真珠湾を慰霊訪問する現職首相は安倍氏が初めてではない。
<吉田首相は真珠湾に足を運んでいた。つまり、安倍首相が「現職首相として初めて真珠湾を訪問する」ことは間違いになる。外務省の認識はどうなのか。BuzzFeed Newsは、同省北米局に取材した。
「真珠湾と言うと広い範囲を指すことになりますので、これまで現職の首相が訪問している可能性はあります。より正確に言えば、『真珠湾のアリゾナ記念館を訪問して慰霊をするのが初めて』となります」
アリゾナ記念館とは、日本軍の攻撃により沈没した戦艦アリゾナのうえに作られた追悼施設だ。毎年、100万人以上の人たちが足を運んでいる。取材に応じた担当者は「外務省として、現職首相として初めて真珠湾を訪問すると、会見などで言ったことはない」とも強調した。
たしかに各種報道をみても、「外務省によると」というソースの明示はない。記事の存在に関しては当の読売新聞から確認の連絡があり、把握をしたという。12月6日の読売新聞朝刊を見てみると、「日本の首相が米大統領とともに真珠湾を訪れるのは初めて」と表記されている。
また、「真珠湾とは?」というQ&Aでは「政治家では、51年9月に吉田茂首相(当時)が立ち寄ったとの記録が一部に残る」と解説している。一方、ほかの4紙は「現職初」を見出しにとった。
毎日新聞は「日本の首相が真珠湾で犠牲者を慰霊するのは初めて」と表現。朝日新聞と日経新聞、産経新聞は「現職首相の真珠湾訪問は初めて」などと断定調で、地方紙に記事を配信する共同通信も同じだった。
では、吉田首相は真珠湾で慰霊をしていないのか。担当者はこう言う。「読売新聞の報道を見る限り、吉田茂首相は真珠湾に立ち寄ったのだと思われます。ただ、外務省として何をしたのかは把握できていません。ただちに確認できる余裕がないため、お答えできない状況にあります」
当時の朝日新聞や毎日新聞の紙面を確認したが、真珠湾訪問に言及した記事は見つからなかった。
ただ、サンフランシスコへの往路でハワイに立ち寄った1951年9月1日に、国立太平洋記念墓地(パンチ・ボウル)を訪問している。
パンチ・ボウルは、日系二世部隊を含む第二次世界大戦などの米軍戦死者の墓地であり、追悼施設でもある。吉田首相がそこを「慰霊」している様子は、記事からもしっかりとうかがえる。
同十一時四十分にはパンチボールの太平洋戦争戦没者墓地を訪れた。吉田首相は白服にパナマ帽ステッキといういでたち、護衛兵を従えて待ち受けていた米国太平洋警備司令官ヘンリー・オーランド中将の案内で墓前に進み花輪を捧げ、しばし黙祷した。この花輪はハワイ特有のアントリュームバンダーで白い幅広のリボンには”日本首相吉田茂から”と鮮やかに記されていた
ちなみに、真珠湾にアリゾナ記念館ができたのは吉田首相が訪問した9年後の1962年のことだ。慰霊をしようにも、する場所がなかったのかもしれない>(以上「ヤフー・ニュース」より引用)
マスメディアは公明正大に嘘を吐く。官僚たちはこの件に関しては嘘を吐かなかったが、安倍氏が現職首相としてハワイへ慰霊に訪れるのは「初」とはいっていない、という消極的なアリバイ工作をしている。
しかし吉田首相がハワイを慰霊に訪れたのは終戦後10年だ。彼がいかに決断力に富む稀有な政治家だったかがうかがわれる。安倍氏は現職首相として初の「アリゾナ記念館」を訪問することになるのだろう。吉田氏が現職として訪れた時には「アリゾナ記念館」はまだ存在していなかったからだ。
マスメディアは公明正大に嘘を吐く。その嘘を国民は真に受けて事実を歪めて認識する。広島に原爆を投下したのは非戦闘員を虐殺する「戦時国際法」に明確に違反する。それに対して、日本軍のハワイ攻撃は軍事施設に限定され、外交伝文の翻訳に手間取ったためにワシントン政府に宣戦布告文が届けるのが遅れたため「奇襲」とされたが、実は米国政府は日本の外電を傍受して既に承知していた。
真珠湾攻撃は奇襲ではなかったが、米国政府は奇襲ということにして、米国民に怒りを植え付けて米国世論を開戦へと誘導した。しかし真実の歴史は日米開戦は米国から何度も仕掛けられていたことを証明する。中国大陸で米国の戦闘機フライング・タイガーが日米開戦以前から日本軍を攻撃していた。その年の夏には豊後水道に米国艦船が不法に侵入している。そうした挑発行為を繰り返していたのは米国だ。
最後通告は米国側からもたらされたハル・ノートだ。日本は植民地化か戦争かの選択を迫られた。万已む無く勝機の少ない対米戦争へと踏み切った。真珠湾攻撃は相手の注文相撲に日本が嵌められ切羽詰まった攻撃だった。そのことを日本国民は決して忘れてはならない。外交とはかくも卑怯な駆け引きの連続だということを。果たして明日はロシアのプーチン大統領が来日する。安倍氏がいかに老獪なプーチン氏に手玉に取られるか、注目することだ。
「真珠湾と言うと広い範囲を指すことになりますので、これまで現職の首相が訪問している可能性はあります。より正確に言えば、『真珠湾のアリゾナ記念館を訪問して慰霊をするのが初めて』となります」
アリゾナ記念館とは、日本軍の攻撃により沈没した戦艦アリゾナのうえに作られた追悼施設だ。毎年、100万人以上の人たちが足を運んでいる。取材に応じた担当者は「外務省として、現職首相として初めて真珠湾を訪問すると、会見などで言ったことはない」とも強調した。
たしかに各種報道をみても、「外務省によると」というソースの明示はない。記事の存在に関しては当の読売新聞から確認の連絡があり、把握をしたという。12月6日の読売新聞朝刊を見てみると、「日本の首相が米大統領とともに真珠湾を訪れるのは初めて」と表記されている。
また、「真珠湾とは?」というQ&Aでは「政治家では、51年9月に吉田茂首相(当時)が立ち寄ったとの記録が一部に残る」と解説している。一方、ほかの4紙は「現職初」を見出しにとった。
毎日新聞は「日本の首相が真珠湾で犠牲者を慰霊するのは初めて」と表現。朝日新聞と日経新聞、産経新聞は「現職首相の真珠湾訪問は初めて」などと断定調で、地方紙に記事を配信する共同通信も同じだった。
では、吉田首相は真珠湾で慰霊をしていないのか。担当者はこう言う。「読売新聞の報道を見る限り、吉田茂首相は真珠湾に立ち寄ったのだと思われます。ただ、外務省として何をしたのかは把握できていません。ただちに確認できる余裕がないため、お答えできない状況にあります」
当時の朝日新聞や毎日新聞の紙面を確認したが、真珠湾訪問に言及した記事は見つからなかった。
ただ、サンフランシスコへの往路でハワイに立ち寄った1951年9月1日に、国立太平洋記念墓地(パンチ・ボウル)を訪問している。
パンチ・ボウルは、日系二世部隊を含む第二次世界大戦などの米軍戦死者の墓地であり、追悼施設でもある。吉田首相がそこを「慰霊」している様子は、記事からもしっかりとうかがえる。
同十一時四十分にはパンチボールの太平洋戦争戦没者墓地を訪れた。吉田首相は白服にパナマ帽ステッキといういでたち、護衛兵を従えて待ち受けていた米国太平洋警備司令官ヘンリー・オーランド中将の案内で墓前に進み花輪を捧げ、しばし黙祷した。この花輪はハワイ特有のアントリュームバンダーで白い幅広のリボンには”日本首相吉田茂から”と鮮やかに記されていた
ちなみに、真珠湾にアリゾナ記念館ができたのは吉田首相が訪問した9年後の1962年のことだ。慰霊をしようにも、する場所がなかったのかもしれない>(以上「ヤフー・ニュース」より引用)
マスメディアは公明正大に嘘を吐く。官僚たちはこの件に関しては嘘を吐かなかったが、安倍氏が現職首相としてハワイへ慰霊に訪れるのは「初」とはいっていない、という消極的なアリバイ工作をしている。
しかし吉田首相がハワイを慰霊に訪れたのは終戦後10年だ。彼がいかに決断力に富む稀有な政治家だったかがうかがわれる。安倍氏は現職首相として初の「アリゾナ記念館」を訪問することになるのだろう。吉田氏が現職として訪れた時には「アリゾナ記念館」はまだ存在していなかったからだ。
マスメディアは公明正大に嘘を吐く。その嘘を国民は真に受けて事実を歪めて認識する。広島に原爆を投下したのは非戦闘員を虐殺する「戦時国際法」に明確に違反する。それに対して、日本軍のハワイ攻撃は軍事施設に限定され、外交伝文の翻訳に手間取ったためにワシントン政府に宣戦布告文が届けるのが遅れたため「奇襲」とされたが、実は米国政府は日本の外電を傍受して既に承知していた。
真珠湾攻撃は奇襲ではなかったが、米国政府は奇襲ということにして、米国民に怒りを植え付けて米国世論を開戦へと誘導した。しかし真実の歴史は日米開戦は米国から何度も仕掛けられていたことを証明する。中国大陸で米国の戦闘機フライング・タイガーが日米開戦以前から日本軍を攻撃していた。その年の夏には豊後水道に米国艦船が不法に侵入している。そうした挑発行為を繰り返していたのは米国だ。
最後通告は米国側からもたらされたハル・ノートだ。日本は植民地化か戦争かの選択を迫られた。万已む無く勝機の少ない対米戦争へと踏み切った。真珠湾攻撃は相手の注文相撲に日本が嵌められ切羽詰まった攻撃だった。そのことを日本国民は決して忘れてはならない。外交とはかくも卑怯な駆け引きの連続だということを。果たして明日はロシアのプーチン大統領が来日する。安倍氏がいかに老獪なプーチン氏に手玉に取られるか、注目することだ。