未必の故意が増える社会とは。

相模原市で26日未明、道路上に張られたロープにバイクが引っかかり、男性がけがをする事件があり、神奈川県警は29日、パート従業員の出来公一容疑者(41)=同市南区相模台団地=を殺人未遂の疑いで逮捕した。出来容疑者は、ロープを張ったことは認めているものの、「死んでもいいとは思っていなかった」と殺意を否認しているという。
 相模原南署の発表によると、出来容疑者は26日午前3時35分ごろ、相模原市南区相模台1丁目で、市道(幅約4・6メートル)にロープを張り、走行してきたバイクを転倒させ、運転手の男性(45)の腰にけがを負わせた疑いがある。
 調べに対して、出来容疑者は「日々のストレスを解消したかった」などと供述しているという。現場近くの防犯カメラの映像などから同容疑者が浮上したという>(以上「朝日新聞」より引用)

 夜間の暗い道路にロープを張れば自転車やバイクが通りかかれば死ぬかもしれない、となぜ思わないのだろうか。相模原市の道路上にロープを張ってバイクが引っ掛かり転倒した事故があった。
 その容疑者が捕まったというが、41才のパート従業員だという。格子にいわせれば「四十にして惑わず」という年恰好だが、当節の四十はまだまだ「不惑」ではなくガキのようだ。

 なぜかこうした「未必の故意」が増えているように思われてならない。「こうすれば、どうなる」といった物事の因果関係が呑み込めない、というか認識しようとしない人が増えているような気がする。
 パチンコ三昧の若い夫婦が育児を放擲して死に至らしめたり、「絶食」させればどうなるかを考えもせずに若い夫婦が幼児を虐待して餓死させたりしても、「死ぬとは思わなかった」と供述しているのには驚く。彼らには物事の顛末が予測できない「時間推移の総合的な認識」が出来ない「統合失調症」でも患っているのかと疑う。

 しかし成人したいい大人がそうしたことでは困る。社会的な責任を負うべき年齢に達しても、一人前の人としての自覚もなければ他者を思いやる想像力も持ち合わせていない。身の回りだけの極めて狭小な空間しか認識しかできない大人が増えている。
 飲酒運転や煽り運転なども余りにも近未来に起こりうる事態が想像できない、「原因」と「結果」が頭の中で繋がらない「偏向思考」が常態化している大人が増えているような気がする。

 そうした幼稚化した大人の「未必の故意」に対抗して身を守るには「監視カメラ」を方々に設置した「記録社会」にならざるを得ない。自動車に乗る者で「煽り運転」から身を守るにはドライブレコーダを設置して、煽られたらそのまま強制的な停車に応じないで、警察署に駆け込むしかないだろう。もしも高速道路でそうした目に遭ったなら、ICを出て高速道路事務所に駆け込むことだ。
 「未必の故意」を平気で犯す法規範の欠落した人物をマトモに相手してはいけない。彼らの違法行為は直ちに警察沙汰にすべきだ。そのために証拠となるドラ・レコが必要だ。相模原市の「道路・ロープ」男も防犯カメラの映像から割り出された。

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