とうとう安倍氏は気が触れたか。
夏の参議院選挙で「負けるわけにはいかない」という思いは分かるが、しかしだからといって「共産党と組む野党」に負けるわけがいかない、という表現はいただけない。
それなら公明党という宗教政党と組む自民党は「どうだ」と問いたい。宗教と共産主義とどれほど乖離しているというのだろうか。どちらも浮世離れしている、という意味では全く同じだ。しかし少なくとも宗教が「信仰」という思考停止を条件とする団体なのに対して、共産党は社会制度の仕組みの考え方の一つに過ぎない。
どちらが「より自由度が高いか」という意味で比較するなら、圧倒的に共産主義の方だ。宗教は非科学的な事象までもすべて「信仰」という名の下に実現可能なこととされているのだ。
たとえばキリスト教の「三位一体」や「復活」に疑問を呈しては不心得者として「異端児」扱いされ、迫害を受ける。公明党の議員に創価学会を批判する「自由」はないだろう。そうした政党と連立を組む自民党の総裁が共産党と組む野党を批判する資格があるというのだろうか。まさしく噴飯ものだ。
そして自民党議員たちはアベノミクスにいささかも疑念を抱いていないというのだろうか。これほどGDPが伸び悩むどころかマイナスに転じたりしている現状で、安倍氏の経済政策に疑問を呈しないというのは、もはや公明党並みの信仰に近い政党というべきだろう。
野党は何ら臆することなく、反阿部製磁を対立軸に結集すべきだ。共産党も生活の党も何もない。ただ「国民の生活が第一」という政治理念を基本にして結集すべきだ。そして代表には小沢一郎氏を担ぐべきだ。
それなら公明党という宗教政党と組む自民党は「どうだ」と問いたい。宗教と共産主義とどれほど乖離しているというのだろうか。どちらも浮世離れしている、という意味では全く同じだ。しかし少なくとも宗教が「信仰」という思考停止を条件とする団体なのに対して、共産党は社会制度の仕組みの考え方の一つに過ぎない。
どちらが「より自由度が高いか」という意味で比較するなら、圧倒的に共産主義の方だ。宗教は非科学的な事象までもすべて「信仰」という名の下に実現可能なこととされているのだ。
たとえばキリスト教の「三位一体」や「復活」に疑問を呈しては不心得者として「異端児」扱いされ、迫害を受ける。公明党の議員に創価学会を批判する「自由」はないだろう。そうした政党と連立を組む自民党の総裁が共産党と組む野党を批判する資格があるというのだろうか。まさしく噴飯ものだ。
そして自民党議員たちはアベノミクスにいささかも疑念を抱いていないというのだろうか。これほどGDPが伸び悩むどころかマイナスに転じたりしている現状で、安倍氏の経済政策に疑問を呈しないというのは、もはや公明党並みの信仰に近い政党というべきだろう。
野党は何ら臆することなく、反阿部製磁を対立軸に結集すべきだ。共産党も生活の党も何もない。ただ「国民の生活が第一」という政治理念を基本にして結集すべきだ。そして代表には小沢一郎氏を担ぐべきだ。