日本を破壊し続けている連中の正体は。
<政府が今国会の最重要法案とした働き方改革関連法は29日午前の参院本会議で可決、成立した。残業時間の上限規制や、正社員と非正規の不合理な待遇差を解消する「同一労働同一賃金」、高収入の一部専門職を労働時間の規制から外す「脱時間給制度(高度プロフェッショナル制度)」の導入を柱とする。日本の労働慣行は大きな転換点を迎える。
自民党が保守政党だと思っている人がいるとしたら大間違いだ。安倍自公政権ほど戦後日本を破壊した政権はない。そうした意味では自公政権はまさしく革新政党だ。
しかも革新の方向が「国民の生活が第一」とは真逆の、一握りの者のためだから始末が悪い。残業無料化や「高ブロ」法などによって日本の労働者は無経営者の意のままに長時間労働を強いられることになりかねない。過労死の犠牲者を出した家族が反対したのも頷ける。
その一方で「 健康確保措置として「4週間で4日以上、年104日以上」の休日確保を義務付ける」という条文は一見労働条件緩和のようだが、使用者側の理由で雇用契約の当初4日間に続けて休みを取らせれば、残りの24日は休みなく働かせることが出来る、という過酷な労働条件を労働者に強いることでしかない。
なぜ週単位での労働時間制限と休日規定を外したのだろうか。人が健康に働くためには週単位での労働制限が雇用条件に書き込むことが必要だ。4週間、つまり約一月単位で休日を自由に移動できるというのは苛酷に過ぎはしないだろうか。父親や母親をそうした労働条件で土日に奪われる子供たちや家庭のあり方が健全だとでもいうのだろうか。それが少子化対策に資するとでもいうのだろうか。
同一労働同一賃金、という考えを法制化するのは賛成だ。しかし、なぜ今頃になって法制化するのか、その意図を計りかねる。
「構造改革」の竹中平蔵氏は「正規社員は既得権益だ」と発言している。つまりすべての労働者を非正規の派遣労働者に置き換えるべきだ、と主張している。
竹中氏にとっては労働者は単なる「労働工数」でしかないようだ。人格のない労働工数だとしたら、使用者側は雇用賃金さえ支払えば契約した労働成果を出さない限り契約賃金は支払わない、という考えが成り立つ。労働が人格なき労働工数なら、規定された休日数をいつ取らせようが、それは雇用者側の自由だ。
そうした労働現場が苛酷でないと誰が言えるだろうか。まるで奴隷の雇用契約ではないか。労働者は企業の奴隷では断じてない。経営者と一体となって成果を出す協力者だ。そうした労働慣行で日本は高度経済成長を成し遂げた。
しかし、そうした日本の伝統的な雇用形態が持続してもらっては困る勢力がいる。日本の労働法を実質的に形骸化させて、雇用関係を破壊し日本企業の底力を喪失させ、改善(カイゼン)や技術の伝承が出来ないように仕向ける勢力に安倍自公政権とその補完勢力の愚かな政治家たちが操られている。
なぜ「構造改革」論者たち、つまりグローバリストたちは高度経済成長を成し遂げた日本社会を破壊し続けるのだろうか。日本が成長力を失い後進国へ転落するように徹底的に仕向けるのはなぜだろうか。そのハンメルンの笛を吹き続ける安倍氏を支持する連中の正体とは一体何だろうか。
戦後GHQは日本を徹底破壊するために自虐史観を植え付けた。日本国民の誇りを奪うために「併合」を「植民地」と読み替えた。当時の欧米列強が世界でいかなる所業に及んでいたかは言及しないで、満州や中国大陸に進出した先人たちを「侵略者」と決めつけて日本国民を洗脳した。
しかし明治日本は日清、日露戦争をどこで戦ったか。朝鮮半島ではないか。つまり侵略者たちが半島経由で日本へ迫ったから明治日本は戦争を決意したに過ぎない。先の大戦もGHQ最高司令官を解任させられたマッカーサーは後に米国議会で「日本は防衛戦争を戦った」と証言している。
根も葉もない慰安婦などに安倍氏は「最終合意」などといった馬鹿げた屋上屋を重ねた。彼もまた村山富市氏に連なる自虐史観の宣伝マンの一人に過ぎない。ネトウヨ諸君が応援するに値しない反日・政治家だ。
なぜそうした正体が解らないのだろうか。日本を取り戻すためには日本の伝統と文化を大切にすべきだ。労使雇用関係も日本が年月をかけて育んできた終身雇用制度があったではないか。グローバリストたちが目指している米国社会は上位1%の資産は残り90%の資産と同じ、という超格差社会だ。そうした社会を日本国民は望んでいるのだろうか。
現代日本の対立軸は「保守」対「革新」ではない。「グローバリズム」対「国民の生活が第一」だ。そうした明快な対立軸の下で動いている日本政治の風景すら見えない愚かなマスメディアや政治評論家たちによる饒舌にして中身のない政治バラエティー化した報道番組に「得心」している日本国民はすっかりマスメディアに飼い慣らされている。
「グローバリズム」対「国民の生活が第一」という現代日本の政治の対立軸を肝に銘じて、すべての政治家を「グローバリズム」対「国民の生活が第一」で識別すべきだ。「グローバリズム」を推進する自公とその補完勢力たちは日本国民を貧困化させ、外国人労働移民を大量流入させて日本社会を根底から破壊しようとしている。私たちは危機感を持って「国民の生活が第一」の政治を推進する政治家を選ぶべきだ。それが日本を取り戻すことに繋がる。
働き方改革法には与党に加えて、日本維新の会、希望の党、無所属クラブの5会派が賛成した。立憲民主党、国民民主党、共産党などが反対した。加藤勝信厚生労働相は法成立を受けて「改革を通じて生産性向上につなげる。法の趣旨をさらに説明し、一人ひとりが実情に応じて働くことができる社会の実現に努力したい」と述べた。
28日の参院厚生労働委員会では付帯決議を可決した。働き方改革法に関する要望や監督指導の徹底を促す内容で47項目からなる。脱時間給制度を導入した事業所全てに労働基準監督署が立ち入り調査するなど、野党が反対してきた脱時間給制度に関する13項目も盛り込まれた。国民民主党、立憲民主党も付帯決議には賛成した。
働き方改革法は労使の代表が参加した「働き方改革実現会議」の実行計画に沿ってつくった。労働基準法など計8本の法律を一括で改正する。長時間労働を是正するため、残業時間の規制は「原則月45時間、年360時間」と定める。繁忙期に配慮し、上限は年間で計720時間、単月では100時間未満に規定する。違反した企業には罰則を科す。大企業は2019年4月、中小企業は20年4月から適用する。
同一労働同一賃金は、正社員や非正規などの雇用形態に関係なく、業務内容に応じて賃金を決める制度だ。基本給は勤続年数や成果、能力が同じなら同額とする。休暇や研修も同様の待遇を受けられるように改め、通勤・出張手当も支給する。大企業は20年4月、中小企業は21年4月から導入する。
脱時間給制度は、年収1075万円以上の金融ディーラーやコンサルタントなどの専門職に対象を限る。残業代は支給せず、成果で賃金を決める。無駄な残業を減らし、労働生産性の向上につなげる狙いがある。
制度を利用するには、企業の労使で導入に合意し、対象者本人の同意も得る必要がある。健康確保措置として「4週間で4日以上、年104日以上」の休日確保を義務付ける。労使で「労働時間の上限設定」「2週間連続の休日」などから1つ以上の対策を選択する必要もある。対象者が自らの意思で制度から離れることもできる。19年4月から始める。
安倍晋三首相は今国会を「働き方改革国会」と位置づけ、法成立に強い意欲を示してきた。しかし、厚労省の労働時間調査に不備が見つかり、同法案の柱だった「裁量労働制」の切り離しを2月末に決めた。衆院では5月31日に本会議で法案を可決し、参院に送付していた>(以上「日経新聞」より引用)
なぜ週単位での労働時間制限と休日規定を外したのだろうか。人が健康に働くためには週単位での労働制限が雇用条件に書き込むことが必要だ。4週間、つまり約一月単位で休日を自由に移動できるというのは苛酷に過ぎはしないだろうか。父親や母親をそうした労働条件で土日に奪われる子供たちや家庭のあり方が健全だとでもいうのだろうか。それが少子化対策に資するとでもいうのだろうか。
同一労働同一賃金、という考えを法制化するのは賛成だ。しかし、なぜ今頃になって法制化するのか、その意図を計りかねる。
「構造改革」の竹中平蔵氏は「正規社員は既得権益だ」と発言している。つまりすべての労働者を非正規の派遣労働者に置き換えるべきだ、と主張している。
竹中氏にとっては労働者は単なる「労働工数」でしかないようだ。人格のない労働工数だとしたら、使用者側は雇用賃金さえ支払えば契約した労働成果を出さない限り契約賃金は支払わない、という考えが成り立つ。労働が人格なき労働工数なら、規定された休日数をいつ取らせようが、それは雇用者側の自由だ。
そうした労働現場が苛酷でないと誰が言えるだろうか。まるで奴隷の雇用契約ではないか。労働者は企業の奴隷では断じてない。経営者と一体となって成果を出す協力者だ。そうした労働慣行で日本は高度経済成長を成し遂げた。
しかし、そうした日本の伝統的な雇用形態が持続してもらっては困る勢力がいる。日本の労働法を実質的に形骸化させて、雇用関係を破壊し日本企業の底力を喪失させ、改善(カイゼン)や技術の伝承が出来ないように仕向ける勢力に安倍自公政権とその補完勢力の愚かな政治家たちが操られている。
なぜ「構造改革」論者たち、つまりグローバリストたちは高度経済成長を成し遂げた日本社会を破壊し続けるのだろうか。日本が成長力を失い後進国へ転落するように徹底的に仕向けるのはなぜだろうか。そのハンメルンの笛を吹き続ける安倍氏を支持する連中の正体とは一体何だろうか。
戦後GHQは日本を徹底破壊するために自虐史観を植え付けた。日本国民の誇りを奪うために「併合」を「植民地」と読み替えた。当時の欧米列強が世界でいかなる所業に及んでいたかは言及しないで、満州や中国大陸に進出した先人たちを「侵略者」と決めつけて日本国民を洗脳した。
しかし明治日本は日清、日露戦争をどこで戦ったか。朝鮮半島ではないか。つまり侵略者たちが半島経由で日本へ迫ったから明治日本は戦争を決意したに過ぎない。先の大戦もGHQ最高司令官を解任させられたマッカーサーは後に米国議会で「日本は防衛戦争を戦った」と証言している。
根も葉もない慰安婦などに安倍氏は「最終合意」などといった馬鹿げた屋上屋を重ねた。彼もまた村山富市氏に連なる自虐史観の宣伝マンの一人に過ぎない。ネトウヨ諸君が応援するに値しない反日・政治家だ。
なぜそうした正体が解らないのだろうか。日本を取り戻すためには日本の伝統と文化を大切にすべきだ。労使雇用関係も日本が年月をかけて育んできた終身雇用制度があったではないか。グローバリストたちが目指している米国社会は上位1%の資産は残り90%の資産と同じ、という超格差社会だ。そうした社会を日本国民は望んでいるのだろうか。
現代日本の対立軸は「保守」対「革新」ではない。「グローバリズム」対「国民の生活が第一」だ。そうした明快な対立軸の下で動いている日本政治の風景すら見えない愚かなマスメディアや政治評論家たちによる饒舌にして中身のない政治バラエティー化した報道番組に「得心」している日本国民はすっかりマスメディアに飼い慣らされている。
「グローバリズム」対「国民の生活が第一」という現代日本の政治の対立軸を肝に銘じて、すべての政治家を「グローバリズム」対「国民の生活が第一」で識別すべきだ。「グローバリズム」を推進する自公とその補完勢力たちは日本国民を貧困化させ、外国人労働移民を大量流入させて日本社会を根底から破壊しようとしている。私たちは危機感を持って「国民の生活が第一」の政治を推進する政治家を選ぶべきだ。それが日本を取り戻すことに繋がる。