このいい加減な公共事業の責任を誰が取るのか。

<東京都の築地市場(中央区)からの移転が延期されている豊洲市場(江東区)の主要な建物下で土壌汚染対策の盛り土がされていなかった問題で、青果棟の下では厚さ50センチの砕石層がむき出しになっていることが都への取材で分かった。外部識者の専門家会議が提言した盛り土は、地中から揮発したベンゼンが地表に出ない効果があるとされ、専門家は「安全性について改めて確認する必要がある」と指摘している>(以上「毎日新聞」より引用)

 都知事選の因縁から「都政の見直し」をやっているのかと思っていたら、そうではなく本当に見直すべき問題があったとは驚きだ。築地市場から豊洲へ移転する計画が持ち上がっていたのは石原都知事の時代からだったようだ。
 いろんなことを総合的に計画・検討して推し進める時間は十分にあったはずだ。それが出来上がったら築地市場の仲買人たちにとって使い辛い施設だと不満だらけなのには開いた口が塞がらない。

 およそ何の施設であれ、建設に際して利用者の意見を聴取しないで進めることがあるだろうか。施設利用者の利便性と経済性と安全性を十分に盛り込んだ構想を設計し、それを利用者に開示してさらに問題点を洗い出して改善してから設計変更を行った上で都議会の承認を得て建設に着手するのが最低限の手順だ、というのは素人考えでも分かることだ。
 しかし豊洲市場の建設に関してはそうした最低限の手順すら踏んでいなかったようだ。出来上がった豊洲市場の建物は複数階の建屋で、市場建築としてはおよそ非常識なものというしかない代物だ。

 しかもトラック輸送を前提としたプラットホームの構造も後ろ付けにするのを前提としたもので、現行の横付けが常識の構造になっていないという。安全にして迅速な物流処理が求められる市場の構造として、設計者はいったい何を考えて設計したのかと疑問を呈さざるを得ない。
 その上、ベンゼンなどによる土壌汚染が指摘されたことから表土を2mほど剥ぎ取り、その上に4.5mほど盛土をする、ということで858億円も予算を付けたにもかかわらず、およそ全工事面積の1/3にあたる建屋の下は4.5mの空洞のままになっているという。その空洞の言い訳として「駐車場にする予定だった」というが、4.5mもの天井高のある地下駐車場などお目にかかったことがない。

 建屋の坪単価220万円という、通常のマンション建設費坪単価50万円から80万円程度との比較からしても異常に高額な建設費だ。さらに不適切な地下空間が存在する構造は建築物の耐震構造計算を基本からやり直さなければならないものだ。
 なぜこうした杜撰な工事がなされたのだろうか。そして誰も「工事責任者」として会見の場に出て来ないのはなぜだろうか。誰が造成・建設工事全体を管理・指揮していたのか。そうした普通の現場でなされている責任体制が豊洲市場に関しては明確でないのはなぜだろうか。

 すべての責任は都知事と都庁職員と、そして都議会にある。建設業者が「手抜き」したのなら都知事が告発すれば良い。都職員が「手抜き」を指示したのなら、都知事は都職員を告発すべきだ。
 そして都議会はいったい何を審議して豊洲移転を承認可決し、何を審議して建設予算を可決したのだろうか。現行の杜撰さをニュースで知る限り、都議会に都政をチェックする能力は皆無だったといわざるを得ない。こんな節穴の都議会議員たちに総額年間二千万円以上もの税金を支払ってきたのだ。

 もちろん執行賢者としての歴代都知事の責任も免れない。担当部局の都職員の責任も問われなければならない。
 しかしこれは東京都だけが異常なのではなく、全国各地の地方自治体も似たような現状だ。周南市の駅ビル建設も坪単価予算が200万円を超えているが、それが市議会で承認されている。新・周南市庁舎建設費も坪単価150万円に達している。こうした杜撰な予算が次々と可決される市議会とは一体何だろうか、チェック機能が働かなかったと思わざるを得ない都議会とどこが異なるというのだろうか。ちなみに都心の高層ビルの建設費が坪単価150万円前後だということを記しておこう。

 公共団体の予算には「頭出し」という言葉がある。何らかの事業に「調査費」などの名目で少しでも予算付けが出来ればシメタものだというのだ。後はそれを膨らましていけば事業は完遂できる、というのだ。
 豊洲市場にせよオリンピックにせよ、公共事業は最初の予算段階から最終決定金額は数倍に膨れ上がる、という公共事業の常識に沿ったあり方だ。それを杜撰といわずして何と表現すればよいだろうか。民間の建設事業では決してありえないことだ。

 都議会議員などの選挙で有権者は何を基準に選んでいるのだろうか。若い女性なら当選できる、テレビで露出している人なら当選できる、といった状態が今日の公的機関の堕落を招いているのではないだろうか。
 あなたが選出した議員は事業費をチェックできる能力があるか、予算書や決算書を読む能力があるのか。そうした議員として当然求められる資質を「若い情熱でw」とか「改革しますww」といった文言を叫ぶだけのパフォーマンスに誤魔化されてはいないだろうか。

 政治に携わる人に求められる重要な能力の一つは職員を指揮・監督する能力だ。そうした基本的な能力の有無を考慮しないで、芸人を選ぶような感覚で選挙に臨んでいないだろうか。
 民主主義ではすべての政治責任は最終的に有権者・国民に帰すことを強く認識しておかなければならない。望むと望まないとに関わらず、豊洲市場の杜撰な工事・建設の責任は都民に帰す。それでも都民が怒りを感じないとすれば、都民全員が不感症になっているといわざるを得ない。


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