権力は人を変える。

<オリンピックの開幕まで50日に迫った6月初め、「普通ではない」と強行開催に反対する意思を表明した感染症対策分科会の尾身茂会長。これに、政府自民党内部だけでなく自衛隊OBからも「国家の大事に指揮官に異を唱えるとは」と批判の声が上がっているようです。この自衛隊OBの言葉に苦言を呈するのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さん。米政権のあり方を例に、歯車であるべき軍事組織の幕僚と閣僚級アドバイザーの違いを伝え、成熟した国家制度に理解のない現実を嘆いています。

閣僚級アドバイザーはスタッフとは違う
 東京オリンピック・パラリンピック開催をめぐり、政府・自民党は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長への不満を強めているようです。
 確かに尾身さんは3日の参議院厚生労働委員会で「オリンピック開催は普通では(ありえ)ない」と発言し、4日の衆議院厚生労働委員会でも「人流が増える。やるのであれば覚悟を持ってさまざまな感染対策をすることが求められる」などと強調しています。政府・自民党といっても内部には開催反対論もあり、なにがなんでも強行したい人たちが尾身さんに不満を抱いているという話ですね。

 これに関連して、自衛隊のOBたちから「スタッフが指揮官に異を唱えていたら組織は成り立たない」といった尾身さんへの批判が飛び出し、「オリンピック開催という国家の大事を何と心得るのか」という同調圧力を生み出しかねない傾向が生まれています。ちょっと整理が必要だと思いますので、一言申し上げておきたい。

 私自身は専門家としての尾身さんの姿勢に対する批判や疑問を昨年初めの頃から発信してきましたので、ここでは批判はしません。今回は尾身さんのような国家のアドバイザーの位置づけの観点からお話しします。
 たしかに、自衛隊のOBたちが言うように、軍事組織においては指揮官が決心した方針にスタッフ、つまり幕僚が従うのは当たり前です。自分たちの知見を述べ、白熱した議論をするのは指揮官が決心するまでの段階です。
 しかし、国家のアドバイザーの立場は違います。日本の制度では立場が明確になっていませんが、閣僚級の職務であり、ときには首相や大統領とも国民の前で衝突することも辞さない立場なのです。歯車の役割を期待される軍事組織の幕僚とは違うのです。

 代表的なのは、バイデン政権の首席医療顧問を務めるアンソニー・ファウチ博士です。ファウチ博士は1984年から米国の国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の所長を務め、6代にわたって大統領のアドバイザーとして様々な疾病と対峙してきました。昨年1月からはタスクフォースの主要メンバーとして、トランプ政権のホワイトハウスの公衆衛生面のスポークスパーソンでもありました。
 もちろん、専門的知識を持たないトランプ大統領に対しては正面から異を唱え続け、昨年11月には「ファウチ氏がトランプ政権の新型コロナウイルス対応を批判したことは容認できない」と公式に非難されたりもしています。それでもトランプ大統領はファウチ博士を首にはできず、博士の発言を都合のよい形でつまみ食いして選挙運動に利用したりもしています。

 専門家の誇りにかけて言うべきは言う。国民はそれを期待しているし、批判された大統領でさえそれを認めざるを得ない。首にしたら国民の怒りは大統領に向けられます。それが閣僚級のアドバイザーという職責なのです。菅義偉首相が記者会見で尾身さんを同席させ、自分の発言を補足させているのは、それを意識している面があるからでもあります。
 トランプ政権でも、マティス国防長官、ケリー大統領首席補佐官、マクマスター国家安全保障担当大統領補佐官は、軍人出身者として公式に異を唱えてきました。これに対して、トランプ大統領はいかに腹が立とうとも、丁重に労をねぎらい、次の人物に引き継ぐことしかできなかったのです。

 このような閣僚級アドバイザーの姿は、米国と密接な関係にある自衛隊OBであれば熟知していなければなりません。それを、軍事組織、それも自衛隊の幕僚と一緒くたに考え、尾身さんへの非難を口にするというのは、日本の国家制度の未熟さを見る思いがします。カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘ると言いますが、私も含めて、もう少し大きなカニに成長したいものです(笑)>(以上「MAG2NEWS」より引用)




 引用論評は「自衛隊OBによる尾身会長批判で明らかに。日本の国家制度の未熟さ」と題する小川和久氏(軍事評論家)によるものだ。小川氏はスタッフとアドバイザーは違う、と自衛隊OBの尾身氏批判を「的外れ」だと指摘している。
 確かに小川氏が指摘するスタッフとアドバイザーという違いはあるが、それ以前に民主主義によって成り立っている政治と、指揮権と任務遂行という命令系統下にある軍隊組織とを混同しているのではないかと思われる。

 民主主義下ではすべてに有能な人物が政権担当者になるわけではない。日本は議院内閣制をとっているが、その国会議員ですら満足に憲法を読んでいないと思われる者もいる。
 だが素人が政治を執ることを民主主義では排除していない。そうした人物を選挙で選ぶのもまた国民・有権者だからだ。国民すべてが憲法を熟知しているわけではないし、憲法は国民の権利を守るために権力者に嵌める箍だということも理解していない者も多いはずだ。

 そのような国民・有権者が「主人」となって、国民が本来持っている「主権」を選挙で選んだ政治家に負託する。だから民主主義国では政治の結果はすべて国民が負うことになる。
 アベノマスクで露呈したように、軍艦を買いに村の「鋳掛屋」や行き、その「鋳掛屋」が造船会社に発注する、といった外注委託が堂々と行われていたが、それを許しているのも国民だ。オリンピック・ボランティアは大会運営スタッフとして無料で奉仕するが、運営ディレクターは日当35万円もの報酬を得ていることも、国民が選任した政治家諸氏によって行われている。オリンピックに注がれる巨額な税金を是認したのも、国会議員だから、それらの決定の責任はすべて最終的には国民に帰属する。

 だから本来は専門家が政治家の側にいて、適切な助言を与えるべきだが、政治家の身近には利権構造の臭いに敏感な連中ばかり集っている。現在の政権中枢が集う官邸は利権集団の談合の場に化しているのではないか、という疑惑は「モリ カケ」当時から薄々判っていたことではないか。
 「構造改革」や「成長戦略会議」に召集された民間委員諸氏も官邸仲間と親しい連中ばかりだ。そういえば「分科会」に呼集された委員の中にも安倍氏と個人的に親しい者も混じっていたような気がする。そうした連中により政治が執り行われるのに慣れているから、たまに「専門家」として「正常な」意見具申する者がいると「上役に反対意見を言っている」と映ってしまう、という倒錯した感覚に陥ってしまうのだ。

 「権力は腐敗する 絶対権力は絶対的に腐敗する」とはけだし箴言だ。人は権力に弱いし、権力に毒されやすい。正常な凡人が権力者になった途端、手の着けられない凶暴な独裁者になることも少なくない。
 菅氏も権力を得た途端に凶暴な独裁者に変身したようだ。何が何でもオリンピックを開催すると決めている。小中学生は去年から例年の修学旅行を取りやめ、高校生や大学生は文化祭やゼミ旅行を取りやめて自粛しているが、大盤振る舞いをして来たオリンピックは最後の帳尻を合わせないと何かが露呈でもするのか、国民の健康や命など気にもしないで強行開催する。これも権力者になって気の触れた一例として歴史にその名を刻むことになるのだろうか。

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