「政治的」な決定が臭う五輪エンブレム。

<エンブレム委員会では、選考が閉鎖的と批判された旧エンブレムの反省から、「参画」と「透明性」をキーワードに開かれた選考を意識して行なってきた。同委員会は昨年9月以来、新しいエンブレムを決めた25日を含めて15回開かれ、計110時間をかけた。デザイン審査は一部をライブ配信し、最終候補4案については約4万人から11万件の意見を参考にして選定したという。

 五輪組織委の武藤敏郎事務総長は、「IOC、IPCの歴史の中でこうした取り組みは初めて。今後のモデルになるではと自負している」と、今回の選考のあり方に胸を張った。

 ただネット上など一部では、今回の選考について「A案ありきだったのでは」と指摘する声もある。こうした見方に対して、エンブレム委員会の宮田亮平委員長は「私どもは公明正大に審査してきた。最初から『A案ありき』という考え方がまかれたときは腹立たしかった」と語気を強めて否定。「国民参画が無視されたということでもないし、公明正大だと胸を張って言える」と強調した。

 今回のエンブレムは午後3時の発表会の前に、一部メディアで「A案に決定」と報じられた。これについて、外国メディアの記者から「透明性を強調するが事前にメディア報道があった」と疑義を呈する声もあった>(以上「毎日新聞」より引用)

 華やかさのない、何とも地味なエンブレムに決まったものだ。日本の伝統的な組市松模様というのだそうだが、それが世界的に理解され認識されるのか疑問だ。
 なぜ組紐の華やかさでもなく、市松模様のあでやかさでもない、藍色の点や曲線による構成になったのだろうか。日本の伝統的な模様だというのは理解できるが、あまりにも地味に過ぎると思うのは私だけだろうか。

 そして委員会の発表前に報道でA案に決定と流れたことから出来レースではなかったのかとの疑問が呈されているのも残念なところだ。
 五輪に関しては政治的な側面が余りにあり過ぎるのではないだろうか。大会委員長が元総理の森氏だというのも解せないし、エンブレムなどの決定に関しても、委員会構成が偏り過ぎてはいなかっただろうか。

 もっとも政治的なものから距離を置くべきとされているスポーツの祭典が政治的な腐臭芬々たる実態があからさまになったのも残念なところだ。競技場のデザイン決定にしても、予算を度外視した政治的なものであったし、やり直しのデザイン決定もスッキリオとはいかなかった。
 そもそも巨大建造物に木材を多用することに建築工学的に合理性があるのだろうか。それに予算の額は異常というしかない。ロンドンオリンピックの会場建設費の二倍以上だし、オリンピック以後の利用形態も明確になっているわけでもない。

 ボート競技場などの整備もこれからだそうだが、その予算額も異常なものになっているようだ。臨海地域に建設予定のオリンピック選手村と競技会場とを結ぶ動線もいまだはっきりしていないようだ。
 そもそも東京の放射能汚染状態は世界からアスリートを呼んで各種競技を実施する環境として適切なのだろうか。福一原発の放射能汚染は汚染水だけが取り上げられているが、空気中への放射性物質の拡散は「完全にコントロール」されているのだろうか。

 2020年東京オリンピックは果たして実施可能なのだろうか。これほど政治的な関与が露わなスポーツ大会も珍しい。そろそろオリンピックそのものの有り様を原点に戻って議論すべきではないだろうか。
 国威発揚や国際問題の誤魔化しに利用されているオリンピック大会にそれほど意味があるのだろうか。国民負担を強いる大会の有り様にも問題がないだろうか。東京五輪はそれにしても様々な問題噴出の大会である。


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