修学旅行にこそ「バブル方式」を。

<新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が続く東京都の小池百合子知事が19日、都議会本会議で「都立学校において都と県をまたぐ修学旅行などについては中止または延期」と表明。SNSでは「修学旅行」「学生絶望の声」などがトレンドワードになり、「高校生活を返して」などの悲痛なコメントが数多く寄せられた。その一方で感染拡大期の修学旅行中止を願う声や旅行の意義に疑問を持つ声もあり、SNSならではの多彩な意見が交錯した。

 多くは「オリンピックやっておいて修学旅行中止はおかしい」「東京オリンピックを強行開催したのだから修学旅行も延期、中止しなくていいと思う」「これ以上学生に我慢強いるのやめてほしい」などの憤りや怒りの声。しかし、「こんな状況で都県を跨いで修学旅行とか、何考えて言ってんのかと思う。そして小池さん、パラ中止で」とパラリンピック中止も求める声や「『これで班決めで余らなくて済む…!!』って安心している学生も一部でいそう」「私的にはやったー! 嬉しい! だったなきっと。修学旅行とか行きたくなかったし」などの見方もあった>(以上「中日スポーツ」より引用)




 「小池百合子知事が19日、都議会本会議で「都立学校において都と県をまたぐ修学旅行などについては中止または延期」と表明」したと記事にあった。なんということだろうか。生涯に一度しかない高校生活の記憶に残るべき「修学旅行」を断じて中止にしてはならない。それは小・中学校でも同じだ。
 オリンピック開催では「バブル方式」という便利な「言い訳」を考えたではないか。それなら修学旅行も「バブル方式」で実施すれば良い。中止はおろか延期する必要などない。

 第一、すし詰めの満員電車を連日運行しているではないか。彼ら現役世代の多くは未だワクチン接種を済ませていない人たちが大半ではないのか。換気の悪いオフィスで現役世代は毎日働いているではないか。
 さらに、パラ大会では小・中学生徒を観客に動員しようとしているというではないか。この方こそ断じて実施すべきではない。なぜなら「バブル方式」すら実施できないからだ。

 しかし修学旅行なら「バブル方式」の実施は可能だ。遠距離は無理としても、バス旅行で行ける範囲なら「バブル」を保つことは出来るはずだ。全国の小・中学校も「バブル方式」で彼らの生涯の記憶に残る「修学旅行」を実施すべきだ。
 学校は勉学のみをやる場ではない。運動ももちろんだが、その他の「文化的行事」も重要だ。さらに自分の棲む地域以外でも人々は暮らし、自分たちの知らなかった「文化」があることを教員たちは生徒に教える機会でもある。多様性とは「性」や「人種」だけの概念ではない。同じ国土の同じ日本人が形成した文化でも地域が異なれば「多様」なものだと知ることが重要だ。

 なぜなら他者を知ることにより、より良く深く自分を知ることになるからだ。それは地域でもあるし、仲間でもある。勉学以外の場で人となりを知る機会が「修学旅行」の魅力でもある。
 記事にある「班決め」から逃れられるから修学旅行が中止になるのは「ラッキー」だと喝采を叫ぶ声も紹介してあったが、意に沿わないことをシブシブでもやることは、さらに重要な意義がある。なぜなら社会へ出て意に沿わない仕事がゴマンとあり、嫌いなタイプの同僚と組まされることもゴマンとあるからだ。その訓練と思えば、修学旅行の意義はさらに深くなる。

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