マスメディアの「報道の自由」とは

<放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は17日、東京都の舛添要一前知事の政治資金問題を取り上げたフジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」について、16日付で審理入りしたことを明らかにした。舛添氏の妻の雅美さんらが「子供2人が執拗な撮影行為で衝撃を受け、トラウマになった」と人権侵害を申し立てていた。

 対象となったのは5月22日の放送。舛添氏の資金管理団体が、舛添氏の妻が代表を務める「舛添政治経済研究所」に事務所家賃を支払っていた問題を取り上げた。同月20日朝、舛添氏の自宅兼事務所前で、雅美さんが番組の取材に「いくらなんでも失礼です」と発言した様子などが放送された。

 雅美さんらは申立書で、撮影に抗議した場面が「家賃についての質問に答えているかのように、都合よくカット編集された」と主張。また、未成年の子供2人に「至近距離からの執拗な撮影行為」があったとして、「長男と長女は衝撃を受けた。これがトラウマとなり、登校するために家を出る際、恐怖を感じ、時には泣いて家に戻ることもある」と訴えている。

 一方、フジ側は、ディレクターの質問から雅美さんの回答部分までをノーカットで放送したとして、「作為的編集、放送は一切ない」と反論した。雅美さんに取材する目的で撮影を行ったとして、子供2人については「(長男は)ごく短時間、映り込んでしまった」「(長女は)即座に撮影を中止した」と、「執拗な撮影」を否定。「政治資金の使い道についての説明責任がある当事者」として、「雅美さんへの取材は『公共性公益性』が極めて高いと考えている」と主張している>(以上「産経新聞」より引用)

 日本の報道の自由度が世界で70位台に低下している。なぜそうなっているのか、その答え間一部が上記の問題にも現れているように思える。
 つまり報道する側の自由はあっても、報道を受ける側の自由がない、ということなのではないだろうか。この国のテレビ媒体は大手新聞社が「支配」している。クロスオーナーシップといって、少数の大手全国紙が全国ネットのテレビ局を支配して、情報が寡占状態にあるから、情報そのものを支配しやすい体質がある。

 舛添氏の都知事としての公金の使途とその金額に疑惑と強い関心がもたれていた当時、国民の知る権利はいかなる女性が舛添氏の婦人かとか、いかなる子供たちと同居しているのかとかは問題ではなく、都知事としての執務がいかなるものだったのかが問題だったはずだ。
 しかし大衆に迎合するテレビ制作者たちは下種の関心を満たすために執拗に舛添氏のプライベートを取材したのだろう。人は自分の人生観で相手を見る。つまりテレビ制作者たちの下種根性が国民の関心事だとみなして「突撃取材」を敢行したのだろう。

 しかし突撃取材すべきはロンドン大会のメイン会場ですら建設費600億円だったものが、日本の新国立競技場が2500億円と数倍のハネ上がった建設費に対しては殆ど切り込むことはない。そして新国立競技場の最初の設計者の女性のデザインを反故にした際、損害賠償金として支出した金額や、それまでに支出した契約金などの責任論は一切出なかった。マスメディアもそうした責任追及を一切しなかったのはなぜだろうか。
 日本の報道の自由は報道する側の自由であって、国民の知る権利を担保するための報道の自由ではない。報道各社が国民以外の何者かの規制を受けて、もしくはバカな自主規制を講じている、としたらそうした体制そのものを取材対象として闇を暴くべきだ。

 そして安倍氏の「寿司友」として一緒に会食することが報道に携わる者のステータスであるかのような感覚を許容する愚かな風土がマスメディアにあるとしたら、厳に反省すべきはマスメディアそのものだ。
 ことに最近のテレビ番組は安倍氏の「寿司友」コメンテータが登場して目を覆いたくなるような幇間ぶりを発揮している。彼らには報道人として恥の概念が完全に欠落しているかのようだ。米国の報道関係者の1ドル基準、時の権力者とは決して会食しない、レストランで奢ってもらうとしてもコーヒー1杯1ドルまでだ、というのが暗黙の規律だ。日本の報道関係者に爪の垢でも煎じて呑ませたいほどだ。

 切り込むべき観点には切り込まず、どうでも良い、もしくは自粛すべき個々人の人権やプライベートには執拗に食い下がる、という本末転倒した日本のマスメディアには慨嘆しかない。余りに程度が低すぎる。
 その結果として公共事業のボッタクリ、公共事業単価なる摩訶不思議な言葉まで横行する現実を容認している。建設費の民間事業単価と公共事業単価とが異なる、というのがおかしいと思わない殆どのマスメディア関係者の観念が腐っているのだ、ということにすら気づいていない。そして記者クラブという横並び感覚の官公庁取材は官公庁による飼い慣らしだということにすら気づいていないという問題意識の欠落がこの国のマスメディアの病理の深刻さを表している。

 リオオリンピックがマスメディアを一色に染めている間にも、スーダンでは激しい内戦が展開され、多くの市民が虐殺されている事実をこの国のマスメディアは殆ど報じていない。かろうじてネット上の外国のマスメディアで知るだけだ。
 この国のマスメディアはネットにより駆逐される日も近いと思わざるを得ない。バカな経営者が時の権力者と「寿司友」であることを誇りに思うという感覚こそがおかしいと社内から囂々たる批判が巻き起こらないようではマスメディアの死期は近いと思わざるを得ない。一日も早い昇天を願う。


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