人の命に係わる「文明の利器」の製造に係る者の意識の低さを嘆く。

 三菱自動車の燃費データ偽造は論外だ。燃費データ改竄は人命に係るモノではない、売るために必要なだけだ、という考えが三菱自動車にあったとしたら、人命に関わる文明の利器を製造する資格はない。
 自動車は利用する者の命を乗せるが、同時に歩道や道路沿線の生活者の人命にも関与する。昨日は軽トラックが歩道に突っ込んで児童を四人も跳ね飛ばし、軽乗用車が横断歩道の児童を二人跳ね飛ばした。

 軽自動車でも半tもある鉄の塊が人や荷物を乗せて人が歩く歩道の直近を疾走する。一瞬でも注意を怠ると歩道へ突っ込む。危険極まりない文明の利器だ。
 しかし人は常に完全な状態でハンドルを握っているわけではない。酩酊状態であれ意識朦朧状態であれ、エンジンをかけてギヤを入れれば走るようになっている。そこが怖いところだ。自動車はハンドルを握る人間を選ぺない。

 ひところは年間一万人近くが死亡していた自動車事故が減少したとはいえ、未だに四千人も死亡している。工業製品製造者責任法が適用されれば自動車会社は一体どれほどの賠償責任を負うのだろうか。
 自動車に事故はつきものだ、という誤った常識が自動車史の最初から容認されたため、安全な「自動運転車」の開発が遅れている。人を認識して停止する「アイサイト」技術は不完全ながら出来ているようだが、歩道へ突っ込んだ軽トラックを安全に止める技術はまだない。車道を外れて疾走する自動車を停止させる「自動運転技術」はまだまだ実用の段階ではないようだ。

 たとえば鉄道事故で年間四千人が亡くなったとしたら大問題になるだろう。航空機事故で年間四千人が亡くなっても大事故として報じられるだろう。しかし自動車だけがそうではなく、なぜか特別扱いされている。
 政府は自動車会社に対して製造者責任法の適用を何年からする、と決定して「安全自動運転技術」の開発を督励すべきだ。日本が世界で最初に行えば、それが世界標準になる。日本がそうした技術を開発して一般道路で「自動運転」により自動車が安全に通行するようになれば、世界各国でも自動車事故で人が亡くなるのは「常識」だという常識が誤っていることに気付くはずだ。「自動運転自動車」は日本の技術者なら必ず製造できるはずだ。


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