卑しい政治家を政界から追放するのは有権者一人一人の日本人としての誇りだ。
小池氏は、財務省の太田充理財局長が改ざんに関し「政府全体の答弁は気にしていた」と発言したことを取り上げ、「(首相答弁の)影響があったと認めたことになるのではないか。首相案件であることを隠蔽(いんぺい)するために改ざんが始まったことは間違いない」と断じた>(以上「時事通信」より引用)
共産党の小池氏に指摘されるまでもない。心に疚しさがあるため安倍氏が必死になって打ち消したくだりが「私か妻が森友学園への国有地払い下げに関与していたら、総理大臣は勿論のこと国会議員を辞める」と取り乱したのは関与した確信があったからだろう。
人は図星を突かれると我を忘れて取り乱す。その様を見て官僚たちが公文書を改竄した。組織のトップが腐ればその部下まで腐る、という格好の例だ。もし財務局長が清廉潔白な人物なら、昨年二月の段階で国会に公文書原本を提出していたはずだ。
そうすれば財務局長は国税長官にはなれなかっただろうが、世間から後ろ指を指されることはなかった。官僚は栄達のみを誉と考える卑しい人の塊だと国民から思われては国家の根幹が揺らぐ。
時の権力者の晩餐にご相伴するのがジャーナリストの誉れだと考えて自ら吹聴するバカがテレビに頻繁に登場しているが、世も末だと嘆くしかない。マスメディアが官邸の機関紙なら安倍氏の晩餐に呼ばれるのは名誉かも知れないが、少なくとも「報道の自由」を標榜するジャーナリストなら孤高を誇りとすべきだ。
いつから日本人は卑しくなったのだろうか。それも社会的地位が高いとされる人物ほど卑しくなっているような気がする。
テレビの「日本は素晴らしい」と自画自賛する番組には身震いがする。素晴らしかったのは先人までで、現代を生きる日本人は卑屈なヒラメ人間ばかりだ。日本人よ、日本国民として誇りを取り戻そうではないか。そのためにまず卑しい政治家を政界から追放しよう。その力は国民一人一人が持っている。