お呼ばれされなかった辛坊氏が怒り狂っている。

<辛坊治郎が9月16日(木)、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』に出演。安倍元首相の「国葬」の実施形態について「詐欺」 「無責任」と憤慨。本来の国葬のあり方について持論を述べた。

 辛坊は「今回の安倍さんの『国葬』に関して、非常な違和感を持っている」と切り出し「私の持っている国葬のイメージは、戦後に行われた唯一の天皇陛下以外の国葬で、吉田首相の国葬。この時に参列されたのは、当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇上皇后両陛下)で、天皇陛下(昭和天皇)は参列されてないが、今回のイギリスの国葬を見ていてもわかる通り、世界の国葬のイメージというのは、元首が主催しなくとも参列をされて、社会的には休日になり、国民全員で喪に服すというのが基本的なあり方だと私は思う」と述べた。 続けて「総理大臣が国葬をすると決めたのなら国葬をすべきであって、現状において天皇陛下の参列がない、休日にもならない、国民へ喪に服すことも求めない、費用は国が負担します…これって国葬じゃなくて“国が費用を負担する葬儀”じゃないのか?」と語った。 
 これに飯田浩司アナウンサーが「まさにそのロジックで、政府は『国葬』と言わないんです。正式には『国葬儀』と言うんです」と返すと、辛坊は「それさ、詐欺じゃねぇか?」と憤った。今回、各国から「元首は一人も来ない」とし「当たり前の話で、当事国の元首が参加しないのに海外に対して元首の出席を求められない」とも指摘した。 そのうえで「国葬にするんだったら、ちゃんと国葬やれよと。やれないんだったら、それが議論になるような不体裁なことをするなと。私は、凶弾に倒れた人の葬儀をすることの賛否や、在任中の実績の議論などをすること自体が非常に不快。こういうことがきっかけになって、亡くなった方の誹謗中傷をするきっかけになっている」と現状を分析。現政権について「あまりに無責任」と言い放った>(以上「ニッポン放送」より引用)



 お呼ばれの声が掛からなかった辛坊氏が怒り狂っているという。彼は忠実な安倍政権の擁護者はだったからだろう。また彼自身にもそうした自覚があるのだろう。
 しかし安倍亡き安倍派の人々から、辛坊氏は評価されてはいないということだろう。国葬に関する彼の意見も支離滅裂だ。岸田氏は「国葬儀」と称して、安倍国葬を内閣府の権限内に収めたつもりなのだろう。しかし最初のボタンを掛け間違えたら、いくら一生懸命にボタンを掛けても掛け間違いは直らない。

 辛坊氏はマスメディアで発言を許された幇間・司会者だ。現在はフリーのようだが、司会者を足場としてフリーになったマスメディアの寵児だ。彼自身にもマスメディアの寵児だという自覚があるのだろう。
 つまり学識経験で呼ばれたコメンテータではなく、厚かましくも偏向発言を繰り返した司会者として世間に認知された。だから安倍国葬に何としても呼ばれなければ彼の自尊心が満たされない。「俺は安倍氏が失意の時にも、彼を番組で持ち上げたのに」と、辛坊氏は思っているに違いない。しかし、それこそがマスメディアの規定に抵触する行為だということに、辛坊氏が気付いてないとすればマスメディアに関わる者として致命的だ。

 安倍国葬は岸田内閣の「国葬儀」でしかない。内閣が仕切る式典の一種でしかないのだから、他国の元首など誰も来ない。当たり前ではないか。
 辛坊氏が怒るとすれば、それは安倍氏の葬式を「内閣式典」に貶めた岸田氏に対してではないか。なぜ安倍氏の大叔父と同様に「国民葬」にしなかったのだろうか。それなら安倍氏を心静かに送りたい者だけが列席する「立派な葬式」になっていたはずだ。天皇陛下もご出席になったかも知れない。内閣が取り仕切る式典に天皇陛下がご臨席する前例など残してはならないのは当然ではないか。かくして安倍氏の「国葬儀」は妙ちくりんなものに成り果ててしまった。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。