加計氏と安倍氏は「腹心の友」だ。
<学校法人加計(かけ)学園の加計孝太郎理事長は7日、愛媛県今治市の岡山理科大獣医学部で記者会見を開き、同学部新設問題について説明した。愛媛県の文書に記された安倍晋三首相との面会を「覚えていないし、記録もない」と否定し、6月の初会見時の説明を繰り返した。ただ、一連の県文書を「見ていない」とし、会見のやり直しを求められると「市や県と協議する必要がある」と述べた。
誰も加計氏と安倍氏が「獣医学部新設」に関して事前に話し合っていないと考えていない。ただ具体的な証拠がないから沈黙しているだけだ。
そうした意味では加計氏や安倍氏よりも沈黙している国民の方が数段道徳的に上の存在だ。しかし道徳的に優れているその他大勢の国民の方が「損」をして、道徳なんぞ「屁でも喰らえ」とやりたい放題の連中が税金を食い物にして「得」をしている現実は許し難い。
政治の公正・公平は「犯罪」に問われなければ良い、というものではない。犯罪を問う「刑法」は最低のモラルを定めたものでしかないからだ。
国民が「疑惑」を感じた段階で政治家としては「疑惑」を晴らす「義務」がある。ただこの「義務」というのも法に定められたものではない。それは「信義則」といわれるもので、政治家にはそれだけ高い道徳性が問われる。
加計氏の態度は学校法人を多数経営する「教育者」として相応しいものだろうか。国民の税と入学金や授業料で若者を教育する教育者としての「道徳」が備わっている人なのかが問われている。
法に抵触しなければ何をやっても良い、というのならヤクザと何ら変わらない。ヤクザは反社会的存在として社会から排除されている。しかし加計氏や安倍氏はもちろん反社会的存在として社会から排除されているわけではない。むしろ大きな顔をして巨額な税を消費し、それぞれが権力の座に居座っている。
加計氏は安倍氏と 「2017年1月20日」以前に会ったという「記録も記憶もない」と愛媛県が開示した文書に反する意を愛媛県庁で表明した。ただ愛媛県が開示した文書は見ていない、と矛盾する発言もした。
安倍首相は昨年7月、学部新設計画を知ったのは「2017年1月20日」と説明。一方、愛媛県が今年5月に参議院に提出した文書には、15年2月25日に加計氏が首相と面会し、首相が「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントした、という学園からの報告内容が記されていた。学園は県文書について「面会は実際にはなかった」とし、渡辺良人事務局長が県に謝罪していた。
加計氏は7日の会見で、学園の渡辺事務局長が新設の話を前に進めるため、「勇み足で誤解を招くようなことをした」との説明を繰り返し、面会は「記録を調べてもらったが、事務局もないということだった」と話した。
ただ一連の県文書には、面会がないとつじつまが合わない記載が複数ある。これについて問われると加計氏は「県の文書なので、我々が関知することではない」としつつ、県の文書を見ていないとも話し、「もう一度調査して、報告する」と答えた。
6月の初会見では、安倍首相との関係について「仕事のことを話すのはやめようというスタンスでやっている」と述べ、「新しい学部や学科の新設に挑戦していきたいという趣旨のお話は聞いた」という首相の答弁と食い違っていた。加計氏は7日の会見では「そういうふうに言われれば、したことはあるかもしれませんね」と述べた。
これも「嘘」だろう。一般的に自身の動静が愛媛県の開示した文書にあって、それが世間を騒がしている根拠になって入れのなら、誰でも身の潔白を示すために批判されている根拠の文書を精読するはずだ。
実際に会っていないとして「会った」としたのは加計学園の事務局長が獣医学部新設に「安倍氏と加計氏の親密な関係」を匂わす方が加計学園にとって「得」だと考えたのなら、実際に会っていたのかどうかは問題ではない。安倍氏と加計氏が「特別な関係」にある「特別関係者」だったということだろう。
官邸や愛媛県や今治市が安倍氏との「特別関係者」が獣医学部新設で申請していればどういう処遇をするのか。そこに日本の行政の「公平・公正」が問われる。問題ではない、という政治家やマスメディア関係者は「道徳性」に於いて程度が低いといわざるを得ない。
それは補助金の札束で頬を張れば自分たちの推す候補者に沖縄県民は投票する、と考えた連中の「道徳性」と同じ程度に低い。一緒にゴルフをしたりバーベキューをしたりする友人が獣医学部新設を「申請」しているかもしれない、と思ったら「俺の政権の間は遠慮してくれないか」と忠告すべきが「腹心の友」のありかたではないか。
高い道徳性が問われる政治家ならそうした対応をすべきだ。しかし、どうやら日本の政治家の道徳性は極めて低いようだ。それは政治家だけではなく、無実の小沢氏を「政治とカネ」プロパガンダで政治の表舞台から排除した検察とマスメディア関係者も同じ程度に道徳性が低いといわざるを得ない。
「やった者勝ち」というのは人を陥れる謀略の世界の話だ。日本の中央を牛耳っている連中は「謀略の世界」を生きているのだろうか。そういえばオリンピック招致の段階でIOCに説明していた開会予算総額が既にその10倍を超える3兆円に膨らんでいる。まさしく「謀略の世界」がここでも展開されている。
そうした謀略で食い物にされるのはすべて国民の税金だということを忘れてはならない。国民は怒りに震えて次の選挙で「道徳性」の欠如した政治家を落選させなければ、政界は少しも浄化されない。政治家に高い「道徳性」を求めるのも求めないのも、結局は国民の投票行動だ。