大村氏の「即位礼正殿儀」に参列に対する違和感。

名古屋市長の河村氏も、大村氏の参列には「まさか」とあきれた。
 河村氏は、芸術祭実行委員会会長である大村氏が、実行委員会会長代行の自分に何の相談もせず、前出のような映像作品を公共の場で、税金を投入して公開を決めたことを許していない。
 即位の礼に、河村氏は皇居・宮殿で参列していた。大村氏と顔を合わせることはなかったという。参列後、夕刊フジにこう語った。
 「大村氏は、昭和天皇を侮辱するような映像作品だと知りながら、故意に隠していたのだろう。私はだまされた。大村氏には最後は立ち止まり、作品公開を思いとどまってほしかった。『愛知県民全員が昭和天皇への侮辱を許した』となるからだ。大村氏がどんな思いで即位の礼に参列したかは分からない。ただ、『政治の世界はウソに包まれているのだな』と感じた。大した度胸だよな」>(以上「夕刊フジ」より引用)


 大村愛知県知事が「即位礼正殿儀」に参列したのはいかなる所存だったのだろうか。「不自由展」を強行したのはあくまでも「表現の自由」の権利だとでも考えているのだろうか。
 昭和天皇の御影を焼く写真を掲載するどこが「芸術」なのか、そしてその掲載を「不敬」だと思う多くの日本国民の心情と、日本国憲法に定める「国民統合の象徴」たる天皇の名誉を棄損する写真の掲載を「表現の自由」だと強行するのは違うのではないだろうか。

 天皇の御影を棄損する行為は「思想」であって、「芸術」ではない。表現の自由が著しく制限されているのは、むしろ人間の身体たる裸ではないだろうか。そのことに対する抗議なら容認できる。
 なぜ反日「思想」のプロパガンダたる「ありもしなかった慰安婦」像を公共団体が支援して展示しなければならないのか。なぜ昭和天皇の名誉を棄損する写真を展示しなければならなかったのか。それこそ国民統合の象徴と定めた日本国憲法を蔑ろにするものでしかない。

 そうした「思想」を大村氏が持っているのなら、それも思想信条の自由ということだろう。それなら彼は彼の思想に準じて「即位礼正殿儀」に参列すべきではなかった。彼の思想は天皇という「権威」を否定し、天皇の存在を認めない、とするものでしかないからだ。
 それとも大村氏は「思想」は思想であって、多くの日本国民が天皇を尊崇する気持ちを否定するものではない、というのなら「不自由展」の再開に際してそのように弁明すべきだった。そして愛知県知事として、心ならずも県民代表という立場から「即位礼正殿儀」に参列したと説明すべきだった。

 しかし大村氏のそうした説明があったとしても、人格的に破綻しているのは明らかだ。大村氏は大村氏個人でもあると同時に愛知県知事として県民の代表だというのなら、「不自由展」の再開を決したのは個人たる大村氏ではなく、愛知県知事の大村氏が決定したのだから、大村氏が個人としてではなく愛知県知事として「即位礼正殿儀」に招待されたのなら参列を断るのが筋ではないか。

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