舛添氏はマスメディアの集中砲火で辞任したが、甘利氏や小渕氏たちはどうなったか。

<東京都議会は15日午後に本会議が開かれ、舛添要一知事の辞職に全会一致で同意し、21日付の辞職が正式に決定した。舛添氏は本会議で「これ以上、都政の停滞を長引かせることは耐え難い。私が身を引くのが一番だと考えた」と述べた。後任を決める都知事選は7月14日告示―31日投開票か、7月21日告示―8月7日投開票の日程で実施される見通し>(以上『日建新聞』より引用)

 舛添氏は政治資金規正法に基づく政治資金の支出に甚だしい公私混同が見られ、公費の乱使用も批判を招いた。確かに都知事を辞任に値する行為ではあったが、それなら甘利氏や小渕氏たちの行為はどうだったのだろうか。
 甘利氏の場合は政治資金規正法というザル法どころではなく、贈収賄が確定したケースにも拘らず検察は起訴を見送った。小渕氏の場合は観劇会と収支の合わない収支報告書が提出されていたにも拘らず、パソコンのHDDにドリルで穴をあけて物理的に復元を不可能にするという擧に出た。そうした証拠隠滅を図った者が議員辞職することもなく、検察により起訴されることもないというのは法の支配する国とは到底思えない。

 舛添氏は「国際政治評論家」としてテレビに登場した当初は「東京都庁にずらりと並んだ黒塗りの公用車」を無駄の象徴として批判していたし、高額な出張経費などの公費の無駄遣いを舌鋒鋭く批判していた。
 しかし自分がそのタックスイーターの立場になると、コロリと批判精神を忘れて公費の無駄遣いに歓喜するようになっていた。自身のポケットから出さないで済むカネの無駄遣いは還暦を過ぎた者でも楽しい心躍るものなのだろう。その公私混同・公費乱用という悪魔の誘惑に負けた舛添氏に都知事のポストは相応しくない。

 人は立場により変わるものだ。批判すべき立場の時は大いに批判するが、一転批判される立場に立った場合に自分の立ち位置が見えなくなってしまう。
 高額報酬だけで満足すれば良いものを、高額報酬を手にする者に限って人品が卑しくなるようだ。高額報酬を手にしている官僚たちはそれだけで満足すれば良いものを、天下り先として「別荘」をセッセと作っている。それを質すべき政治家たちは不勉強で官僚たちにコロッと丸め込まれてしまう。国民は厳しく選挙で人品卑しき人物を識別して、決して選ばないことだ。


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