韓国マスメディアのご都合主義。
<22日付の韓国各紙は、河野太郎外相が21日の会見で徴用工問題に関し「文在寅大統領に責任を持って対応してほしい」と述べたことについて、「礼儀を欠いている」と批判的に報道した。
22日付の韓国各紙は河野太郎外相が21日の会見で徴用工問題に関し「文在寅大統領に責任を持って対応してほしい」と述べたことについて、「礼儀を欠いている」と批判的に報道した、という。なぜ文大統領に「国際法上の(国家が外国での裁判を免除される)主権免除の原則」という「外交常識」を河野外相が伝えたら「礼儀を欠いている」ことになるのだろうか。
韓国紙は「康京和外相と同等の地位の河野氏が韓国大統領を名指しして圧迫に出た」と伝え、「『外交欠礼』(外交上の礼儀を欠く)という指摘が出ている」と報じたというが、そういう理屈を主張するのならなぜ過日に韓国の文議長が「天皇陛下が謝罪すればすべてが終わる」と日本の天皇陛下に言及した際に韓国紙は「礼儀を欠いている」と騒がなかったのだろうか。
こうしたご都合主義が韓国のあらゆる分野に蔓延していることに日本国民はウンザリしている。理性を欠くというよりも、冷静さを欠く言動を一度も振り返らない韓国世論を誘導している韓国マスメディアの責任は重大だ。
かつて韓国民は日韓併合で35年間日本国民として日本国民と同等以上の教育を与えられた。彼らの中から日本の難関とされていた陸軍兵学校に入学して日本軍将校になった者までいたほど優秀な青年がいたくらいだ。しかし現在の韓国はそうした教育とは無縁のようだ。
韓国の歴史ファンタジーを韓国の学校が教えていることに韓国の教育界から批判の一声も上がらない。韓国の各大学で研究している教授などの学者からも「ファンタジー歴史」を恥じる声が全く上がらないことも異常な事態だ。
韓国に学問の自由はあるのだろうか。韓国に表現の自由はあるのだろうか。それ以前に、思想・信条の自由は保障されているのだろうか。到底そうしたマトモな国家とは思えない。
朝鮮日報も「外交トップが相手国の首脳を名指しすることは『外交欠礼』の素地がある」と報道。東亜日報は、韓国当局者が「日本の外相(河野氏)の発言は、事態の解決に役立たない」と述べたと伝えた、という。その前に文議長が天皇陛下に言及して際に同様の文氏批判が起きていたのなら、今回の河野氏の文大統領を名指ししたことを「外交欠礼」だと騒ぎ立てるのは儒教の教えがなせる業だと理解できる。しかし「主権免除の原則」を知らないと思える韓国司法当局に注意喚起するのは大統領の役目ではないのか。だから河野外相がそのことに言及したのは決して「礼儀を欠く行為」ではない。
主権国家たる日本を韓国民が提訴する、という「主権免除の原則」に触れる行為も何でもアリの韓国を世界に宣伝する方が韓国の国益に反することではないか。韓国マスメディアは韓国民に日韓対立を煽って、何か得をすることでもあるのだろうか。
これでは益々日本国民が「韓国疲れ」になり、韓国とは関わりたくない、という心境になるだけだ。それで良いというのなら、韓国マスメディアはご都合主義の報道に専念すれば良い。
韓国日報は1面トップに「無礼な日本」と題した記事を掲載、「康京和外相と同等の地位の河野氏が韓国大統領を名指しして圧迫に出た」と伝え、「『外交欠礼』(外交上の礼儀を欠く)という指摘が出ている」と報じた。
朝鮮日報も「外交トップが相手国の首脳を名指しすることは『外交欠礼』の素地がある」と報道。東亜日報は、韓国当局者が「日本の外相(河野氏)の発言は、事態の解決に役立たない」と述べたと伝えた>(以上「時事通信」より引用)22日付の韓国各紙は河野太郎外相が21日の会見で徴用工問題に関し「文在寅大統領に責任を持って対応してほしい」と述べたことについて、「礼儀を欠いている」と批判的に報道した、という。なぜ文大統領に「国際法上の(国家が外国での裁判を免除される)主権免除の原則」という「外交常識」を河野外相が伝えたら「礼儀を欠いている」ことになるのだろうか。
韓国紙は「康京和外相と同等の地位の河野氏が韓国大統領を名指しして圧迫に出た」と伝え、「『外交欠礼』(外交上の礼儀を欠く)という指摘が出ている」と報じたというが、そういう理屈を主張するのならなぜ過日に韓国の文議長が「天皇陛下が謝罪すればすべてが終わる」と日本の天皇陛下に言及した際に韓国紙は「礼儀を欠いている」と騒がなかったのだろうか。
こうしたご都合主義が韓国のあらゆる分野に蔓延していることに日本国民はウンザリしている。理性を欠くというよりも、冷静さを欠く言動を一度も振り返らない韓国世論を誘導している韓国マスメディアの責任は重大だ。
かつて韓国民は日韓併合で35年間日本国民として日本国民と同等以上の教育を与えられた。彼らの中から日本の難関とされていた陸軍兵学校に入学して日本軍将校になった者までいたほど優秀な青年がいたくらいだ。しかし現在の韓国はそうした教育とは無縁のようだ。
韓国の歴史ファンタジーを韓国の学校が教えていることに韓国の教育界から批判の一声も上がらない。韓国の各大学で研究している教授などの学者からも「ファンタジー歴史」を恥じる声が全く上がらないことも異常な事態だ。
韓国に学問の自由はあるのだろうか。韓国に表現の自由はあるのだろうか。それ以前に、思想・信条の自由は保障されているのだろうか。到底そうしたマトモな国家とは思えない。
朝鮮日報も「外交トップが相手国の首脳を名指しすることは『外交欠礼』の素地がある」と報道。東亜日報は、韓国当局者が「日本の外相(河野氏)の発言は、事態の解決に役立たない」と述べたと伝えた、という。その前に文議長が天皇陛下に言及して際に同様の文氏批判が起きていたのなら、今回の河野氏の文大統領を名指ししたことを「外交欠礼」だと騒ぎ立てるのは儒教の教えがなせる業だと理解できる。しかし「主権免除の原則」を知らないと思える韓国司法当局に注意喚起するのは大統領の役目ではないのか。だから河野外相がそのことに言及したのは決して「礼儀を欠く行為」ではない。
主権国家たる日本を韓国民が提訴する、という「主権免除の原則」に触れる行為も何でもアリの韓国を世界に宣伝する方が韓国の国益に反することではないか。韓国マスメディアは韓国民に日韓対立を煽って、何か得をすることでもあるのだろうか。
これでは益々日本国民が「韓国疲れ」になり、韓国とは関わりたくない、という心境になるだけだ。それで良いというのなら、韓国マスメディアはご都合主義の報道に専念すれば良い。