足るを知らない欲望が投資詐欺に人を引きずり込む。
<ある時は「歌手」、またある時は「宮司」、そして、またある時は「世界でビジネスを展開する実業家」――その正体は自らを「キング」と名乗る、ただの「詐欺師」だった。
実体もないのに「高配当」をうたって出資者からカネをダマし取ったとして、愛知、岡山両県警は13日、「テキシアジャパンホールディングス」(千葉市)の会長、銅子正人容疑者(41=大阪市)ら男女10人を詐欺の疑いで逮捕した。
「1口100万円出資すると、毎月3%の配当が支払われる」
2013年に設立したテキシアは、こんなうたい文句で全国47都道府県1万2929人から資金を集め、被害総額は約460億円に上る。
逮捕者には岡山県警OBの三好輝尚(60)や、指定暴力団6代目山口組の弘道会系幹部の中村外喜治(66)両容疑者も含まれ、県警は暴力団に金が流れていたとみて調べている。
自らを「キング」と呼ばせ、カリスマ経営者兼広告塔として出資者をたぶらかしていたのが、まさに会長の銅子容疑者だった。
「被害者の中心は50代以上の女性です。銅子容疑者はCDまで発売し、全国各地でライブステージに立ち、温泉旅行、クルージングなどを主催し、出資者をもてなしていた。ハデな演出と話術で女性の心をわしづかみにし、高額出資者にはその場で配当を現金で手渡しして安心させ、出資者同士のライバル心や嫉妬心をあおる。そんなカリスマを中心に、イベントを通じて出資者同士の間に仲間意識のようなものが生まれ、参加するのを楽しみにしていた出資者も多くいた」(捜査事情通)
■心理に巧みに付け込んで…
とはいえ、「実態」は新たな出資者を紹介すると配当額が増え、勧誘実績に応じて序列が上がる仕組みだった。
そこで銅子容疑者は全国で「日本を元気にする会」というセミナーを開き、出資金は天然資源開発や事業投資への運用、国際的な問題解決や震災からの復興、人助けにつながると説いた。
「銅子容疑者の話にほだされた出資者たちは、人の役に立つうえ、配当までもらえるならと、本人だけでなく友人、知人まで勧誘。銅子容疑者はそんな心理に巧みに付け込み、『配当は人を元気づけるために使って』と言って、時には高齢者に小遣いを渡すこともあった。そうやって出資者や追加出資を増やしていった」(前出の捜査事情通)
銅子容疑者は福井県大野市出身で、高校時代は愛知の中京高でサッカーの天皇杯、阪南大では大学選手権に出場し、Jリーグからもスカウトされたほど。アスリートの専属トレーナーを務めたこともある。
「シンガポールで会社を経営し、出資金は両方の国で運用すると言っていた。1000億円を超える個人資産があり、東南アジアだけで自宅を8軒所有しているそうです。ロシアのサハ共和国のダイヤモンド発掘事業に出資するとか、元閣僚経験者や元サッカー選手と親しい間柄であることをアピールしていた。国内外の戦没慰霊祭に参加し、自ら宮司になり、カリスマ性に磨きをかけていた」(出資者のひとり)
集めたカネは設立当初から配当に回され、またカネをかき集めるという自転車操業だった。それも17年9月には滞り、ようやく「カリスマ詐欺師」の正体がバレた>(以上「日刊ゲンダイ」より引用)
毎月配当3%を支払う、とは年間で36%であり、あり得ない配当率だと常識人なら「詐欺」と認識して近付かないレベルだ。しかし1万3千人から480億円も詐欺師が金を巻き上げたというから驚きだ。
どうして類似した「投資」詐欺事件が後を絶たないのだろうか。古くは「豊田商事」や「ベルギーダイヤ」などがあった。高配当を謳い文句にしている「儲け話」はまず百パーセント「詐欺」だと思って間違いない。
詐欺でないなら、そんな美味い話なら自分一人で秘かに投資して利益を独占するはずだ。世に蔓延る「新興宗教詐欺」もまさしく「投資詐欺」の一つといって良いだろう。「信じれば、あなたは救われる」と御託を並べて、教祖や幹部たちだけが救われている似非・宗教がなんと多いことだろうか。
憲法が保障している思想・信条の自由から、新興宗教詐欺を働く者が後を絶たないが、投資詐欺も新興宗教詐欺も全く同類型といって良いだろう。人をその気にさせて金を巻き上げる、という手口の何処に相違があるだろうか。
いや、新興宗教だけではない。世界三大宗教も殆ど詐欺に近い。キリストは暖衣飽食していただろうか。マホメットは大モスクの奥の院で暮らしていただろうか。仏陀は大伽藍を営むために信者に莫大な寄付を割り当てただろうか。
天を突くコケラ脅しのような大聖堂は確かに「歴史的文化財」ではあるが、それは人類の精神史において如何なる位置づけになるのだろうか。それも「宗教詐欺」の舞台装置の一つと考えられなくもない。
人の欲望は果てしない。卑しいほどに果てしない。その卑しい欲望に「投資詐欺」が入り込む心の隙を生じさせる。だから詐欺師は「キング」などと馬鹿げた呼称を自ら冠して卑しい心根をカバーしようとする。だが馬鹿げた呼称を詐欺師が発した段階で、常識人なら「非常識」さに気付くはずだ。
いい年をした一人前の男が「キング」と呼ばれて嬉しいとは幼稚園児並みの知性だ、となぜ気味悪く思わないのだろうか。怪しさ満載の「投資詐欺」はネズミ講の手口まで使っていたという。何度ニセ投資事件を経験すれば日本国民は「投資詐欺」を学習するのだろうか。それは「オレオレ詐欺」が手を変え品を変えて詐欺を働いているのと同じかも知れない。
だが「オレオレ詐欺」がいかに手を変え品を変えても、その端緒は電話だということだ。変な電話があったらすべて詐欺だと疑うことだ。家族とは「山」「川」といった合言葉を決めて、合言葉を最初に発しない電話の相手は詐欺だとして、警察に相談することだ。
「山より大きな獅子は出ない」という。何事に対しても心を乱して大騒ぎしないことだ。足るを知れば、好配当を餌にする投資話にも心は動かないだろう。
実体もないのに「高配当」をうたって出資者からカネをダマし取ったとして、愛知、岡山両県警は13日、「テキシアジャパンホールディングス」(千葉市)の会長、銅子正人容疑者(41=大阪市)ら男女10人を詐欺の疑いで逮捕した。
「1口100万円出資すると、毎月3%の配当が支払われる」
2013年に設立したテキシアは、こんなうたい文句で全国47都道府県1万2929人から資金を集め、被害総額は約460億円に上る。
逮捕者には岡山県警OBの三好輝尚(60)や、指定暴力団6代目山口組の弘道会系幹部の中村外喜治(66)両容疑者も含まれ、県警は暴力団に金が流れていたとみて調べている。
自らを「キング」と呼ばせ、カリスマ経営者兼広告塔として出資者をたぶらかしていたのが、まさに会長の銅子容疑者だった。
「被害者の中心は50代以上の女性です。銅子容疑者はCDまで発売し、全国各地でライブステージに立ち、温泉旅行、クルージングなどを主催し、出資者をもてなしていた。ハデな演出と話術で女性の心をわしづかみにし、高額出資者にはその場で配当を現金で手渡しして安心させ、出資者同士のライバル心や嫉妬心をあおる。そんなカリスマを中心に、イベントを通じて出資者同士の間に仲間意識のようなものが生まれ、参加するのを楽しみにしていた出資者も多くいた」(捜査事情通)
■心理に巧みに付け込んで…
とはいえ、「実態」は新たな出資者を紹介すると配当額が増え、勧誘実績に応じて序列が上がる仕組みだった。
そこで銅子容疑者は全国で「日本を元気にする会」というセミナーを開き、出資金は天然資源開発や事業投資への運用、国際的な問題解決や震災からの復興、人助けにつながると説いた。
「銅子容疑者の話にほだされた出資者たちは、人の役に立つうえ、配当までもらえるならと、本人だけでなく友人、知人まで勧誘。銅子容疑者はそんな心理に巧みに付け込み、『配当は人を元気づけるために使って』と言って、時には高齢者に小遣いを渡すこともあった。そうやって出資者や追加出資を増やしていった」(前出の捜査事情通)
銅子容疑者は福井県大野市出身で、高校時代は愛知の中京高でサッカーの天皇杯、阪南大では大学選手権に出場し、Jリーグからもスカウトされたほど。アスリートの専属トレーナーを務めたこともある。
「シンガポールで会社を経営し、出資金は両方の国で運用すると言っていた。1000億円を超える個人資産があり、東南アジアだけで自宅を8軒所有しているそうです。ロシアのサハ共和国のダイヤモンド発掘事業に出資するとか、元閣僚経験者や元サッカー選手と親しい間柄であることをアピールしていた。国内外の戦没慰霊祭に参加し、自ら宮司になり、カリスマ性に磨きをかけていた」(出資者のひとり)
集めたカネは設立当初から配当に回され、またカネをかき集めるという自転車操業だった。それも17年9月には滞り、ようやく「カリスマ詐欺師」の正体がバレた>(以上「日刊ゲンダイ」より引用)
毎月配当3%を支払う、とは年間で36%であり、あり得ない配当率だと常識人なら「詐欺」と認識して近付かないレベルだ。しかし1万3千人から480億円も詐欺師が金を巻き上げたというから驚きだ。
どうして類似した「投資」詐欺事件が後を絶たないのだろうか。古くは「豊田商事」や「ベルギーダイヤ」などがあった。高配当を謳い文句にしている「儲け話」はまず百パーセント「詐欺」だと思って間違いない。
詐欺でないなら、そんな美味い話なら自分一人で秘かに投資して利益を独占するはずだ。世に蔓延る「新興宗教詐欺」もまさしく「投資詐欺」の一つといって良いだろう。「信じれば、あなたは救われる」と御託を並べて、教祖や幹部たちだけが救われている似非・宗教がなんと多いことだろうか。
憲法が保障している思想・信条の自由から、新興宗教詐欺を働く者が後を絶たないが、投資詐欺も新興宗教詐欺も全く同類型といって良いだろう。人をその気にさせて金を巻き上げる、という手口の何処に相違があるだろうか。
いや、新興宗教だけではない。世界三大宗教も殆ど詐欺に近い。キリストは暖衣飽食していただろうか。マホメットは大モスクの奥の院で暮らしていただろうか。仏陀は大伽藍を営むために信者に莫大な寄付を割り当てただろうか。
天を突くコケラ脅しのような大聖堂は確かに「歴史的文化財」ではあるが、それは人類の精神史において如何なる位置づけになるのだろうか。それも「宗教詐欺」の舞台装置の一つと考えられなくもない。
人の欲望は果てしない。卑しいほどに果てしない。その卑しい欲望に「投資詐欺」が入り込む心の隙を生じさせる。だから詐欺師は「キング」などと馬鹿げた呼称を自ら冠して卑しい心根をカバーしようとする。だが馬鹿げた呼称を詐欺師が発した段階で、常識人なら「非常識」さに気付くはずだ。
いい年をした一人前の男が「キング」と呼ばれて嬉しいとは幼稚園児並みの知性だ、となぜ気味悪く思わないのだろうか。怪しさ満載の「投資詐欺」はネズミ講の手口まで使っていたという。何度ニセ投資事件を経験すれば日本国民は「投資詐欺」を学習するのだろうか。それは「オレオレ詐欺」が手を変え品を変えて詐欺を働いているのと同じかも知れない。
だが「オレオレ詐欺」がいかに手を変え品を変えても、その端緒は電話だということだ。変な電話があったらすべて詐欺だと疑うことだ。家族とは「山」「川」といった合言葉を決めて、合言葉を最初に発しない電話の相手は詐欺だとして、警察に相談することだ。
「山より大きな獅子は出ない」という。何事に対しても心を乱して大騒ぎしないことだ。足るを知れば、好配当を餌にする投資話にも心は動かないだろう。