「骨太の方針」とは国民生活に突き刺さる「小骨」の政治だ。
<今回の骨太方針は10月に消費税率を8%から10%に引き上げることを改めて確認した。経済状況を踏まえて20年度予算で「適切な規模の臨時・特別の措置を講ずる」とも明記。さらに米中摩擦などで不透明な海外経済の先行きを念頭に「機動的なマクロ経済政策をちゅうちょなく実行する」として、追加の経済対策に向けた布石も打った。
中期的に内需を下支えするための所得向上策も盛り込んだ。30歳代半ばから40歳代半ばの就職氷河期世代を3年間で集中的に支援し、この世代の正規雇用者を30万人増やす。最低賃金は目標としている全国平均1000円を「より早期に」実現するとした。
少子高齢化が加速するなかでの社会保障は「全世代型」と銘打って、70歳までの就業機会を確保する法整備の方針を示した。短時間労働者への年金・医療の保険適用拡大や、働く高齢者の年金を減額する在職老齢年金の見直しも盛った。
当面の経済政策に腐心する一方、参院選を控える局面で抜本的な構造改革や政策論争を避けた印象がぬぐえない。ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次チーフエコノミストは「賛否が割れる問題をほとんど盛り込んでいない。政権維持に向けた分配政策に偏っている」と指摘する。
社会保障改革の本丸の論議は遅れている。19年は5年ごとの年金財政検証の節目にあたるが、まだ公表されていない。後期高齢者の医療費なども含めた社会保障全体の給付と負担の見直しは18年末にまとめた工程表に沿って、20年度の骨太方針でまとめるとの既定路線の記述にとどまった。
最低賃金についても、議論の過程で浮上していた具体的な年率目標を明示するには至らなかった。最賃の引き上げは中小企業などに生産性の向上を促す取り組みのはずが、中小企業の反発を考慮して書きぶりが曖昧になった。成長戦略でも、経済界が要望する解雇規制の緩和のような踏み込んだ取り組みは乏しい。
第2次安倍政権が初めてまとめた13年度の骨太方針は22年度までの10年間で平均2%程度の実質成長率を実現する目標を掲げていた。これまでのところ潜在成長率は1%前後に低迷したまま。実際の成長率も14~16年度の3年間、潜在成長率との差である需給ギャップがマイナスに沈むなど低空飛行が続く。
日本総合研究所の山田久理事は「全体の方向性は間違っていない」と今回の骨太方針を評価する一方で実効性を問題視する。「昨年の骨太で打ち出された『学び直し』も具体的にどう進めていくのか1年間で詰められていない」。7年目を迎える長期政権。改革の推進力が改めて問われる>(以上「日経新聞」より引用)
骨太の方針を閣議決定したという。その内容が報じられたが、とても「骨太」とはいえない「小骨の方針」というべきものでしかない。その主な小骨は
というものだ。
7項目の何処が「骨太」だろうか。今回は閣議決定されなかったが、75歳以上の医療費個人負担を1割から2割に増やそうという「骨太の方針」もある。
すべて国民生活に突き刺さる小骨と、政治が直接関与すべきでない「企業の雇用」を閣議決定する、という政策のミスマッチまである。
そして決定的なのが消費税10%の実施だ。本当に安倍自公政権はどうかしている。国民の暮らしを真剣に良くしようと考えているのか、最低賃金1,000円を実施したいのなら、まずは経済成長して「生産性向上」と「人手不足」による賃金引上げを企業側から実施させなければならない。それが本筋だが、安倍自公政権は「実施時期は決めないが」自給1,000円を全国一律に決める、と「宣言」している。
日本総合研究所の山田久理事は「全体の方向性は間違っていない」と今回の骨太方針を評価する一方で実効性を問題視する、という。日本総合研究所とはいったい何を研究しているのか知らないが、山田理事の「全体の方向性は間違っていない」とする分析根拠を明確に示して頂きたい。
消費増税10%は確実に日本を再びデフレ不況に陥れるだろう。それは前回5%から8%へ増税した際にも前々回の橋本政権下の3%から5%へ増税した際にも総需要不足になり、景気停滞は確実に起きた経験から推して図るべきだ。
そして今回は最大で5%軽減税率を適用する、などと大見得を切っているが、それはクレジットカードで「食料品」を買い物をした場合に限られる。こんなバカバカしい手間暇をかける軽減税率を実施するくらいなら、なぜ簡単に「食料品の消費税を5%にする」としないのだろうか。
一年かそこらで終わる軽減税の適用にわざわざクレジットカードを作ったり、移動販売車や小売店がカード会社と契約したりカード読み取り機を購入するなどといった手間やカネを掛けさせる政府の魂胆はミエミエだ。ようするに国民のタンス預金を引き出そうとする「政策」だ。
上記記事を掲載する新聞が「日本経済新聞」と社名を付けていることに笑うしかない。何のことはない、政府発表をそのまま掲載する広報紙で、政府お抱えの御用経済評論家を登場させて「問題もある」などと、碌な分析能力もない幇間論評を恥ずかしげもなく開陳する。
日本のマスメディアがこの程度の体たらくだから、国民も何となく「この程度の政治で良いのか」と思い込む。「国民の生活が第一」の政治を求める「骨太の論評」をなぜマスメディアは掲げないのだろうか。それとも本当に政府の広報紙に成り下がってしまったのだろうか。