戦争そのものの正当性の是非はナンセンスだ。それよりも米国大統領は日本国民に謝罪すべきだ。

 多くの馬鹿なジャーナリストが「米国大統領が広島を訪れただけで良いのではないか」と原爆投下の責任をあいまいにする発言に終始しているのには驚く。曰く「原爆投下の謝罪を求めれば真珠湾に対する日本の責任も問われるだろう」と馬鹿な説明を異口同音に繰り返している。
 指摘するまでもない、真珠湾攻撃は米国政府承知の上で、欧州戦線に米国が参戦するために日本軍にたたかせたものだ。それ史実により明確になっている。あるいは米国が主張する通り、真珠湾攻撃が奇襲作戦だったとしても、それで米国の原爆投下が真珠湾奇襲攻撃と見合うものだという話にはならない。

 真珠湾奇襲攻撃を決断した軍部は戦犯として裁かれている。それで真珠湾奇襲攻撃は清算されている。しかも真珠湾奇襲作戦で民間人殺害は標的とされていない。
 しかし広島・長崎への原爆投下は真珠湾に対する攻撃とは全く見合わないものだ。それは3.10東京大空襲や、それ以外の日本全国の主要都市に対する絨毯爆撃と全く同様な市民大虐殺作戦だ。

 日本国民の多くは米軍の絨毯爆撃と原爆投下により虐殺された。非戦闘員どころか、平和に日常生活を送っている市民を言われなくも虐殺した。その罪たるや万死に値する。
 そもそも戦争は外交の最終手段として認められるものと、戦争大好きな欧米諸国により国際法化されている。しかし非戦闘員の殺害は国際法により禁じられている。しかし米国は日本の国土を焼き払う専用爆弾・焼夷弾を生産してバラバラと雨霰と木と紙で出来ている日本家屋の密集地帯に絨毯爆撃した。焼き殺そうとした意図は明白だ。

 日本国民は素直な怒りを発した方が良い。それが米国による戦争を抑止する力になりうるからだ。
「過ち」を行ったのは米軍だ。戦争は当時の世界の常識として「外交の最終手段」として先進諸国は認めていた。米国は日本に奇襲攻撃して欲しくて、そのように日本政府を導いた。
 戦争はいかなる戦争でも「よい戦争」などはない。原爆投下が正当だったとする米国民は市民大虐殺が米国内で起こっても、それに対して批判する資格はない。市民大虐殺にいかなる正当性も通用させてはならない。それは絶対悪だからだ。米国に原爆投下のおぞましい悪魔の所業をキッチリと教えなければならない。奏しなければ独善的な戦争大好き国家・米国の世論を変化させることは出来ないし、戦争大好き国家の米国の世論を変えさせる国は原爆投下された日本以外には存在しない。そのことを日本国民が自覚して、正当な批判を米国に対して行わなれければ核廃絶の第一歩どころか何も始まらない。


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