歴史を現代の常識で評してはならない。
<8月15日は終戦の日です。戦争の悲劇を、どう伝えていけばいいのか。かつて日本兵たちが書いた“死を覚悟した手紙”を想定して、高校生に“最後の手紙”を書いてもらうという、ある教師の試みを追いました。
日本の真南に位置するパラオ共和国。ここには撃墜された「零戦」が、いまも残されています。長年、死亡したパイロットが誰だったのか分かっていませんでしたが、7年前、吉田久光さん(当時19)が乗っていたことが判明しました。慰霊のため現地を訪れた当時大学生だった吉田大祐さん(当時21)。自分と近い年齢で命を落とした大叔父に思いをはせていました。
「胸を張って今、生きていますと言えるよう、明日から一生懸命頑張りたい」(吉田大祐さん【当時21】)
それから7年・・・
「席につきなさい」(吉田大祐さん【28】)
いま、吉田さんは埼玉県の高校教師をしています。この夏、生徒たちと、ある特別な活動をすることにしました。きっかけは、あの零戦で死んだ大叔父・久光さんが姪に宛てて残した手紙です。
「飛行兵として初陣する。叔父の喜びを察して呉れ。俺の事は何もかも忘れて呉れ」(吉田久光さんの手紙)
死ぬかもしれない出撃を前に、なぜ「喜び」なのか。なぜ、自分のことを忘れろと書いたのか・・・。「少しでも考えてほしい」と、吉田さんは、生徒たちにも大切な人への「最後の手紙」を書いてもらうことにしたのです。
「あなたにとっての見守ってくれた人へ、最後に何を書きますかというのがテーマ」(吉田大祐さん)
10代後半の生徒たちにとって考えたこともなかった「最後の手紙」。手元をのぞいてみると、そこには普段、口にしない思いが・・・
「お母さん、たくさん愛をありがとう」(女子生徒)
「父親の子として生まれて、本当に良かったと思っています。このやりとりが最後だとしたら、手紙より面と向かって感謝を言いたいです」(男子生徒)
そして、隣同士で発表する場になると感極まる生徒たちが次々と・・・
「お母さんの大切さとかを実感できて、いい時間になりました」(女子生徒)
その後、零戦で死んだ久光さんについて話した吉田さん。その言葉に耳を傾けた生徒たちの表情は、それまでとは違っていました。
「(戦争を)過去のものと割り切ってはいけないなと思いました」(女子生徒)
「戦争ってこと自体の残酷さとか、同じ年で死を覚悟しなくてはいけないということに対してのつらさもあるし、そういうことをもう1回、確認できたかなと」(男子生徒)
「いまをどう生きるか真剣に考えてほしいというのが、一つのテーマだったので、真剣に(手紙を)書く生徒たちのことを見て、そういう時間になったのかなと思います」(吉田大祐さん)
若者にいかに戦争の記憶を伝えていくべきか、新しい時代でも問われています>(以上「TBS news」より引用)
戦争は悲惨だ、という「事実」だけを伝えるだけで、今を生きる私たちの義務は果たせるのだろうか。確かに戦争は悲惨だ。しかし、それだけがすべてではない。
歴史を現代の常識で判断するのは危険だ。そして歴史を情緒面だけで語るのはもっと危険だ。戦争は悲惨だから決して戦争をしてはならない、という結論だけで「戦争を語り継ぐ」というのでは厭戦史観を植え付けるだけだ。
歴史は日本だけで成り立っているのではない。ましてや戦争は日本だけでは出来ない。1940年当時の世界史を現代を生きる日本国民は知るべきだ。
当時の世界は帝国主義の真っ盛りで、欧米列強が有色人種の地に軍事侵攻して、分捕り合戦を繰り広げていた。分捕ればその地を「植民地」とし、現地人を牛馬以下に使役して、作物や地下資源を搾取して本国へ送っていた。
当時、世界でマトモな有色人種の独立国家は日本だけだった。日本は明治維新以来「富国強兵」を合言葉に、懸命に近代化を図り軍事強国として独立を確保していた。
しかし日本の独立国家としての存在を快く思わない米国のルーズベルト大統領は「日本国民を殲滅すべき」と叫び「黄禍」という言葉を用いた。だから平気で都市への絨毯爆撃や原爆の投下など、非戦闘員の大虐殺(ジュネーブ条約で非戦闘員の殺害は禁じられている)を実行した。
日本を破った米国は戦争の惨禍の責任を「米国のせい」ではなく、白人国家に刃向かった日本国民の「好戦的な資質」と考えるように日本国民を洗脳した。それがウォー・ギルト・インフォーメイション・プログラムだ。GHQのそうした政策に現れた思想が「自虐史観」だ。
今も自虐史観が日本国民を支配している。その最たる証拠がテレビなどに登場するMCなどが日韓併合を日本による「朝鮮半島の植民地支配」と表現していることだ。日本は決して朝鮮半島を植民地支配したことはない。いやそもそも「植民地支配」という言葉を定義して、それから使うべきだ。
日韓併合が欧米列強による植民地支配といかに異なっているか。それを検証するのは困難ではない。膨大な史料は残っているし、史実に明らかなのは疑う余地はない。ただ反日国家と反日・日本人がそう言っているだけだ。彼らは日本の先人たちが世界史で果たした金字塔的な働きを貶めているだけでなく、未来の日本国民をも貶め続けようとしている。
そうした策謀に負けてはならない。日本国民は誇りある国家の国民として「戦勝国クラブ(=国連)」つまり軍産共同体国家が支配する世界を終わらせて、すべての人たちが平和を希求し享受できる世界の実現を目指すべきだ。
地球を何回も破滅させられる核兵器を保有して、それが国力だと勘違いし、それぞれの国民までも勘違いさせている国家がのさばっている世界など中世の海賊国家が大きな顔をしていた当時と何が違うというのだろうか。
そうした軍産共同体が支配する国家が「戦勝国クラブ」として世界をリードする体制こそが先の大戦当時そのままの前世紀の遺物だ。膨大な核兵器を保有して誇り合うという狂った国家同士が利害調整する機関を「国際機関」だと人類に勘違いさせている地球規模の謀略こそ、人類が打破すべき前世紀の桎梏だ。
前世紀も前代も、武力で他人の人権を抑圧して恥じなかった国家が世界の指導者だ。それはまさしく狂気の世紀だ。人類は有史以来の武力で他者を殺害し侵略し暴行して来た。今もそうした仕組みのままだ。一体いつになったら、人類はそうした暴虐賛歌の国家体制を恥じて、平和な地球を創生すべきと覚醒するのだろうか。
「終戦の日」を悲惨な戦争系端を受け継ぐ情緒的な「懺悔の日」にしてはならない。歴史を科学する日にして、世界を「軍産共同体」が大きな顔をして支配している国家たちによる支配体制から解き放つ契機にしなければならない。そのためには情緒的な「懺悔の日」から脱皮して終戦の日を「歴史を科学する日」にしなければならない。決して歴史を現在の常識で判断してはならないからだ。
日本の真南に位置するパラオ共和国。ここには撃墜された「零戦」が、いまも残されています。長年、死亡したパイロットが誰だったのか分かっていませんでしたが、7年前、吉田久光さん(当時19)が乗っていたことが判明しました。慰霊のため現地を訪れた当時大学生だった吉田大祐さん(当時21)。自分と近い年齢で命を落とした大叔父に思いをはせていました。
「胸を張って今、生きていますと言えるよう、明日から一生懸命頑張りたい」(吉田大祐さん【当時21】)
それから7年・・・
「席につきなさい」(吉田大祐さん【28】)
いま、吉田さんは埼玉県の高校教師をしています。この夏、生徒たちと、ある特別な活動をすることにしました。きっかけは、あの零戦で死んだ大叔父・久光さんが姪に宛てて残した手紙です。
「飛行兵として初陣する。叔父の喜びを察して呉れ。俺の事は何もかも忘れて呉れ」(吉田久光さんの手紙)
死ぬかもしれない出撃を前に、なぜ「喜び」なのか。なぜ、自分のことを忘れろと書いたのか・・・。「少しでも考えてほしい」と、吉田さんは、生徒たちにも大切な人への「最後の手紙」を書いてもらうことにしたのです。
「あなたにとっての見守ってくれた人へ、最後に何を書きますかというのがテーマ」(吉田大祐さん)
10代後半の生徒たちにとって考えたこともなかった「最後の手紙」。手元をのぞいてみると、そこには普段、口にしない思いが・・・
「お母さん、たくさん愛をありがとう」(女子生徒)
「父親の子として生まれて、本当に良かったと思っています。このやりとりが最後だとしたら、手紙より面と向かって感謝を言いたいです」(男子生徒)
そして、隣同士で発表する場になると感極まる生徒たちが次々と・・・
「お母さんの大切さとかを実感できて、いい時間になりました」(女子生徒)
その後、零戦で死んだ久光さんについて話した吉田さん。その言葉に耳を傾けた生徒たちの表情は、それまでとは違っていました。
「(戦争を)過去のものと割り切ってはいけないなと思いました」(女子生徒)
「戦争ってこと自体の残酷さとか、同じ年で死を覚悟しなくてはいけないということに対してのつらさもあるし、そういうことをもう1回、確認できたかなと」(男子生徒)
「いまをどう生きるか真剣に考えてほしいというのが、一つのテーマだったので、真剣に(手紙を)書く生徒たちのことを見て、そういう時間になったのかなと思います」(吉田大祐さん)
若者にいかに戦争の記憶を伝えていくべきか、新しい時代でも問われています>(以上「TBS news」より引用)
戦争は悲惨だ、という「事実」だけを伝えるだけで、今を生きる私たちの義務は果たせるのだろうか。確かに戦争は悲惨だ。しかし、それだけがすべてではない。
歴史を現代の常識で判断するのは危険だ。そして歴史を情緒面だけで語るのはもっと危険だ。戦争は悲惨だから決して戦争をしてはならない、という結論だけで「戦争を語り継ぐ」というのでは厭戦史観を植え付けるだけだ。
歴史は日本だけで成り立っているのではない。ましてや戦争は日本だけでは出来ない。1940年当時の世界史を現代を生きる日本国民は知るべきだ。
当時の世界は帝国主義の真っ盛りで、欧米列強が有色人種の地に軍事侵攻して、分捕り合戦を繰り広げていた。分捕ればその地を「植民地」とし、現地人を牛馬以下に使役して、作物や地下資源を搾取して本国へ送っていた。
当時、世界でマトモな有色人種の独立国家は日本だけだった。日本は明治維新以来「富国強兵」を合言葉に、懸命に近代化を図り軍事強国として独立を確保していた。
しかし日本の独立国家としての存在を快く思わない米国のルーズベルト大統領は「日本国民を殲滅すべき」と叫び「黄禍」という言葉を用いた。だから平気で都市への絨毯爆撃や原爆の投下など、非戦闘員の大虐殺(ジュネーブ条約で非戦闘員の殺害は禁じられている)を実行した。
日本を破った米国は戦争の惨禍の責任を「米国のせい」ではなく、白人国家に刃向かった日本国民の「好戦的な資質」と考えるように日本国民を洗脳した。それがウォー・ギルト・インフォーメイション・プログラムだ。GHQのそうした政策に現れた思想が「自虐史観」だ。
今も自虐史観が日本国民を支配している。その最たる証拠がテレビなどに登場するMCなどが日韓併合を日本による「朝鮮半島の植民地支配」と表現していることだ。日本は決して朝鮮半島を植民地支配したことはない。いやそもそも「植民地支配」という言葉を定義して、それから使うべきだ。
日韓併合が欧米列強による植民地支配といかに異なっているか。それを検証するのは困難ではない。膨大な史料は残っているし、史実に明らかなのは疑う余地はない。ただ反日国家と反日・日本人がそう言っているだけだ。彼らは日本の先人たちが世界史で果たした金字塔的な働きを貶めているだけでなく、未来の日本国民をも貶め続けようとしている。
そうした策謀に負けてはならない。日本国民は誇りある国家の国民として「戦勝国クラブ(=国連)」つまり軍産共同体国家が支配する世界を終わらせて、すべての人たちが平和を希求し享受できる世界の実現を目指すべきだ。
地球を何回も破滅させられる核兵器を保有して、それが国力だと勘違いし、それぞれの国民までも勘違いさせている国家がのさばっている世界など中世の海賊国家が大きな顔をしていた当時と何が違うというのだろうか。
そうした軍産共同体が支配する国家が「戦勝国クラブ」として世界をリードする体制こそが先の大戦当時そのままの前世紀の遺物だ。膨大な核兵器を保有して誇り合うという狂った国家同士が利害調整する機関を「国際機関」だと人類に勘違いさせている地球規模の謀略こそ、人類が打破すべき前世紀の桎梏だ。
前世紀も前代も、武力で他人の人権を抑圧して恥じなかった国家が世界の指導者だ。それはまさしく狂気の世紀だ。人類は有史以来の武力で他者を殺害し侵略し暴行して来た。今もそうした仕組みのままだ。一体いつになったら、人類はそうした暴虐賛歌の国家体制を恥じて、平和な地球を創生すべきと覚醒するのだろうか。
「終戦の日」を悲惨な戦争系端を受け継ぐ情緒的な「懺悔の日」にしてはならない。歴史を科学する日にして、世界を「軍産共同体」が大きな顔をして支配している国家たちによる支配体制から解き放つ契機にしなければならない。そのためには情緒的な「懺悔の日」から脱皮して終戦の日を「歴史を科学する日」にしなければならない。決して歴史を現在の常識で判断してはならないからだ。