60年経過した原発は1960年当時の科学技術の劣化したローテクの塊でしかない。

 <60年以上も可能に?なぜいま原発の運転期間延長が議論されたのか

 日本の原子力発電所の「寿命」に関しては、これまでは運転期間で原則40年、最長では60年とする「40年ルール」が適用されてきました。ですが、これを改め60年超の運転を可能にする改正制度の骨子案について原子力規制委員会での審議が続いています。

 報道によれば、8名の委員の中で1名が反対しているそうですが、この問題、どうにも表面的な報道ばかりで困っています。
 まず大前提としては、国としてはジャンジャン原発の数を増やしたいので、増設もするし、既存のものは運転期間を延長したいというわけではないということです。そうではなくて、新設や増設には世論の理解が得られないというのが大前提になっています。
 ですが、現在の日本経済は製造業依存型ですからエネルギーがどうしても必要です。だからといって、いつまでも化石燃料をモクモク燃やしていては国際孤立を招きます。そこで、何とか原発比率を適正なまでに高めて排出ガスの抑制をしなくてはなりません。そこで既存の発電所の稼働延長という話が出てきたわけです。
 もう一つ重要なのは、原発の部品というのはどんどん交換しているということです。そんな中で、どうしても交換できないのが「お釜」と言われている「原子炉圧力容器」です。これは特別なクオリティの分厚い鋼鉄でできた「炉心の入れ物」です。ということは原発の寿命イコールこの「お釜の寿命」だと言えます。
 ではその寿命は何年かというと、これは温度や圧力だけでなく、中性子照射による「脆さ」の問題など専門的なデータによって判断すべきです。
 今回、延長に反対している委員は報道によれば地質学者で地震や津波の審査をする専門家だそうです。これは少し心配です。そうではなくて、金属工学の専門家で、この中性子照射の問題を専門的に研究している人の検討結果について、しっかり透明性を確保して、合意形成がされるようにしなくてはなりません。
 必要に応じて、この分野では世界一と言われている日本の各製鉄メーカーも協力して、世論に対して誠実な説明を行う必要があると思います>(以上「MAG2」より引用)



 60年の耐用年数を「不稼働期間を入れて計算すべきだ」という屁理屈によって日本の原発の稼働年数が延長されようとしている。確かに物はすべて劣化している。自動車であれ自転車であれ、輝く新車も時の経過とともに劣化しやがて廃棄される運命にある。
 それは原発も同じだ。主にコンクリートと金属と電子機器及び想像を絶するほどの配管から作られている原発も、歳月の経過とともに劣化し廃棄されることを予定している。その予定した期間40年をさらに20年延期し、また「未使用期間」を加算して利用可能にしよう、という決定は余りに人間の都合だけを優先したものでしかない。

 工業製品は造られる時に「予定使用期間」を想定しているものだ。それが耐用年数であり、摩耗により交換することを当初から予定されている「部品」を除き、その予定された期間は機能するようにすべての部品に到るまで安全に機能するように設計されている。
 建設された当時に予定された使用期間が40年なら、40年経過時に原発の稼働を停止して廃棄処分に向けて燃料棒を引き抜き原子炉の解体へ向けて残存放射能を処分しなければならない。その工程だけでも数十年を要するだろう。

 工業製品は製造された当時の科学技術のレベルを決して超えない。原発も然りだ。建設から60年も経過した原発は1960年当時の科学技術で建設されたものだ。監視カメラや各種センサーは更新されて現在のものになっているだろうが、基本的な原子炉やその中の細管等は1960年当時の科学技術のレベルでしかない。
 考えて頂きたい。1960年当時の自動車がいかにローテクだったかを。エンジンの基本的な構造は同一だとしても、その周辺機器の進歩は著しい。もちろんエンジンの性能も飛躍的に進歩している。原発も同じことだ。60年経過した原発は基本的な部分が高い放射能に晒されてポロポロになり、家屋の基本的な強度も低下しているだろう。原子力規制委員会の五人の委員のうち四人までが稼働延長に賛成したというが、彼らはどのような科学的知見を備えた人物なのだろうか。恐ろしいほどの原発推進派学者が顔を揃えているとしか思えない。規制委員会ではなく原発推進委員会と名称変更すべきではないか。彼らは周辺住民の安全や原発で働く労働者の被爆の危険性を全く考慮していない。

 不幸にして原発で事故が起きれば、福一原発を顧みれば明らかだがその影響は広範に長期間に及ぶ。経年劣化した原発は基本的な部分で、事故の起きる可能性は高くなっている。誰が考えても分かることだろう。いかに寿命延長工事を施したとしても、予定された耐用年数を著しく延長させるものではない。それは事故が起きる確率を引き下げる程度のものでしかない。
 原子力規制委員会委員諸氏が科学技術者なら、そうしたことは充分に認識しているはずだ。それとも政府補助金に連なる科学者で、政府の意向に抗えない「御用科学者」たちなのか。政府委員にはそうした人たちが群がっているのか、CO2温暖化を「殿御乱心」と諫める科学者が皆無なのも、そうした環境だからなのか。EUでは2035年にすべての自動車登録はEVしか認めない決定をしたという。中世の魔女狩りを目の当たりにしているかのようだ。

 現代も中世のゾンビたちが跋扈している。ロシアには先の大戦で絶滅したはずの独裁者による侵略戦争が大々的に実行されている。近隣諸国にも国民が飢え時にしようと、自身は丸々と肥満して、一発当たり国民数万人分が飢えを満たされる食糧費に相当するロケットを打ち上げて欣喜雀躍するイカレた独裁者までいる。
 政治は国家と国民のためにあるし、国家は国民を護る「家」でなければならない。国民を閉じ込める「檻」であってはならない。そうした基本的なことを理解しない政治家が世界中で大きな顔をしている。人間の進歩などどこにあるのか、と嘆くしかないが、だからこそ大海の一滴であろうと、このブログを書き続けなければならないのだ。

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