背景に日本国民の人心の荒廃があるのではないだろうか。

<横浜市の傾斜マンションを施工し、国土交通省から行政処分を受けた元請けの三井住友建設と1次下請けの日立ハイテクノロジーズ、2次下請けの旭化成建材(東京)は13日、さいたま市内で3社の社長が記者団の取材に応じた。3社長は「多くの方々に不安と迷惑をお掛けし、心からおわびする」(三井住友建の新井英雄社長)などと陳謝。再発防止を徹底する考えを示した>(以上「時事通信」より引用)

 日本国民には「陰日向なく」という基本的なモラルがあった。人が見ていようが見ていまいが、自分自身を律して社会の一員としての自覚を持って勤めを果たしていく、という美徳だ。それが工業製品の信頼性を高め、高度の社会インフラを維持してきた。
 しかし昨今、各地の鉄道で信じられないような、例えば新幹線の部品落下などといったボルトの締め具合の不良といった初歩的な事故が起きるようになっている。高速道路の笹子トンネルの天井板崩落事故なども記憶に新しい。それらは確実な点検を怠れば起きることが予想される基本的な事故だというしかない。また同時に、かつての日本国民の仕事に対するモラルに照らし合わせれば起きることが信じられない事故でもある。

 鉄筋コンクリートの建築物で基礎杭が岩盤まで到達していなければ建物が傾く、ということは当然予想されることだ。二階建て木造家屋程度の自重ならベタ基礎を工事していれば水に浮く船のように、土圧の上に浮くことも予想されるが、十階建てのマンションがベタ基礎で土の上に浮くことは考えられない。
 基礎杭が岩盤に到達して十分に建築物の重さを支える役目を果たしていることが確認されなければ、その上に建屋を建築工事することは出来ない、と考えるのが建築関係に従事する者の常識でなければならない。そうでないとしたら、怖くて建築を依頼することは出来ないだろう。

 にぎわいが創出できれば図書館だって「ブック&カフェ」で楽しければ良い、という指定管理者会社の運営する図書館が全国各地で問題になっている。楽しければ地域の歴史や文化は関係ないし、そこが騒がしくても「にぎわい」とは騒がしいものだし、そもそも図書館にある地域の歴史資料などだれが読むというのか、という皮相な考えが蔓延している。
 ついには市長などもそうした皮相な考えに感染して、「にぎわい」が創出できるものは何であれ良いものだ、と短絡した思考に陥っているようだ。しかしブック&カフェはブック&カフェであり、図書館は図書館であるべきだ。その棲み分けの間には超えられない高い壁があるべきだ。

 基本的なものを蔑にする社会は規範性を欠くカウスを招来するだけだ。ハロウィンで仮装して非日常を満喫するには規律に厳しく縛られている日常がなければならない。日頃から緩々の規範に身を委ねている者に仮装して非日常の歓喜を満喫することは出来ない。
 西洋社会はそうした厳しい規律が支配していたことに対する安全弁としてハロウィンの非日常が必要だった。日本でも厳しい集団の農作業に縛られていた社会では、年に一度の祭りで「無礼講」が許された。しかし現代日本は毎日が「祭り」のような衣食生活を送っている。かえって正月の祝いの膳の方が質素な印象すら受けるほどだ。

 基本は基本としてしっかりしなければ応用が何もできなくなる。建築物でも目に見えないところに建築業に携わる者の厳しい規範とプロ意識がなければ危なくて仕方ない。だが、日本ではそうした心配をするまでもなく、プロはきちんとした仕事をしていた。
 そうした日本国民の日本国民に対する信頼を損ねる事件が発生した。その背景に一体何があるのだろうか。非正規だけが原因とは思わないが、社員の「一所懸命」という自覚が薄れ、不安定な職制から知らず知らずのうちに規範性が喪失され、人心が荒廃してはいないだろうか。そう思わずにはいられない、後味の悪い事件だ。


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