「歴史修正主義」はどっちだ。
<安倍晋三首相(63)が12日の講演で、自民党の憲法改正案を秋の臨時国会で提出できるよう議論を加速させたい考えを示した。9月の党総裁選で一騎打ちが予想される石破茂元幹事長(61)は拙速な議論を批判しており、改憲は総裁選の大きな争点だ。ただ、自衛隊明記などの自民案が他党の賛同を得られる見通しは依然立たず、総裁選が改憲実現の地ならしにつながるとは限らない>(以上「毎日新聞」より引用)
憲法改正を安倍氏は急いでいるようだが、何のために憲法改正をするのか、を分かり易く説明して頂きたい。自衛隊が憲法に明記してないから、自衛隊を明記するのだ、というのなら必然性がない。
それなら「警察」は憲法に明記してあるのか。消防士は明記してあるのか。「解釈」として自衛隊の存在を現憲法も否定するものではない、ということで何の不都合があるだろうか。ただ国際問題に関して武力による解決を永遠に放棄する、としてあることで日本が能動的に「戦争」に踏み込まないことだけを明らかにしておけば良い。
しかし、それでは安倍氏は困るのだろう。彼は「戦争法」が憲法違反だということを殆どの憲法学者が指摘していることを知っている。それなら「自衛隊」を憲法に明記すれば「戦争法」が憲法違反でないことになるのではないか、と考えているのではないだろうか。
だが、安倍氏は憲法第九条の2項を残すとしている。2項こそが交戦権や先制攻撃を否定する概念を明記している。安倍氏の「戦争法」が憲法に抵触する根拠となっている条文だ。
そもそも日本政府がなすべきはそんな些末なことではないだろう。日本政府がなすべきは終戦50年で愚かな時の総理大臣村山富市氏が「先の大戦はアジアへの侵略だった」と述べた政府見解を否定することだ。私たちの先人は「大東亜共栄圏」を掲げて大陸へ進出した。そのことを忘れてはならない。
実際に私たちの先人が戦ったのは領土拡大策を展開していたソ連であり、そのソ連との戦いに嘴を挟んで来た中国であり、東アジアを植民地にしていたオランダであり、フランスでありイギリスでありアメリカである。
英国の歴史学者アーノルド・トエンビー氏は先の大戦を評して「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある」との言葉を遺している。
またインドネシアの元首相ナチール氏は「「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」と言っている。先の戦争を正しく評価していないのはまさしく日本政府の方ではないだろうか。
安倍氏はそうした村山首相の時代に馬鹿げた政府見解や「村山談話」を出したことを訂正し、自虐史観を日本から一掃しようとしていたのではなかっただろうか。それこそが彼が「戦後レジュームからの脱却」と呼んでいたことではないだろうか。
しかし彼は何かに屈して「戦後レジュームからの脱却」を諦め、「戦争法」を制定して自衛隊を米軍の弾除けに使うことを決意した。なんという愚かな首相だろうか。誇りある独立国「日本」というのなら、憲法規定を盾にとって「自衛隊を海外の紛争地へ派遣することは出来ない」と突っ撥ねるべきだった。
自衛隊を紛争地へ派遣しなければ面目が立たない。という「国連主義」は捨てることだ。国連は何も世界平和を希求している国際機関ではない。国連は「戦勝国クラブ」に過ぎない。戦勝国と自称する五ヶ国が「常任理事国」に収まり、それ以外の世界190ヶ国以上の国々に君臨する構図になっている。
こんな馬鹿げた国際機関が世界平和を希求することなどできない。しかも国連の職員が世界各国から等しく採用されているのではない。極めて世界の近代史に疎い知能指数を疑う職員が「ユネスコ知的世界遺産」を審査していることからも明らかだ。
世界から植民地は消滅した。それは日本の先人が命を懸けて欧米諸国と戦った成果だ。これは世界史に燦然と輝く金字塔だ。いかに米国が自虐史観で日本国民の自尊心を破壊しようと、馬鹿な似非・評論家たちが自虐史観の走狗となって日本国民を洗脳しようと、真実は真実として歴史に残っている。百年後も千年後も、日本が植民地主義を終焉に導いた国家だという事実は遺り続ける。
日本国民が日本国民の先人を貶めてはならない。米国人が米国民に「米国民は先住民を600万人も虐殺して土地を奪い、アフリカ住民を奴隷として1000万人も連れて来て牛馬以下の境遇で使役した」と教えているのだろうか。そしてメキシコを戦争に引きずり込んでカリフォルニアを奪い、ハワイを謀略で奪い、そしてスペインの植民地だったフィリピンをスペインから奪って植民地支配した、と教えているだろうか。
だが、歴史上の事実を書き換えることは出来ない。日本国民を自虐史観でいかに貶めて、米国をはじめとする欧州諸国が紳士面をしようと、彼らがかつて「有色人種の地域を植民地として支配していた」という事実は消えない。そうした「不名誉」な歴史を消し去るために、日本を悪役に規定して「悪役を叩き潰したヒーローたち」という世界史に書き換えたいのだろう。しかし彼らが植民地で行った搾取と人権無視の政策は「史実」としてそれぞれの国に遺っている。
終戦73年を迎えて、先人たちが日本を欧米の植民地にしてはならない、との悲壮な決意で開戦に臨んだ歴史上の事実を喚起しなければならない。日本国民が自虐史観で歴史を書き換えることが出来る、としたなら、再び世界は植民地獲得の帝国主義になりかねない。
愚かな国民がその国の軍事侵略を支持するなら、世界は再び戦乱に巻き込まれるだろう。歴史こそ国際機関で「事実に基づくもののみを教えるべき」と既定すべきだ。その規定を批准しない国は「歴史修正主義国」として世界が批判することだ。
現在の日本こそが「歴史修正主義国」だ。日本は世界から批判されてしかるべきだ。日本が欧米の仕出かした植民地・帝国主義を批判しないばかりに、現在でもその当時の欧米諸国のように振舞う愚かな国がある。彼らには正しい歴史が教育が必要だ。そのためにも日本国民は一日も早くGHQが植え付け洗脳した「自虐史観」から覚醒しなければならない。
憲法改正を安倍氏は急いでいるようだが、何のために憲法改正をするのか、を分かり易く説明して頂きたい。自衛隊が憲法に明記してないから、自衛隊を明記するのだ、というのなら必然性がない。
それなら「警察」は憲法に明記してあるのか。消防士は明記してあるのか。「解釈」として自衛隊の存在を現憲法も否定するものではない、ということで何の不都合があるだろうか。ただ国際問題に関して武力による解決を永遠に放棄する、としてあることで日本が能動的に「戦争」に踏み込まないことだけを明らかにしておけば良い。
しかし、それでは安倍氏は困るのだろう。彼は「戦争法」が憲法違反だということを殆どの憲法学者が指摘していることを知っている。それなら「自衛隊」を憲法に明記すれば「戦争法」が憲法違反でないことになるのではないか、と考えているのではないだろうか。
だが、安倍氏は憲法第九条の2項を残すとしている。2項こそが交戦権や先制攻撃を否定する概念を明記している。安倍氏の「戦争法」が憲法に抵触する根拠となっている条文だ。
そもそも日本政府がなすべきはそんな些末なことではないだろう。日本政府がなすべきは終戦50年で愚かな時の総理大臣村山富市氏が「先の大戦はアジアへの侵略だった」と述べた政府見解を否定することだ。私たちの先人は「大東亜共栄圏」を掲げて大陸へ進出した。そのことを忘れてはならない。
実際に私たちの先人が戦ったのは領土拡大策を展開していたソ連であり、そのソ連との戦いに嘴を挟んで来た中国であり、東アジアを植民地にしていたオランダであり、フランスでありイギリスでありアメリカである。
英国の歴史学者アーノルド・トエンビー氏は先の大戦を評して「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある」との言葉を遺している。
またインドネシアの元首相ナチール氏は「「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」と言っている。先の戦争を正しく評価していないのはまさしく日本政府の方ではないだろうか。
安倍氏はそうした村山首相の時代に馬鹿げた政府見解や「村山談話」を出したことを訂正し、自虐史観を日本から一掃しようとしていたのではなかっただろうか。それこそが彼が「戦後レジュームからの脱却」と呼んでいたことではないだろうか。
しかし彼は何かに屈して「戦後レジュームからの脱却」を諦め、「戦争法」を制定して自衛隊を米軍の弾除けに使うことを決意した。なんという愚かな首相だろうか。誇りある独立国「日本」というのなら、憲法規定を盾にとって「自衛隊を海外の紛争地へ派遣することは出来ない」と突っ撥ねるべきだった。
自衛隊を紛争地へ派遣しなければ面目が立たない。という「国連主義」は捨てることだ。国連は何も世界平和を希求している国際機関ではない。国連は「戦勝国クラブ」に過ぎない。戦勝国と自称する五ヶ国が「常任理事国」に収まり、それ以外の世界190ヶ国以上の国々に君臨する構図になっている。
こんな馬鹿げた国際機関が世界平和を希求することなどできない。しかも国連の職員が世界各国から等しく採用されているのではない。極めて世界の近代史に疎い知能指数を疑う職員が「ユネスコ知的世界遺産」を審査していることからも明らかだ。
世界から植民地は消滅した。それは日本の先人が命を懸けて欧米諸国と戦った成果だ。これは世界史に燦然と輝く金字塔だ。いかに米国が自虐史観で日本国民の自尊心を破壊しようと、馬鹿な似非・評論家たちが自虐史観の走狗となって日本国民を洗脳しようと、真実は真実として歴史に残っている。百年後も千年後も、日本が植民地主義を終焉に導いた国家だという事実は遺り続ける。
日本国民が日本国民の先人を貶めてはならない。米国人が米国民に「米国民は先住民を600万人も虐殺して土地を奪い、アフリカ住民を奴隷として1000万人も連れて来て牛馬以下の境遇で使役した」と教えているのだろうか。そしてメキシコを戦争に引きずり込んでカリフォルニアを奪い、ハワイを謀略で奪い、そしてスペインの植民地だったフィリピンをスペインから奪って植民地支配した、と教えているだろうか。
だが、歴史上の事実を書き換えることは出来ない。日本国民を自虐史観でいかに貶めて、米国をはじめとする欧州諸国が紳士面をしようと、彼らがかつて「有色人種の地域を植民地として支配していた」という事実は消えない。そうした「不名誉」な歴史を消し去るために、日本を悪役に規定して「悪役を叩き潰したヒーローたち」という世界史に書き換えたいのだろう。しかし彼らが植民地で行った搾取と人権無視の政策は「史実」としてそれぞれの国に遺っている。
終戦73年を迎えて、先人たちが日本を欧米の植民地にしてはならない、との悲壮な決意で開戦に臨んだ歴史上の事実を喚起しなければならない。日本国民が自虐史観で歴史を書き換えることが出来る、としたなら、再び世界は植民地獲得の帝国主義になりかねない。
愚かな国民がその国の軍事侵略を支持するなら、世界は再び戦乱に巻き込まれるだろう。歴史こそ国際機関で「事実に基づくもののみを教えるべき」と既定すべきだ。その規定を批准しない国は「歴史修正主義国」として世界が批判することだ。
現在の日本こそが「歴史修正主義国」だ。日本は世界から批判されてしかるべきだ。日本が欧米の仕出かした植民地・帝国主義を批判しないばかりに、現在でもその当時の欧米諸国のように振舞う愚かな国がある。彼らには正しい歴史が教育が必要だ。そのためにも日本国民は一日も早くGHQが植え付け洗脳した「自虐史観」から覚醒しなければならない。