オリンピックはクーベルタン男爵が提唱した原点へ回帰すべきでは。
<東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が辞任する意向を固め、後任として起用の最終調整に入っている日本サッカー協会(JFA)相談役の川淵三郎氏(84)が11日、千葉県内の自宅前で取材に応じ、正式に会長に就任した後には、森氏に「相談役」就任を要請する意向を明らかにした。
森氏は12日に開かれる組織委の理事、評議員、幹事による合同懇談会で表明する見通し>(以上「日刊スポーツ」より引用)
女性差別発言で巷間を賑わしている森氏が退き、その後任として川淵氏が就く見通しだという。何処でそう決まったのか、いかなる経緯から川淵氏の後任選定結果となったのか、国民は何も知らされてない。
いやオリンピック組織委員会にも副会長はいるはずだろう。会長がその任に当たれなくなったなら副会長が会長の任に当たると、およそいかなる団体でも定められているはずではないか。それが常識というものではないだろうか。
そして早くも川淵氏は「森氏を相談役」にするとの「構想」を述べている、というから呆れる。森氏がなぜ会長を退くことになったのか、その原因が森氏にあるのなら、森私的なすべてを大会組織委員会から排除しなければならないはずではないのか。
また組織委員会会長は森氏の他に余人を以て代え難い、というのなら大会組織委員会の「組織」そのもののあり方を疑わざるを得ない。既に2020東京オリンピックはオリンピック精神を大きく逸脱している。大会に掛かる経費の爆発的な額そのものはオリンピック精神とは遠いものではないか。
そして大会運営にしても一兆円を超えるとは何事だろうか。その積算根拠をすべて明白にして頂きたい。巨額な大会運営経費が掛かるのは「東京オリンピック」に限ってのことなのか、あるいは近年のオリンピック開催にはどの都市で開催しようとオリンピックに関係する経費の何もかも含めると3兆円以上もかかる、ということだろうか。
スポーツの祭典が聞いて呆れる。有象無象の「祭典」で、スポーツ選手がダシに使われているだけではないのか。大会運営に際しては万余のボランティアが奉仕精神から汗を流すが、大会開催以前にスポンサー料や放映権料や何やかやで巨額な「商業取引」が行われている、というこのチグハグさは一体何だろうか。
オリンピックはそろそろクーベルタン男爵が提唱した原点へ回帰する時期ではないだろうか。