中東の戦火沈静化を願う。
<イランのロウハニ大統領は24日、米国の対イラン制裁が解除されれば、イラン核合意の小さな修正や追加に応じる用意があると述べた。ニューヨークで記者団に語った。イランはこれまで核合意の変更は認めないとの立場を示しており、米欧の要求を受けて一歩譲歩したとみられる。
米国は核合意にはイランのミサイル開発や、中東でのイランの有害な活動についての制限がないとして、核合意を昨年離脱して制裁を再発動した。英独仏3カ国首脳も23日の共同声明でイランに対し、ミサイル開発や核開発の制限の枠組みについて交渉すべきだと呼び掛けていた>(以上「共同通信」より引用)
理由はどうであれ、対立が緩和されるのは歓迎だ。イランのロウハニ大統領は24日、米国の対イラン制裁が解除されれば、イラン核合意の小さな修正や追加に応じる用意があると述べた、という。
トランプ氏は核合意にも拘らず、イランが核やミサイル開発を続行しているとして合意から離脱し、新たに制裁を課すとしていた。そうした米イの対立に対して、英独仏3カ国首脳も23日の共同声明でイランに対し、ミサイル開発や核開発の制限の枠組みについて交渉すべきだと呼び掛けていた。
中東は世界の火薬庫といわれて久しい。なぜなのだろうか。それは世界の二大宗教・キリスト教とイスラム教の接点であるところに、大量の石油が埋蔵されている地域でもあるからだ。宗教文化の軋轢に石油利権が絡んで戦争を誘発して来た。
しかし宗教とは本来心の平和のためにある。お互いに慈しみ合い、お互いに尊重し合うのが世界的宗教の教義の本質だ。敬虔なキリスト教徒もイスラム教徒も本質的に平和を希求しているはずだ。宗教の異なることを理由に武力衝突する、というのは理解できない。
同じように、核開発をして武力で対立する相手を屈服させようとするのも前近代的な部族間闘争と何ら変わらない。それらは何かの怨念に囚われた、論理を排した情念の発露に過ぎない。相手を殲滅することにより得られる利益とは何だろうか。
食料が不足し国民が餓死する前に、武力で相手の食糧を奪う、というのなら是認は出来ないが、理解はできる。しかしイランも他の中東の国々も国民が飢餓に苦しんでいるわけではない。武力行使して相手の領土へ侵攻し、相手を殺害しなければならない合理的理由はない。たとえ国民が飢えていても、食糧の確保に関して国家指導者は平和的な「援助」を国際社会に求めるべきだ。
なぜ中東が世界の火薬庫といわれ、戦火が絶えないのだろうか。ISに関しては支配地域を1K㎡程度まで抑え込むのに成功しつつある。そこに湧き上がった米国のイラン核合意破棄だった。そしてサウジアラビアの石油施設が「何者か」によってドローン攻撃で破壊された。
破壊し合い殺し合うのが好きなら仕方ないが、それでも戦争ごっこが好きな者同士だけが砂漠ででも向き合って銃撃しあって徹底的に殺しあえば良い。国民や地域住民を巻きぞいにする必要はないだろう。
国家や集団の指導者たちは戦争現場から遠い安全な場所にいて、国民や集団員を戦争へ駆り立てるのは卑怯者の誹りを免れない。なぜ人類は殺し合うのか。それは指導者たちが安全な場所から軍隊などに相手を殺せと命じるからだ。
国家指導者や支配層の者たちが暖衣飽食するために、一般国民を洗脳して兵士に仕立てて戦争に向かわせる。欧米諸国が世界各地で仕掛けて来た戦争を子細に分析すれば解ることだ。欧米列強は世界各地を蚕食して植民地にした。本国の指導・支配層が暖衣飽食するために植民地からすべての富を奪い去った。そうした伝統が現代にも残っているとしたら、そうした悪しき伝統こそ、人類は克服すべきだ。
グローバル化はまさに現代の新・植民地主義だ。相手も自国と同じでなければならない、それも貿易の仕組みだけではなく、社会構造や法体系まで同じでなければならない、というのは文化の侵略であり人権の侵害だ。
アフリカ住民を奴隷として売買していた当時の米国民の人権意識は「自分たち」の人権だけが存在し、アフリカ住民たちの人権は眼中になかっただろう。それが当時の米国民の常識だった。どれほど間違った常識だったかが分かるのは私たちが現代の常識の中で暮らしているからだ。
同じように、グローバル化と称して米国スタイルを相手国の強要するのも誤った常識だ、という懐疑を持つべきだ。決して主義や主張を強要すべきではない。もしかすると、それは誤っているかも知れないからだ。
核合意の枠組みに米国が復帰し、イランも世界へ向けて牙を剥くのを止めるのは良いことだ。そして国民にとって何ら益のない核開発やミサイル開発を止めて、その予算を国民福祉へ向けるべきだ。イランの平和を脅かす者がいるとすればそれは対立する国ではなく、対立を煽って暖衣飽食する指導者たちだ。
米国は核合意にはイランのミサイル開発や、中東でのイランの有害な活動についての制限がないとして、核合意を昨年離脱して制裁を再発動した。英独仏3カ国首脳も23日の共同声明でイランに対し、ミサイル開発や核開発の制限の枠組みについて交渉すべきだと呼び掛けていた>(以上「共同通信」より引用)
理由はどうであれ、対立が緩和されるのは歓迎だ。イランのロウハニ大統領は24日、米国の対イラン制裁が解除されれば、イラン核合意の小さな修正や追加に応じる用意があると述べた、という。
トランプ氏は核合意にも拘らず、イランが核やミサイル開発を続行しているとして合意から離脱し、新たに制裁を課すとしていた。そうした米イの対立に対して、英独仏3カ国首脳も23日の共同声明でイランに対し、ミサイル開発や核開発の制限の枠組みについて交渉すべきだと呼び掛けていた。
中東は世界の火薬庫といわれて久しい。なぜなのだろうか。それは世界の二大宗教・キリスト教とイスラム教の接点であるところに、大量の石油が埋蔵されている地域でもあるからだ。宗教文化の軋轢に石油利権が絡んで戦争を誘発して来た。
しかし宗教とは本来心の平和のためにある。お互いに慈しみ合い、お互いに尊重し合うのが世界的宗教の教義の本質だ。敬虔なキリスト教徒もイスラム教徒も本質的に平和を希求しているはずだ。宗教の異なることを理由に武力衝突する、というのは理解できない。
同じように、核開発をして武力で対立する相手を屈服させようとするのも前近代的な部族間闘争と何ら変わらない。それらは何かの怨念に囚われた、論理を排した情念の発露に過ぎない。相手を殲滅することにより得られる利益とは何だろうか。
食料が不足し国民が餓死する前に、武力で相手の食糧を奪う、というのなら是認は出来ないが、理解はできる。しかしイランも他の中東の国々も国民が飢餓に苦しんでいるわけではない。武力行使して相手の領土へ侵攻し、相手を殺害しなければならない合理的理由はない。たとえ国民が飢えていても、食糧の確保に関して国家指導者は平和的な「援助」を国際社会に求めるべきだ。
なぜ中東が世界の火薬庫といわれ、戦火が絶えないのだろうか。ISに関しては支配地域を1K㎡程度まで抑え込むのに成功しつつある。そこに湧き上がった米国のイラン核合意破棄だった。そしてサウジアラビアの石油施設が「何者か」によってドローン攻撃で破壊された。
破壊し合い殺し合うのが好きなら仕方ないが、それでも戦争ごっこが好きな者同士だけが砂漠ででも向き合って銃撃しあって徹底的に殺しあえば良い。国民や地域住民を巻きぞいにする必要はないだろう。
国家や集団の指導者たちは戦争現場から遠い安全な場所にいて、国民や集団員を戦争へ駆り立てるのは卑怯者の誹りを免れない。なぜ人類は殺し合うのか。それは指導者たちが安全な場所から軍隊などに相手を殺せと命じるからだ。
国家指導者や支配層の者たちが暖衣飽食するために、一般国民を洗脳して兵士に仕立てて戦争に向かわせる。欧米諸国が世界各地で仕掛けて来た戦争を子細に分析すれば解ることだ。欧米列強は世界各地を蚕食して植民地にした。本国の指導・支配層が暖衣飽食するために植民地からすべての富を奪い去った。そうした伝統が現代にも残っているとしたら、そうした悪しき伝統こそ、人類は克服すべきだ。
グローバル化はまさに現代の新・植民地主義だ。相手も自国と同じでなければならない、それも貿易の仕組みだけではなく、社会構造や法体系まで同じでなければならない、というのは文化の侵略であり人権の侵害だ。
アフリカ住民を奴隷として売買していた当時の米国民の人権意識は「自分たち」の人権だけが存在し、アフリカ住民たちの人権は眼中になかっただろう。それが当時の米国民の常識だった。どれほど間違った常識だったかが分かるのは私たちが現代の常識の中で暮らしているからだ。
同じように、グローバル化と称して米国スタイルを相手国の強要するのも誤った常識だ、という懐疑を持つべきだ。決して主義や主張を強要すべきではない。もしかすると、それは誤っているかも知れないからだ。
核合意の枠組みに米国が復帰し、イランも世界へ向けて牙を剥くのを止めるのは良いことだ。そして国民にとって何ら益のない核開発やミサイル開発を止めて、その予算を国民福祉へ向けるべきだ。イランの平和を脅かす者がいるとすればそれは対立する国ではなく、対立を煽って暖衣飽食する指導者たちだ。