日本国民として義務教育で「命」の尊厳を教えているのか。

<長男(1)の鼻にチューブを押し込んだり顔に落書きしたりしたとして、警視庁少年事件課は暴行容疑で、東京都足立区の無職の母親(19)ら男女3人を逮捕した。同課によると、母親らはこうした虐待の様子を撮影して短文投稿サイト「ツイッター」にアップしており、母親は「おもしろかったから投稿した。チューブを突っ込んだのは私ではない」などと容疑を否認している。

 ほかに逮捕されたのは、いずれも同区の交際相手で建築業の少年(19)と、知人で解体工の少年(16)。

 逮捕容疑は昨年10月11~26日、母親の自宅で長男の顔に落書きし、聴診器のチューブを鼻や口に押し込んだなどとしている。落書きは茶色のマーカで行ったとみられる。また別の日には両手足をテープで縛り、その様子も撮影していた>(以上「産経ニュース」より引用)

 子供は「モノ」ではない。ましてや親の私物でもない。子供も大人と同じ「命」であり、尊厳を持つべき対象だ。
 そうした基本的な教育が日本の義務教育に欠落しているのではないかと思えてならない。イジメなども相手の人格もさることながら、「命」を命とも思わない思い上がったジコチューがあるのではないだろうか。

 上記の事件では登場する親や仲間たちがいずれも二十歳未満と若く、当然なのかもしれないが子供対する考え方の未熟さがみられる。いや、当然なのかもしれないと書いたが、当然であるとすれば義務教育の敗北以外の何ものでもない。
 義務教育を終えた日本の国民が「命」に対する尊厳を持たないとすれば、日本の義務教育は何を教えているのだろうか。小学高学年から英語教育をするようだが、カタコトの英語を話すより、日本国民として身に着けるべき倫理観や教養の方が重要ではないだろうか。

 英語を話す日本国民が偉いのではない。人として当然の常識や分別を弁えた日本国民が偉いのだ。英語を話すことは「自動翻訳機」に任せればよい。今後とも日進月歩で改良が重ねられて、かなり高度な会話でも日本語から英語に翻訳できるようになるだろう。
 しかし人としての素養は「自動翻訳機」のようなワケにはいかない。乳幼児虐待は犯罪である、と刑事罰を科す前に、心理的なトラウマをすべての乳幼児が持たないような安心できる社会にすべきだ。そのためには社会を構成するすべての日本国民が人としての基本的な素養を身に着ける必要がある。そのための義務教育であるべきだ。


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