スリランカの「ブルカ」着用禁止の実現を望む。
<スリランカ政府は13日、宗教的な過激主義者を取り締まり、「非急進化」を目的に被疑者を最長2年拘束できるテロ対策法の適用を発表した。また、2019年のイスラム過激派の犯行とみられる爆発事件以降、一時的に禁止されていたイスラム教徒の女性が着用するベール「ブルカ」の着用を正式に禁止する方針も明らかにした。
ゴタバヤ・ラジャパクサ(Gotabaya Rajapaksa)大統領は、テロ対策法は「暴力行為や、宗教、人種、共同体間の不調和、異なる共同体間の憎悪や敵意」を引き起こす疑いのある者の拘束を認めるものだと説明した。
サラス・ウィーラセケラ(Sarath Weerasekera)公安相は13日、コロンボ(Colombo)で記者団に対し、全身を覆うブルカは「わが国の安全保障に直接影響を及ぼすもの」であり、「最近になってスリランカに入ってきたもので、宗教的な過激思想の象徴だ」とコメント。ブルカ着用を禁止する文書に署名したと発表した。ただし法案の成立には、閣議と大統領支持派が3分の2を占める議会で承認を得る必要がある。
スリランカでは2019年4月、三つの教会が標的となり、279人が死亡したイスラム過激派による連続爆破事件が発生。直後の非常事態宣言下でブルカの着用が一時的に禁止された。 この事件以降、スリランカでは少数派のイスラム教徒と多数派の仏教徒間の緊張が再び高まり、観光業に依存する同国経済も深刻な打撃を受けた>(以上「 AFPBB News」より引用)
宗教の戒律には極めて多くの男女差別が明確に存在している。キリスト教のみならず、仏教にも「女人禁制」などといった女性差別は存在するが、イスラム教の「ブルカ」ほど酷い女性差別はないだろう。
全身を黒づくめの布で覆わなければ外出できないなどいう「非人間的な扱い」を、現代でも強制しているとは信じられない人権侵害だ。引用記事では「スリランカ政府は13日、宗教的な過激主義者を取り締まり、「非急進化」を目的に被疑者を最長2年拘束できるテロ対策法の適用を発表した」という。目的はテロを防ぐため、爆弾などを隠しやすい「ブルカ」の着用を正式に禁止するというものだ。
目的は何であれ、女性が着用を義務付けられていた「ブルカ」から解放されるのは好ましい。ただ記事によると「サラス・ウィーラセケラ(Sarath Weerasekera)公安相は13日、コロンボ(Colombo)で記者団に対し、全身を覆うブルカは「わが国の安全保障に直接影響を及ぼすもの」であり、「最近になってスリランカに入ってきたもので、宗教的な過激思想の象徴だ」とコメント」したという。
つまり「ブルカ」の着用は宗教的は過激の象徴だという。そういえば中近東から中東にかけてのイスラム教宗教指導者が国家を率いている国々では女性に「ブルカ」の着用が義務付けられている。宗教が力を持つには過激派にならざるを得ない側面がある。厳しい戒律を信とに課すほど信仰は純粋化する。
その最たるものがカルト教団だ。しかし、それらは厳しい人権侵害の上に成り立つ。カルト教団では決して信徒の人権など認められない。いや人権だけではない、日常生活から思考までのすべてをコントロールするのがカルト教団のやり口だ。
宗教とは魂の救済だ。現生利益のための信仰ではない。だから現生利益を謳い文句にする宗教はすべて偽物だ。それらは信者からカネを巻き上げる集金組織でしかない。
政治に宗教を持ち込むのは邪道だ。なぜなら政治こそ現生利益を謳い文句にする分野はないからだ。政治は現生利益を実現させる、と大衆に期待させる側面を持つ。そうしなければ選挙に勝てない。それこそ宗教の対極にあるべきものだ。
そして信仰は思考停止でもある。これもまた、政治の対極にあるものだ。「ブルカ」の着用禁止により、スリランカの女性の笑顔が街中に溢れることになるだろう。