五年間もの「公文書破棄」を「事務的な記録もれだ」とは聞いて呆れる。

事務的ミスが続いただけか、意図的か――。菅義偉官房長官は10日の記者会見で、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」を巡り、2017年度までの5年間の招待者名簿が行政文書ファイル管理簿に記載されていなかった問題について「公文書管理法に違反する対応だった」と違法性を認めた。ただ、未記載の理由は「事務的な記載漏れ」だと釈明。5年連続で「記載漏れ」が続いたとは考えにくく、不自然な印象であるため、野党からは「意図的な不記載だ」との批判も出ている>(以上「毎日新聞」より引用)



 10日の記者会見で2017年までの5年間の「桜を見る会」の招待者名簿が行政ファイル管理簿に記載されてなかったのは「公文書管理法の違反する対応だった」と違法性を認めたという。何ということだろうか。
 公文書を勝手に破棄したり、電子記録を消去したりすることは断じて許されない「公文書管理違反」だ、ということは常識ではないか。それを記者会見で官房長官に確認する記者たちは自らを常識を欠く記者不適格者だという認識すらないのだろうか。

 官邸の記者会見が官邸広報機関に堕して久しい。日本のマスメディアは殆ど死滅している。マスメディアが第三の権力といわれたのは日本では遠い昔のことだ。嘘だと思うならテレビの報道番組を見ると良い。かつて論客として名を知られた一言居士たちは失脚して、官邸に都合の良い官邸擁護の発言しかしない腑抜けのような連中がニタニタ顔を並べているだけだ。
 公文書を「隠蔽」したり「改竄」したりしただけで、かつては内閣がフッ飛んでいた。ましてや「桜を見る会」などのようにあらゆる証拠から安倍氏による私物化が判明しても、囂々たる非難がマスメディアから湧き上がらないとは、記者や政治評論家たちはすべて「不感症」になったかのようだ。

 そして菅氏は「事務的な記載漏れ」だと説明したというが、それで官邸記者会見に居並ぶ記者たちは得心して頷いたのだろうか。「事務的に記載漏れ」が五年間も続いたというのは官僚諸氏のみならず、内閣府を取り仕切る官房当局、つまり官房長官・菅氏の責任ということではないか。そこを指摘して記者諸氏は誰一人として追求しなかったというのだろうか。
 公文書は「国家の記録」だ。政治は政治家の個人的な趣味で行っている絵空事ではない。政治は国民の負託を受けて税金で行われる厳粛な国家事業だ。そうした認識もなく、公文書の「隠蔽」を「事務的な記録もれだ」と言い訳をするとは、国家の主権に関わる官邸を取り仕切る政治家としてお粗末極まりない。

 国民はこの程度のお粗末な政治家にいつまで官邸を任せるつもりだろうか。彼らに日本を取り仕切る見識があるとでも思っているのだろうか。政治家が劣化した責任の一端は国民にある。
 国民が政治家を厳しい目で監視しなければ権力と好待遇の上に胡坐をかく。ヌケヌケと大嘘を吐いて、仕事をしているフリをする。アホノミクスで国民が貧困化しても口先で何とでも誤魔化せる、と自信満々だ。ここまで政治家を堕落させたマスメディアの責任は重い。

 野党の力が落ちているから与党がだらしなくなる、とはフェイクニュースもいいとこだ。元々多数決で物事を決める仕組みでは少数派の意見は何も通らない、というのが民主主義の最大の欠陥だ、というのも常識ではないか。そのために「報道の自由」が憲法で保障されている。
 つまり国民に実情を知らせてこそ、民主主義が機能する、という民主主義の欠陥を補完する重要な機能がマスメディアにあることを忘れた、お追従花盛りの日本のマスメディアこそが大問題なのだ。安倍自公亡国政権に篭絡された日本のマスメディア関係者諸氏は万死に値する。ことにテレビは酷すぎる。

 官邸記者会見で菅氏は政府の公報の場であって、質疑の場ではない、と執拗な質問を行う女性記者の発言を封じたことがあった。それに対して官邸記者クラブは一言でも批判しただろうか。「お前たちは官邸の広報機関だよ」と言われて、黙り込んだだけではないか。その姿だけを以てしても、日本のマスメディアは腐り切っている、と批判されても仕方ないだろう。

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