現代を歴史的事実で批判するバカバカしさ。

<ロシアのウクライナ侵攻に対して世界中が非難囂々(ごうごう)だが、みじんも後ろ暗いところなくロシアを批判できる国は、どれほどあるのだろうか?

 まず日本。中国戦線では中国軍の死者は130万人、民間の死傷者は2000万人にのぼるという。そして敗戦までに、軍人・軍属・民間人を含め400万人もの犠牲者を出した。現在も110万柱の遺骨が収集されず、かつての激戦地に置き去りにされたままだ。
 アメリカは開拓当時、ネーティブアメリカンなどの先住民の居住地を幾多の戦争で平らげ、自国の領土として支配した。1846年からの米墨戦争でメキシコに勝つと、併合済みのテキサスのほか、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを自国領とした。スペインとの米西戦争(1898年)ではスペイン領だったフィリピン、グアム、プエルトリコを得て、キューバを保護国にしている。これらは侵略戦争ではないのか?
 1941年からの太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃が契機だが、アメリカは事前に知っており、第2次大戦に参戦する理由をつくるため、わざと攻撃を許したともいわれる。ルーズベルト大統領は「欧州の戦争には参戦しない」と公約に掲げて当選したにもかかわらずだ。挙げ句に日本に2度の原爆投下を行い、広島と長崎を壊滅させ、多くの人たちを被爆させた。
 その後は朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、2003年からのイラク戦争だ。911テロ(これ自体にアメリカ陰謀説がある)をきっかけとしてイラクに大量破壊兵器保有の疑いをかけ、爆撃を行ってフセインを殺したが、結局何の証拠も出なかった。
 この戦争はイラクが原油取引の決済をドルからユーロに変えようとしたことへの制裁だったともいうが、事実ならば犠牲者たちは浮かばれない。
 ドイツも旧ナチス時代、600万人ともいわれるユダヤ人を虐殺し、ヨーロッパ中に消えない傷痕を残した。ユダヤ人を含む被害者の総数は2600万人に及ぶ。
 3月2日の国連総会では193カ国中141カ国がロシアへの非難決議に賛成票を投じた。賛成した国の多くは「すねに傷持つ身」である。ロシアと大差ない行いをしてきた国もあるだろう。もちろんロシアが現にウクライナで行っている軍事侵攻は明白な非人道的行為であり、最大級の非難をされてしかるべきだが、同時に、自国の“黒歴史”とも呼ぶべき過去の非道への反省も欠かすことはできないと思う。

 “戦争の世紀”から“共生の世紀”へ──。20世紀から21世紀にかけて大きく世の中が変わったことにプーチンは気づいていない。男性はマッチョでいられず、体形やムダ毛を気にして化粧もするようになった。中性的なタレントが人気となり、女性が政治や経済の要職に就いている。それが現代だ。何もかも、プーチンが妄想する「大ロシア」の頃とは様変わりしている。それなのに、いまだマッチョイズムを信奉し、力での解決を是として愚行に踏み切ったのだ。彼は21世紀に蘇ったヒトラーである。完全に裸の王様だ。
 時代の変化に真っ先に対応しなければいけないのが為政者のはずだが、プーチンは流れに逆行し、多くの市民を自らの妄想の道連れにしようとしている。
 そんな過ぎた時代の“強きリーダー”を演じ続けるプーチンを非難するなら、まずは自国の過去に目を向け、「私たちもかつてのあやまちを反省し、心から謝罪する」と一言おいてから向き合うべきだ。自戒と反省を踏まえての非難であれば、その時こそ大きな説得力を持つだろう。
 プーチンの行いは、21世紀に決して許されるものではない>(以上「04/23 日刊ゲンダイ」より引用)



 引用した論評は「日本は自国の“黒歴史”への反省なくしてロシア非難はできない」と題する 三枝成彰氏のものだ。しかし三枝氏ですら、歴史的事実と現代的事実との識別すら出来ない、頭脳がウニ状態なのには驚く。
 三枝氏は評論の冒頭で「ロシアのウクライナ侵攻に対して世界中が非難囂々(ごうごう)だが、みじんも後ろ暗いところなくロシアを批判できる国は、どれほどあるのだろうか?」と、問いかけている。他国を侵略しその無辜の国民を拷問し虐殺する蛮行を批判するのに憚りがあるとは何のことだろうか。と思いつつ、次節の最初の文章を読んで愕然とした。彼は「まず日本。中国戦線では中国軍の死者は130万人、民間の死傷者は2000万人にのぼるという。そして敗戦までに、軍人・軍属・民間人を含め400万人もの犠牲者を出した」と書き連ねている。彼は見事なまでに現代と歴史的事実とを混同しているのだ。

 歴史的事実を現代の常識で論じるのは大きな誤りだ。そうした事を論えば際限がなくなる。果たして現代人の祖先クロマニヨン人が先人類ネアンデルタール人を亡ぼしたことまで遡及しなければならないのか。そうすれば現代ですらジェノサイドを現代人が批判することは一切出来ないことになる。いや、永遠に人類は人殺しを批判できないことになる。なぜなら人類の祖先クロマニヨン人は先住猿人類ネアンデルタール人をジェノサイドしたからだ。
 それともゲルマン民族の大移動までで遡及して人類は反省すべきなのか。あるいはスペイン人が南米のインカ文明を破壊し消滅させたことまで遡って反省すべきなのか。

 三枝氏は日本の次には米国を批判している。米国が先住民族を虐殺して建国された歴史を論っている。しかし歴史的事実を現代の常識で批判する愚かさがお解りだろうか。かつての時代には、その時代の常識がある。たとえ間違っていようとも、その当時の常識に従って人々は社会秩序を維持し、文化・文明を築いて来た。
 太陽が動いていたとする天動説を批判して、天動説を信じていた中世の哲人までも批判するのは愚ではないだろうか。歴史的事実を現代の問題に照らして「だから批判することは出来ない」と結論付けるのは、全くの無意味だし、それは先人を貶めるものでしかない。

 隣国には「千年の恨(ハン)」を叫ぶ人たちがいる。だが、その人たちの先祖は千年前にはその地で暮らしていなかった。民族としてその地に存在してもいないにも拘らず、その地の歴史的事実を対日批判に用いるのは、如何なものだろうか。それこそ歴史的事実を現代の常識で批判する愚かさの象徴ではないだろうか。
 17世紀から18世紀にかけて人類は植民地主義の世紀を生きていた。まさに弱肉強食の狂気に満ちた時代だった。そして19世紀から20世紀にかけては帝国主義の真っ盛りだった。国が国を相手に血みどろの戦争を仕掛けて領土を奪い合う世紀だった。それは地球史上で「戦国時代」と呼ぶべき忌まわしい「歴史」だった。そうした近代史を乗り越えて、現代の21世紀がある。

 この世紀こそ前世紀までの人類の愚かしさや残虐性をすべて洗い去り、叡智を集めて全人類が助け合い繁栄し合う世界にすべきとして、先進自由主義諸国は中国やロシアなどに自由市場を開放し仲間として受け容れた。
 しかし中国やロシアは豊かさを享受し始めると、独裁者たちは際限のない欲望に憑りつかれた。その最たるものは権力欲だ。権力を維持するためには隣国の民など虫けら同然でしかない。隣国へ攻め込み、居住家屋にミサイルや砲弾を撃ち込む。まさに非戦闘員の大量虐殺を恣に実行している。それが彼らの「権力の強さだ」と勘違いしている。

 彼らの「幼稚さ」でしかない侵略戦争にウツツを抜かすバカな独裁者を「バカだ」と批判するのに、「マッタ」を掛ける三枝氏はどうかしている。「お前のジジ様は隣国へ攻め込んだゾ。プーチンが率いるロシア軍と何処が異なる」と日本国民を批判している。
 あるいは米国民に向かって「お前らの御先祖様は原住民を殺害して領土を奪ったではないか」と貶め、ロシアの蛮行を批判する米国民を批判する。しかし各国の歴史的事実を論って、現代のプーチン氏の蛮行を批判する資格があるのか、と問い掛ける論理的整合性とは何だろうか。どれほどの関連性があるというのだろうか。
 饒舌な似非・文化人には歴史的事実を現代に照らし合わせて批判する非常識な人がいるものだと呆れ果てる。

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