ドイツは何処へ向かおうとしているのか。

市内中心部への乗り入れ禁止
 2月1日から、ミュンヘン市内で一部のディーゼル車の走行が禁止された。
 ミュンヘンは150万都市だ。ここから車を締め出すなんて、あり得ない……と思いきや、デンマークのコペンハーゲンでは、すでに半分の人々が自転車通勤だというし、スペインのバルセロナやら、ノルウェーのオスロやら、ヨーロッパのあちこちの都市で「カー・フリー・ムーブメント」が盛り上がっているらしい。
 思えばベルリンやハンブルクでも、市の中心から車を締め出し、徒歩や自転車や公共の交通機関だけで生活が営めるような街づくりプロジェクトが進んでいる。その上、ドイツでは今や電気もガスも足りないのだから、このままでは、私でさえ知らないような時代へ Back to the future? ひょっとすると、ミュンヘンは時代の先端を行っているのかもしれない。ちなみに、ミュンヘンの市議会では緑の党が第一党だ。
 ドイツのディーゼル車には、 “ユーロ”と名付けられた、EUの指令に基づいた排ガス基準が定められている。1992年の基準値が“ユーロ1”、97年のものが“ユーロ2”、2001年、2006年、2011年、2015年と次々と改定され、今は“ユーロ6”。
 これが具体的に何を意味するかというと、例えば、2001年基準の“ユーロ3”の車では、窒素酸化物の排出は、1km走行あたり500mgまで許されていたが、2006年の“ユーロ4”では250mgと半減。2011年の“ユーロ5”で180mgとさらに厳しくなり、2015年からは80mgだ。これらを満たしていない車は、新車登録ができない。
 ちなみに“ユーロ6”が定められた2015年というのは、フォルクスワーゲンの排ガス不正が明るみに出た年で、これを機にドイツでは、ディーゼル車は環境を汚す悪玉となった。ディーゼル車に乗るのが憚られたような時期さえあったほどだ。もっとも、なぜ、あそこまで突然、フォルクスワーゲンが槍玉に上がったのかは今でも謎だが、それはまた別の話。
 いずれにせよ、あの事件以来、車を買い替える人はディーゼルを選ばなくなり、ディーゼル車は車の中のいわば絶滅種となるべく運命づけられた。だから、ドイツで走っているディーゼル車の数は、2018年より徐々に減少している。
 とはいえ、快調に走っている車をわざわざ手放す人はいないから、ディーゼル車の割合は未だに高い。21年、ドイツで登録されているディーゼルの乗用車は1506万台で、乗用車全体の31.2を占める。
 ところが冒頭に記したように、ミュンヘンでは2月1日より、“ユーロ5”と“ユーロ6”以外のディーゼル車は市の中心には入れなくなった。それどころか、今年の10月からは、禁止はさらに“ユーロ5”まで拡張されるという。
 “ユーロ5”は、現在、ドイツで一番たくさん走っているディーゼル車で(全体の37%)、窒素酸化物の排出もすでに劇的に改善されているにもいるにもかかわらず、である。例外は、警察と救急。その他、タクシー、福祉関係の車輌、霊柩車、夜勤あるいは早朝勤務のある人、また、禁止地域の住人など。

「完全にたがの外れた政策」

 前述のように、ミュンヘンの市議会で最大議席を占めているのは、自動車も、原発も、CO2も大嫌いな緑の党だ。ミュンヘン市長は市民の直接選挙で選ばれるので社民党だが、彼も緑の党に負けず劣らずの自動車嫌いらしく、車が減ることには異議なし。
 それもあり、ミュンヘンではこれまでずっと、車がなるべく走りにくくなるような街づくりが行われてきた。だから、渋滞もひどく、当然、大気汚染も助長される。ディーゼル禁止の理由も、大気汚染による健康被害だという。
 しかし、もちろん、これに最初から反対していた人たちもいる。
 CSU(キリスト教社会同盟)も反対だったし、自動車クラブ「Mobil in Deutschland.e.V.」の会長、ハーバーラント氏の言葉を借りるなら、「完全にたがの外れた政策」となる。なぜなら、“ユーロ4”を使っている業者はどの職種でもまだまだ多く、このままでは市内のサプライチェーンが壊滅しかねないからだ。
 工事の人は市内の現場にも行けなくなり、遠くから年老いた親を訪ねることも難しくなり、旅行者だって甚だ不便だ。ミュンヘン市当局は、市の中心から外れたところに駐車場を作り、そこで市電やバスに乗り換えるよう提案していたというが、あまりにも非現実的すぎる。
 法律や条例や指令には明確な目的が必要で、実施される措置の規模と影響範囲は、その目的に適っていなければならない。しかし、反対派の主張では、ここ数年、ミュンヘンの排気ガスは劇的に改善されているのだから、今回の措置に意味はない。市民の権利を奪っているだけだ。
 しかも、お金がなくて、新しい車に買い替えられない人が一番困るのだから、反社会的でもある。ドイツではちょっと都会を外れれば、車は贅沢品ではなく、ライフラインに等しい。そんなわけで、CSUの議員とハーバーラント氏のイニシアチブで、数人が法廷で争う構えだという。
 ミュンヘン市当局も、これはまずいと思ったらしく、1月に大慌てで例外の枠を大幅に広げ、オンラインで申請して認可された人は、年間50ユーロを払えば禁止が解除されることになった。50ユーロなら、もちろん、皆が申請を試みるので、この指令はすでにザルとなりつつある。
 ただ、緑の党の公約には、元々、このディーゼル締め出し政策が入っていたと言うから、それを選んだ市民はいまさら文句を言える筋合いではないかもしれない。いずれにせよ、ミュンヘンは、コペンハーゲンのようには行きそうもない。

環境活動家の笑うしかない言行不一致

 それでも、ドイツで緑の党の力が強大になっていることは否定できない。
 本来ならば、エネルギーの安定供給を使命としているはずのハーベック経済・気候保護相(緑の党)もCO2削減に夢中で、彼の悲願であった風力発電拡張のための新しい法律が、やはり2月1日より施行されている。これにより、今後はとにかく1基でも多く風車を立てるため、自然保護や動物保護にはあまり考慮しなくても良くなるらしい。
 ただ、現在すでに3万本もある風車がたとえ2倍になっても、原発のなくなるドイツでは、風のない時はガスと石炭に頼るしかなくなり、CO2が減ることはない。風車を増やしたい理由は、CO2の他にもあるのではないか。
 そんな折り、昨年より世界のあちこちの美術館で有名な絵画にスープをかけたり、道路に接着剤で手を貼り付けて大渋滞を引き起こしたりして話題になった環境団体「ラスト・ジェネレーション」が、違った意味で注目されている。同組織の活動家が、通勤時にシュトゥットガルトの動脈とも言える国道を封鎖し、多数の市民に多大な被害を及ぼしたとして、強要罪で訴えられ、その公判が1月30日に開かれたのだ。
 ところが、接着剤で道路に張り付いた被告の男性と、証人として出廷するはずだった仲間の女性がバリ島に遊びに行ったとかで、裁判所に現れなかった。ラスト・ジェネレーションは、車はもちろん、飛行機に乗る人をも弾劾し、昨年は何度も空港に忍び込んで飛行機の運行の妨害を試みて拘束されていたのだから、言行不一致も甚だしい。
 雲隠れした活動家について問い合わせを受けたラスト・ジェネレーションのスポークスマンは、「二人は活動家としてではなく、私人として飛んだ。それらは分けて考えるべきだ」と苦渋の返答。笑うしかない。
 2月6日月曜、懲りないラスト・ジェネレーションは、再び全国で道路封鎖の活動を開始し、ベルリン、デュッセルドルフ、ライプツィヒなど11の都市で、主要道路に張り付いて渋滞を起こした。彼らはこれを1週間続けると宣言している。

環境保護派と産業保護派との熾烈な戦い

 警察はこれまで彼らの暴挙に対し、遠慮した対応しかしてこなかったが、今回は怒ったドライバーが、活動家を自分たちで“撤去”しようとしているビデオがネットで出回っている。警察なら、特殊な溶剤を使って丁寧に接着剤を剥がしてくれたが、怒ったドライバーはそれほど優しくない。下手をすると手は血だらけになる。以前は活動家側がそれを傷害罪で訴えたものだ。
 環境を守りたい気持ちは、皆、同じだろうに、今やドイツの世論は真二つに分かれている。ミュンヘンのディーゼル禁止も、風車の倍増も、温暖化防止には全く役立たないどころか、経済を破壊するだけだと思っている人が半分。
 残りの半分は、ラスト・ジェネレーションのような、ほとんど犯罪に等しい活動家を見ても、「若者がこのような行動に出るのは、温暖化対策が進まないことに絶望しているからだ」と、共感を示す。接点は見つかりそうもない。
 ただ、緑の党が経済・気候保護省を握っている限り、政治は反CO2で、しかも、かなり過激に進んでいくことは間違いなく、いわゆる環境保護派と産業保護派との熾烈な戦いは終わらないだろう。こうなると、今や最大の問題は、勝敗が付く前にドイツの産業が再起不能に陥ってしまうことである。
 すでに産業の空洞化は始まっている>(以上「現代ビジネス」より引用)




ドイツ・ミュンヘンの「厳しすぎるディーゼル規制」が国内産業に及ぼす“見過ごせない影響”」と題する論評が掲載された。書いたのはドイツ在住の川口 マーン惠美氏( ピアニスト・大学教授)だ。
 ドイツは環境に神経質な国家で知られている。しかしロシアのウクライナ侵攻でドイツがロシアの天然ガス輸入大国だということが世界に知れた。風力発電などの利用が進んでいるが、ドイツのエネルギーを賄うことは到底できない。

 私はそもそもCO2温暖化説など全く信じていない。むしろ光合成植物のためにはCO2濃度が少しくらい増える方が良いのではないかと考えている。日本では生ゴミの焼却にエネルギー不足を補うために分別収集した廃プラを混入させているが、ドイツではどうしているのだろうか。
 環境保全に異論はないが、太陽光発電が必ずしも環境保全になるとは思わないし、原発に到っては廃棄放射性物質の処理で環境を著しく何世紀にもわたって棄損するため、決して賛成できない。よって現代の人類がエネルギー源として利用するのは原油や石炭などの地下資源以外に選択肢はない。

 だがドイツではドイツで緑の党の力が強大で「ハーベック経済・気候保護相(緑の党)もCO2削減に夢中で、彼の悲願であった風力発電拡張のための新しい法律が、やはり2月1日より施行されている。これにより、今後はとにかく1基でも多く風車を立てるため、自然保護や動物保護にはあまり考慮し」ていないようだ。その証拠に海上風力発電の風車の羽(東京タワーほどの巨大な発電機のため、羽の半径も100メートル以上あって、先端の回転速度は新幹線よりも早くなる)に当たって、毎年一万羽を超える渡り鳥が犠牲になっている。
 しかし何が何でもCO2排出に拘る緑の党は移動に飛行機を使用するのにも反対するほどで、もはや常軌を逸している。なぜ地球温暖化とCO2濃度とはそれほど密接な関係がないことを学校で教えないのか、不思議でならない。アインシュタインを生んだ科学国ドイツで非科学的な論理が持て囃されるのか、不思議でならない。

 もちろん健康を害するガスや粉塵の排出には規制値を設けるべきだが、それも一定の数値を達成すればそれを以て了とすべきだろう。CO2排ガス規制を突き詰めていけば、CO2濃度0.4%の大気を呼吸して4%の息を出している人間の存在そのものを問題にしなければならなくなるのではないか。
 核融合エネルギーが利用され始めるまで、人類は化石燃料を最大限エネルギー効率を高めて利用するしかない。そうした意味でも電気自動車など愚の骨頂だ。一次エネルギーの方が二次エネルギーよりも熱効率が良いのは科学の真理だ。

 ドイツ人は時として不条理なものに熱中する性癖があるのだろうか。ナチスに熱中して欧州に戦禍をもたらしたように、現在はCO2温暖化に熱中して海上環境を徹底的に破壊し、熱効率の良いディーゼルエンジンを駆逐しようとしている。川口 マーン惠美氏ならずとも仰天して嘆息するしかない。
 何であれ人が活動すると、必ずエネルギー消費を伴う。機械を使わなくても、考えるだけでも脳がブドウ糖を消費する。それもまたエネルギー消費といえるだろう。

 人が利用するエネルギーの大半は酸化エネルギーだ。結果としてCO2を排出するのは避けられない。従ってCO2排出を「悪」と決めつけるのは人の存在否定でしかない。
 ドイツは究極のCO2排出制限を行おうとする疫病に憑りつかれたかのようだ。だが実態は巨大な風車を海上に幾つも建設して、巨大な羽で万を超える渡り鳥を撃墜している。広大な土地に敷き詰めた太陽光発電パネルは膨大な産業廃棄物の処理の必要に迫られる。すべてが上手くいくエネルギーなど存在しない。物質転換を伴うものは必ず環境に負荷をかけるからだ。

 しかし自然の物質普遍原理に基づく循環の一環であるなら、深刻な環境破壊をもたらすことはない。自然発火の山火事と、機関車や工場などが排出するCO2と何処が異なるというのか。あなたが今吐き出した息のCO2と何処が異なるというのか。
 もちろん人の営みで排出されるCO2は最小限に止めるべきだ。常に省エネに意を配って、地下資源の消費を最小化する試みを続けなければならない。人類が輩出したゴミは人類が責任を持って処理すべきだ。「緑の党」は飛行機を否定し、自動車を否定し、工業生産を否定するなら、ドイツは何処へ向かえば良いのか。コソッとロシアから天然ガスを輸入して、大量消費するのはお目溢しするのか。ウィグル人を奴隷のように使役して自動車を中国で生産するのなら、ドイツ国民の目に見えないからO.Kなのか。そんな子供騙しのような欺瞞が罷り通って、良心が少しも傷まないのだろうか。さて、ドイツは何処へ向かおうとしているのだろうか。

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