「恥を知れ」
元生徒のニコラス・クルーズ容疑者(19)が半自動ライフル銃を乱射した事件では、生徒ら17人が犠牲になった。CNNテレビによると、集会で登壇した同校生徒のエマ・ゴンザレスさんは「友達と週末の予定を立てる方が銃を買うよりも難しいなんて到底理解できない」と、同州の銃規制の緩さを批判した。
米国では乱射事件のたびに規制強化を求める声が強まるが、トランプ大統領や共和党議員らに献金し、強い政治力を持つ「全米ライフル協会」(NRA)の抵抗で進んでいないのが現状だ。ゴンザレスさんが「NRAから献金を受け取っている政治家は恥を知れ」と気勢を上げると、参加者も同調した。
今回の事件では、直後から関係者が銃規制の強化を訴える姿が目立つ。14歳の娘が犠牲になった母親はCNNの取材に「なぜ学校に行って子どもが殺されなければならないのか。トランプ大統領、何とかして。行動が必要」と声を張り上げた。同校の複数の生徒らも交流サイトなどに「みんな目を覚まして。何とかしなければいけない」「これは銃の問題」「自由も大事だけど、安全は別問題だ」などと相次いで投稿している。
一方、トランプ大統領は17日、「(野党の)民主党はオバマ政権で上下両院の多数を押さえていた時になぜ銃規制の強化をしなかったのか。本当はしたくないからだ。(規制強化の訴えは)口だけだ」とツイートした。
クルーズ容疑者が危険な行動に走る兆候があったにもかかわらず、当局が見逃していたことも分かってきた。フロリダ南部の地元紙サン・センティネルによると、同容疑者は1年半ほど前に交流サイトへの投稿内容を巡り州の「子ども家庭支援局」の調査を受けたが、「危険性は低い」と判断されたという。また、連邦捜査局(FBI)は今年1月、容疑者が学校を襲う可能性があると通報を受けたにもかかわらず、捜査しなかったことを認めている>(以上「朝日新聞」より引用)
米国では相変わらず銃乱射事件で多くの国民が犠牲になっている。それが社会問題化しないのが不思議だが、やっと米国でも「銃規制」を望む国民の声が表に出て来始めた。
米国は建国の歴史から自身を守る権利が憲法に明記され銃保持の権利が与えられている。それは先住民を600万人も虐殺し、アフリカから黒人を奴隷売買して綿花農園などで使役した歴史と無関係ではない。
そうした悪しき遺産を米国が現代に引き継ぎ、銃により自身の身を守る権利を国民に与え続けているということは、現在でも猶米国社会は大量虐殺した先住民の亡霊を利用して銃を売り込む企業が政治家諸氏を動かして「銃規制」を求める声を掻き消しているとしか思えない。
マスメディアは国営マスメディアを除いて企業スポンサーで成り立っている。企業スポンサーの殆どすべては個々人へ物を売り込む商品製造及び販売企業だ。彼らにとって最も困るのは禁欲的な生活スタイルだ。個々人が物欲を果てしなく増殖させて、購買意欲を極限まで高めるようなコマーシャルを個々人に見せつけることがマスメディアのスポンサーになりスポンサー料を支払う動機だ。
勿論、米国の銃製造企業は銃で守られる個々人こそが「自由の戦士」だと持ち上げ、銃を持つことこそが家族を守り社会を守る必須条件だと、銃に対する危険性に基づく拒否感覚を麻痺させる。そうしなければ一発の銃弾で相手の人生を根こそぎ奪い取る危険な機器を正常な人が積極的に持とうとは思わないだろう。
一度でも本物の銃を持ったことがある人なら抱く共通感覚があるとすれば、それは底知れない恐怖心だ。ズシリと手に感じる重量と引金にかかる指の不気味さはそれが命と等価とは決して思えないだけに深い闇を感じる。
銃なき社会が望ましいのは論を俟たない。しかし米国のように人口を上回る銃が氾濫している社会では銃を持たない恐怖もまた日本国民の想像を絶するものがあるのだろう。
その恐怖感に巧みに付け込み「商売」をする銃製造企業や銃販売店などがさらに恐怖心を増幅させ、銃を所持する者こそがヒーローになる資格があるかのように宣伝する。その宣伝の一翼を担っているのがマスメディアだ。彼らはスポンサーに背けない。
世界のマスメディアはカネの言いなりになって良いのか、という自省が必要だ。人類の幸せとは何か、という課題を常に念頭に置く高い倫理観が求められるべきだ。
米国の銃社会は悪しき社会だ。それを止めるのは米国民の個々人の意思にかかっている。全米ライフル協会の犬と化した政治家は「恥を知れ」と米国市民から声が上がった。日本でも安倍自公政権の犬と化したマスメディアは「恥を知れ」と声を上げなければならない。