国家は国民を守る「家」であるべきで、国民に命を差し出させる「武力装置」であってはならない。
<旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの係争地であるナゴルノカラバフで27日、両国軍による大規模な戦闘が起きた。
砲弾による攻撃などによって民間人を含む死者が出ている。地域に影響力を持つロシアなどが双方に即時停戦を求めた。 戦闘は27日朝に始まり、アルメニア軍はアゼルバイジャン軍が攻撃を仕掛けてきたと主張。アゼルバイジャン軍のヘリコプターや無人機を撃墜したと発表した。アゼルバイジャン軍は「アルメニア軍の攻撃を阻止し、民間人の安全を守るため反撃を開始した」と反論した。アルメニア側は民間人2人のほか、軍人16人が死亡したとしている。アゼルバイジャンも民間人ら複数の死者が出たと発表した>(以上「時事通信」より引用)
領土を巡って戦闘行為が勃発したという。なぜ国連が両国の仲介なり、客観的な資料に基づき国境線の画定を行わないのだろうか、という疑問が常に湧く。
しかし国連(戦勝国クラブ)では出来ない相談だ、と思わざるを得ない。国連の中核をなす安保理常任理事国の中には未だに武力で国境線を変更しようとする国があるからだ。あるいは、かつて武力で国境線の変更をして来たヤクザな国が大きな顔をして常任理事国として国連を支配しているからだ。
歴史を振り返るまでもなく、世界大戦は国境線の変更を巡るものだった。ドイツが隣国へ侵攻して併合し、それに対する欧州各国の反発と侵攻して来るドイツとの戦いが主原因だった。
そして現在も中共政府の中国がインド国境線や南シナ海の領有や東シナ海への進出などといった武力による膨張主義が東アジアを爆発寸前の弾薬庫に変えている。ロシアは未だに先の大戦で火事場泥棒のようにして奪った日本の北方領土を「戦利品」だと主張している。その発想そのものが戦争の原点だという歴史に対する自省すらないのは暴力国家だと批判されても仕方ないだろう。
国家とは何か。国境線を巡って国民が命を賭すのは関係国家の政府の無策でしかない。そして実際に紛争が起きているのは国連の無能ぶりの証明でしかない。何が国際機関だ。役に立たない国際機関など存在意義があるのだろうか。
「戦勝国」による国連など解体して、実効性のある「地球連邦」を設立すべきだ。国民の自由や人権を奪って成立している政府を解体し、「地球連邦」の強い指導により自由な民意に基づく政府を世界中の国々が持つようにすべきだ。
もちろん国境線を巡る紛争にも「地球連邦」が介入して、紛争国の歴史的因果関係を綿密に調査した上で「地球連邦」が国境線を裁定すべきだ。国家は国民を守る「家」であるべきで、国民に命を差し出させる「武力装置」であってはならない。本来なら、国連はそうした世界を希求する国際機関であるべきだった。