明白な「嘘」も「表現の自由」で守られるのか。

 たまたま出先で視聴した日曜日の情報番組のコメンテータ達の異口同音発言に驚いた。それは愛知県や名古屋市などが出費して開催された「芸術」展のコーナー「表現の不自由」展が三日で中止に追い込まれたことに対する批判だった。
 報道番組に出席している某大学の女性教授や某大学の元造園師の大学教授などの発言だ。彼らは「表現の自由」は憲法に保障されていて、何人たりとも侵すことは出来ない。とりわけ公権力は侵害してはならない、と河村市長や大阪府知事を批判した。

 以前このブログに書いたことだが、「嘘」は憲法が守るべき「表現の自由」に値しない。「慰安婦」は吉田某が捏造した嘘で、その裏取りをしないで報道した誤りだったと朝日新聞が謝罪したことで決着している。火元が「嘘」だったと、付け火を白状したのに、付け火ではない、本当のことだと韓国民が騒いでいる。それも国際的な機関にまで押しかけて「性奴隷」だと反日プロパガンダとしてトコトン利用している。
 その反日プロパガンダの象徴が「慰安婦像」だ。しかもその像に表されている少女は「慰安婦」ではない。そうした関連も脈絡もない、極めて情緒的な反日プロパガンダを日本の公金を支出して日本で開催することにどんな意味があるというのだろうか。

 しかも「表現の不自由展」の出品作品だというのだ。そうした反日プロパガンダの「嘘」を、何が哀しくて日本の税を持ち出してまで、日本国内で開催しなければならないのだろうか。
 あるいは韓国の反日プロパガンダ団体と通じた人たちが開催を画策したのかも知れないし、「慰安婦像」が純粋に「芸術作品」だと認識する程度の審美眼しかない連中が「展示作品」に選出したのだろうか。しかし、いずれにせよ「芸術作品展」が極めて政治的なものに堕落したことに変わりない。

 日曜日の朝に放送された、元役者の老司会者が木偶の棒ばかり並べたコメンテータたちに異口同音の反日プロパガンダを日本国民の地方公共団体の支援による「芸術展」に展示することが「表現の不自由展」として意味のあることだと是認し、それを批判した名古屋市長たちを「憲法違反」だと断罪した。
 なぜ彼の番組の趣旨と対立するコメンテータが一人として番組に登場していないのだろうか。それこそ「表現の自由」と「報道の自由」に反するのではないだろうか。さらに、あろうことか寺島某は「ネット世論は抑制する仕掛けがないため暴走する。極めて危険だ」とマスメディアこそが世論の本流だとでも決めつけるような発言に及んだのには怒りすら覚えた。

 日本国民をGHQの「ウォー・ギルト・インフォーメイション・プログラム」で自虐史観で洗脳したのは日本のマスメディアではなかったか。日本の誇りをすべて奪い、日本国民を極悪戦犯に堕とし込めたのはGHQの手先となったマスメディアではなかったか。
 今も、彼らは米国の軍産共同体の手先となって、巧みに日本の世論操作と誘導を繰り返している。しかしネットは騙せない。このブログもGHQが戦後日本国民に植え付けた自虐史観の呪術から解き放つ一助になればと書き連ねている。日本国民の誇りと先人の名誉を棄損する「表現の自由」など日本国憲法は保障していない。「嘘」は「嘘」でしかないからだ。

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