知能指数と人格は別物だ。
声明は、「被害者本人」に名乗り出るよう求める財務省の対応を批判。また、セクハラを受けた女性記者に「事を荒立てるな」などと忍耐を強いるのは、「セクハラ容認と同じ」だとして、報道各社にも毅然とした対応を求めた。
財務省の対応について声明は、「週刊新潮が福田次官のセクハラ疑惑を報じた際、麻生財務相が当初、事実関係の調査や処分はしない方針を示したことは、セクハラが人権侵害であるという基本を理解していない表れだ」と指摘した。
また、「財務省が、同省と顧問契約を結ぶ弁護士事務所に被害者本人が名乗りでるよう求めていることは容認できない。被害者への恫喝であると同時に、報道機関に対する圧力、攻撃にほかならない」と強く批判した。
一方、女性記者が置かれている状況について次のように説明し、こうした状況を「もう終わりにしなければ」と訴えた>(以上「HUFFPOST」より引用)
上記の声明が効いたのか知らないが、突如として福田事務次官が辞職を表明したようだ。ラジオが臨時ニュースで一報を伝えただけだから、確認は七時の定時ニュースを待つしかないが。
しかし一報が本当なら福田某氏は恥の上塗りをしたものだ。官僚中の官僚といわれる財務官僚のトップが「おっぱい」だ「抱きしめる」だのと寝言を女性記者にホザイてタダで済むわけがないではないか。
そうした常識すら持ち合わせない御仁が公務員の頂点だったとは嘆かわしい。それを庇った麻生氏も財務相として適格を欠くといわざるを得ない。
森友学園疑惑は財務省の疑惑ではなかったか。その省のトップが正常な判断能力を持ち合わせていないとは驚くべきだ。
しかし福田某氏は遅ればせながら出処進退の始末をつけた。佐川氏も辞任した。残るは柳瀬氏や官邸に蜷局を巻く連中たちだ。
安倍氏は柳瀬氏を日本に置いていては危険と察知したのか、訪米に柳瀬氏を同行させた。行き帰りの機内で充分に打ち合わせできることだろう。
日本は肝心なところの底が抜けたようだ。新潟県知事は「出会いサイト」の女性といかがわしい交際があったとして辞任した。静岡県知事はイタリア出張に際してパスポートが見つからないとして出張をキャンセルした。
政治に携わる人たちの人格が怪しくなっている。それに伴って官僚たちの品位も地に堕ちたかのようだ。それもこれも言論界の劣化から発している。マスメディアの腐敗により権力へのチェックが甘くなり、日本社会全体が弛緩しきってしまった。
学生たちが哲学を語らなくなり、人生論を闘わさなくなって久しい。そうした論理構成の訓練もないまま社会人となり、頭の中身空っぽの口先イケメンたちが選挙で勝つようになった。
気の利いた演説や即妙な切り返しが拍手喝采を浴びるようでは政治家は育たない。その責任は今の大人たちにある。私たちは各自が肝に銘じて日々を生きなければならない。