伊方原発稼働は誰のためか。

<は27日未明、伊方原発3号機(伊方町)の原子炉を起動し、再稼働させた。伊方3号機の稼働は定期検査に入った2017年10月以来で、約1年1カ月ぶり。
 四電によると、27日午前0時半に原子炉内の核分裂反応を抑えている制御棒を引き抜く作業を始め、原子炉が起動した。27日夜には、核分裂反応が安定して続く「臨界」に達する予定。30日に発送電を開始し、11月28日の営業運転再開を見込んでいる。
 再稼働を前にした26日夕、中村時広知事は「今後も緊張感を持って、徹底した安全対策に取り組むことが前提」と四電に求めた。佐伯勇人社長は「安全第一がモットーで、一つ一つの工程を丁寧にチェックしながら進めたい」と述べた。
 伊方3号機は、国の原子力規制委員会が示した原発の新規制基準に合格し、16年8月に再稼働。17年10月に定検で運転停止し、今年1月の稼働を見込んでいたが、17年12月に広島高裁の運転差し止め仮処分決定が出た。9月に広島高裁が運転差し止めの仮処分決定を取り消し、四電は原子炉への核燃料装塡(そうてん)などの準備を進めていた>(以上「愛媛新聞社」より引用)


 伊方原発は27日未明に原子炉を起動して、いよいよ再稼働させた。伊方町の住民一万人余のうち大部分の人たちは四国よりではなく、佐多岬半島の豊後水道側に暮らしている。緊急時にいかにして避難するのか、その方法が確立されているとは言い難い。
 伊方原発の再稼働に対して再稼働反対派住民は運転差し止めを提訴していたが、広島高裁で「再稼働反対の根拠とされた阿蘇山の大噴火の危険性が差し迫っていると証するものは無い」として仮処分決定を取り消した。万が一の事態が起きれば馬鹿な高裁判事の「非科学的」な判断が惨事を招くことになる。

 阿蘇山が大噴火する「証拠」は地層に幾らでも残されている。それが差し迫っているのかいないのか、人知を超えたものであることは各地の噴火で犠牲者が何人も出ていることから明らかだ。
 広島高裁判事に聞きたい。阿蘇山大噴火が近々起きないという証拠があるのか、と。南海トラフ海底大地震による大津波で伊方原発が水没しない、という「証拠」があるのか、と。

 自然現象が人知の「想定」を超えた証拠は幾らでもある。福一原発は海底地震が起きれば大津波は15mに達する、との事前予測があったが、福一原発建設当時の想定10mのまま嵩上げされなかったため、原発が水没して総電源喪失となり原子炉破壊と放射能大漏洩という「人災」を誘発した。
 四国電力は伊方原発を再稼働させなければ電力が足りない、という状態ではない。むしろ太陽光発電量の需要=供給に占める割合が九州電力以上で、晴天時には必要供給量を上回る可能性すらある。そうした状態で発電量が適宜調節できない原発はむしろ電力の安全供給のためには再稼働すべきでなかった。

 ただただ作ってしまった原発を稼働しなければ「不良資産」となり、四国電力は巨額の「除却損」を計上しなければなかったからに過ぎない。原発を廃炉処分ともなければ一気に四国電力は赤字となり、経営陣の賞与は勿論のこと年俸を引き下げざるを得なくなる。それを避けるためにも、原発が稼働することを示す必要があったのだろう。
 原発は稼働を停止していても基礎的な装置は絶えず稼働していなければならない。核分裂は制御棒で停止していても、核燃料の崩壊は続いている。燃料プールの冷却水を絶えず循環させなければ沸騰してしまう。原発は決して廉価な発電装置ではなく、ことほど左様に人手のかかる金食い虫なのだ。

 何度も指摘されたように、最終処分場も決まっていない、一万年もどうやって放射性廃棄物を「安全」に保存するのかも決まっていない。そうした負担を次世代以降の人類に残す原発を後生大事に「再稼働」する電力会社と政府の「自分たちの時代さえ良ければ良い」という姿勢そのものを批判する。
 私たち人類は手に入れた「悪魔の火」に熱中し過ぎたのではないか。酸化ではない、核融合による莫大な熱量に魅入られたかのようだ。核に人類は手を付けるべきではなかった。人類が滅亡するとすれば、そけは飢饉でも疫病でもなく、悪魔の火の「核」によるだろう。悪魔の火に魅入られた愚かな者により、日本でまた一つ「悪魔の火」が灯された。

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