蛙の子は蛙だが、国会議員の子は国会議員ではない。

<その名前をもじって、デタラメなどとも言われた原子力安全委員会の委員長が亡くなった。2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故の時のその役職者である。

 当時は民主党政権で、首相の菅直人に同行して事故現場を訪れたが、原子炉建屋の水素爆発を予測できなかった。
「爆発する危険はないのか」と菅に問われて、
「大丈夫です。水素はありますが、爆発するようなことはありません」と答えて、
 東工大出の菅に「水素があるんなら、爆発するだろ!」と怒鳴られた話は有名である。
 あのころ、連日のようにNHKに出て解説していた東大教授の関村直人も、
「メルトダウンはしていません」と言って赤っ恥をかいた。
 それで私は、関村のアタマが最初からメルトダウンしていたのだと皮肉ったが、班目にしろ関村にしろ、こうした人間が”専門家”面をしてきた。俗に「専門バカ」というが、「専門もバカ」なのである。
 そんな班目が、原発震災の危険を説いた地震学者の石橋克彦を侮辱してきた。
 2011年5月号の『世界』掲載の石橋の「まさに『原発震災』だ」によれば、静岡県議会の委員会資料の「石橋論文に関する静岡県原子力対策アドバイザーの見解」の中で、「原発は二重三重の安全対策がなされており、安全にかつ問題なく停止させることができる」とか、「万一の事故に備えてECCS(非常用炉心冷却装置)を備えており、原子炉の水が減少してもウランが溶けないようにしている」と述べている。そして、「石橋氏は原子力学会では聞いたことがない人である」と続けているのだから許し難い。

 水俣病の場合も、チッソや国に責任はないと主張し続けた御用学者はいた。東工大教授の清浦雷作らである。彼らは有機水銀説を唱えた熊本大学の原田正純らを「田舎大学の学者が何を言うか」と排斥した。
 いまから考えれば御用学者どころか有害学者である。班目はその有害御用学者の系譜に連なる。彼らは、たとえば静岡県の中部電力浜岡原発を危険と訴える学者たちを中傷し、非難してきた。
 浜岡原発をめぐる訴訟で、中部電力側の証人として出廷した班目(当時、東大教授)は、
「すべての電源が喪失するようなことを想定していては、原発はつくれない。どこかで割り切らなければ」と発言した。これが学者の言うことか。こんなセンセイに教えられた学生がかわいそうである。
 私は事故直後に『原発文化人50人斬り』(毎日新聞社)を出したが、被災者は死後も班目を許さないだろう>(以上「日刊ゲンダイ」より引用)




 佐高信氏(評論家)の「班目春樹は「有害御用学者」の系譜に連なる 「専門バカ」ではなく「専門もバカ」」と題する記事を引用した。岸田氏が原発再稼働どころか、新規建設に舵を切ろうとしている昨今、原発の恐ろしさを喚起しておくべきと考えたからだ。
 故人に鞭打つのは気が進まないが、班目氏は原子力安全委員会の委員長に最もふさわしくない人物だった。なぜなら記事中にもある通り、嘘ばかり言っていたからだ。水素があっても原発は爆発しないと言ってみたり、「すべての電源が喪失するようなことを想定していては、原発はつくれない。どこかで割り切らなければ」と発言したが、福一原発では総電源停止により水素爆発が起きて炉心がメルトダウンした。

 班目氏は御用学者もここに到れり、というべき人物だった。原子力安全委員会の委員長を拝命していたのが不思議でならない。そして国策に沿って原発の広告塔を勤めた文化人やタレントたちは心の底から反省しているだろうか。
 またぞろ、CO2削減から自然発電が不安定だから原発に頼らざるを得ない、とお笑い芸人のホンコン氏なども発言しているようだが、CO2削減が環境を護るために必要だ、という理論自体を微塵も疑わないのは何故だろうか。むしろCO2をこのまま削減したなら光合成植物が死滅して、空気中の酸素濃度が低下する事態をも招きかねない、という事実をいかに捉えているのだろうか。

 往々にして環境を語る人たちは、環境を騙ってカネ儲けに走っている人たちだ。ダイオキシン騒動で地域社会や家庭にあった「焼却炉」を撤去させて、ゴミの減量化ならぬ増量化を図り、ゴミ収集事業と大規模焼却場、という利権を生み出した。それに支払う各地方自治体に「ゴミ処理費」の総合計が如何ほどの巨費になるかを考えたことがおありだろうか。
 原発に関係する研究開発から現在に至るまで、どれほどの国費が投じられているか。会計学で原価計算をする際にはそうした国費も原発関係の「原発発電コスト」に算入すべきだ。そして放射性廃棄物の処理から最終処分費用まで推計して「原発発電コスト」に計上すべきが現代会計学のあり方だが、原発だけは「原価総括方式」と称する「発電時に発生するコスト」だけで原発の発電コストとする、というのだから発電原価そのものが不正だと言わざるを得ない。

 そうした会計学の基本的理論を無視した計算方式を導入した「発電方式別コスト」を並べて比較するマスメディアの関係者諸氏の頭もどうかしている。未だ発生していないコストも、期を跨ぐ民間事業などでは当該事業で発生すると見込まれるコストを「賦課済み金」として計上するのが常識だ。原発関係で将来発生すると見込まれる最大のコストは放射性廃棄物の最終処分費用と原発建屋の解体後の管理費用だろう。
 そうした天文学的な経費に関し、全て無視している現行の原発発電コストはとても他の発電方法と比較できる代物ではない。東大教授が名を連ねている原子力安全委員会の間違ったアドバイスが福一原発事故を招いた。彼らは揃って記者会見して、過去の間違った発言を国民に謝罪し、潔く委員を辞任すべきだった。しかし彼らの多くは原子力安全委員会に居座り、現在も大きな顔をして間違ったアナウンスを行って国民の判断を狂わせている。

 しかし真実を語って生活するのは容易なことではない。なぜなら国家予算や地方自治体の予算を牛耳っているのは一握りの官僚たちで、彼らの気紛れな意思が国策となって、国策に沿った「御用学者」に予算が流れ、政府委員会の委員の指名が下り、研究開発が維持できる仕組みになっている。だから国策を批判する私たちのような健全な国民には国家のみならず地方自治体などのすべての委員会から排除され、無冠のまま生涯を終えるしかない。
 だが、そうした覚悟なしには自身に悖らない人生は送れない。「真実不虚」を掲げる般若心経の信念なくしては国策批判など出来ない。肩書で相手を見ていては判断を誤ることになる。多くの東大教授が名を連ねている「原子力安全委員会」のお墨付きがあっても、福一原発を防げなかったことからも明らかだ。高齢者全般が老害なのではなく、長年各界に居座って「権威」を獲得した者が猶も居座り続けていることが老害なのだ。そして世襲議員は老害を代々積み重ねた果ての誤った「権威」が鬱積した老害というべきだろう。福一原発事故で大いに反省したはずが、マタゾロ原発再開を宣言する岸田氏は経験にすら学ばない愚者以下というべきだ。蛙の子は蛙だが、国会議員の子は国会議員ではない。

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