見受けられるからだ。こうした時に私と同意見の見出しを見つけた。「日本の大学はChatGPTを「禁止」している場合ではない「AIを使いこなす」という、より高度な知的活動へと教育の目標を転換」という見出しだ。
 その内容は上記に「引用」してあるから、ご一読して頂きたい。かつて蒸気機関が発明された当時、誰が産業革命をもたらすと予言しただろうか。玩具のような荷車の先頭に突き出た大きな窯で蒸気を発生させて、時速三キロという歩くよりも遅い能力に「産業革命」の動力として利用されるとは多くの人は思いもしなかっただろう。

 今日chatGPTに質問すると、ほんの一秒後には回答を書き始めるAIの優れた機能に驚きを禁じ得ない。既に一部企業ではルーチン作業ではない簡単なメール作成や、社会システムのエクセル・マクロなどのプログラム作成をAIに任せている、という。ただ完成プログラムをチェックしなければ、誤りが皆無とは云えないという。しかし間違いを指摘するとAIは詫びて修正したプログラムを作成する。実に有能なアシスタントだそうだ。
 chatGPTはこれまで「生産性向上」から置き去りにされていた「管理部門」に画期的な「生産性向上」をもたらすだろう。AIの参入は間違いなく「21世紀の産業革命」になる。それはアイディアはあるが体系として文章化することが苦手、とか、ビジュアルとしてパワポ作成が苦手なためプレゼンで失敗を繰り返していた人たちにとって朗報だ。いや朗報以上にパワポ作成に取られていた時間が有効活用できる利点が素晴らしいだろう。

 現在のchatGPTはまだまだ未成熟だ。推論を重ねるにしても、現行のAIアルゴリズムは基礎科学の知識などの知識を基にして検証した上での「推論」ではないようだ。現代の常識の上を素早く動き回ってデータを収集して書き替えているだけのようだ。
 しかしAIが基礎科学から人類が獲得したすべての知識を一から学んで、その上で最新データをもとにAI学習するなら、一流の研究者にとっても得難い研究助手になるだろう。ただAIは自らが課題を発見して、自らがテーマを設定して研究するようには出来ていない。そうした意味で、AIはCopilot(コ・パイロット副操縦士)なのだろう。

 現在、私は手作業でこのブログを書いている。平均すると一つのブログを書くのに要する時間は約一時間。一日に「国の内外記事」を書くように努めているため、かなりの時間をこのブログ更新に割いている。しかし自動筆記が可能になり(音声文章化は現行でもかなりの水準に達しているが、まだまだ読み返しと修正が必要な段階で、その手間暇を考えると自分で書いた方が早い)、私がマイクに向かって話せばその内容をAIが段落や論理展開なども配慮した文章を書きだすだろう。
 そうすると個性的な文章は世間から駆逐されるかも知れないが、発想の個性まで均一化することはない。あくまでも考えるヒントを支持するのはヒトであって、AIは指示されたヒントに従って膨大なデータを瞬時に検索し再構成するものでしかない。AIが高度化しさらに完成されるに従って、AIこそが21世紀に産業革命をもたらす「現代の蒸気機関」になるだろう。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。