自己陶酔に陥った安倍首相は深刻な「戦隊モノ」症を発病した病人だ。

<安倍晋三首相は25日、ロバート・ネラー米海兵隊総司令官と首相官邸で会談し、南シナ海で中国が建設している人工島付近への米艦船の派遣を支持する考えを伝えた。首相は「航行の自由や法の支配を守っていくことが重要だ」と述べ、ネラー氏も同調した。
 首相は米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)移設について「確固たる決意で進める。沖縄の基地負担軽減に取り組みたい」と強調。「日米同盟をさらなる高みに導いていきたい」とも語った>(以上「日経新聞」より引用)

 世界は血生臭い「報復の連鎖」に陥っている。憎悪が次の憎悪を喚起して、血が血を呼んで果てしない殺し合いを演じている。人類は果たして進歩しているのだろうか、それとも物欲に駆られた餓鬼として地球を破壊しつくすまで屁理屈を付けては殺し合うのだろうか。
 かつてこんな笑い話があった。「首刈族」の酋長に白人が尋ねたという、「あなたたちは人を殺して食うというが、残酷とは思わないのか」と。そうすると酋長は驚いた顔をして「俺たちは食うだけしか人を殺さないが、食わない人まで殺し合うお前たちの方がよっぽど残酷だと思うぜ」と応えたという。

 フランスとISとがテロと報復の泥試合を演じていたら、トルコがロシア空軍機を「領空侵犯」したとして撃墜し、新たな火種を中東に提供した。自国の国民にさえ満足な社会保障を提供できない国が大きな顔をして他国地域に攻撃を加えるという狂気を演じている。
 戦闘機を一回飛ばせば幾らかかると思っているのだろうか。巡航型ミサイル一基が数千万円、開発費から総計すると億を超える原価の代物だということを考えたことがあるのだろうか。砲弾もタダではない。それらを好き放題に消費するのが戦争だ。なぜ貧困に喘ぐ人たちを支援することにして、戦闘行為をすべて停止し、武器を撤廃しようとはしないのだろうか。

 フランス大統領がベルサイユ宮殿に全国会議員を集めて「我が国は戦争にある」と宣言した時、一人の国会議員も「殺し合いの連鎖を止めよう」と叫ばなかったのだろうか。空爆すればその空軍機の投下する砲弾により多くの市民も傷つき命を落とすと想像できないのだろうか。
 フランス国民は自国民の仇を討つためなら他国民の倍する市民が殺害されても平気なのだろうか。ISという狂気殺害集団を追い詰める手段は戦争以外にもあるはずだ。そうした叡智を人類は発揮することなく、勇ましい「戦争だ」という狂気の雄叫びを上げるだけなのだろうか。

 そして日本にも「戦争大好き」首相がいる。自衛隊員が日本の防衛とは関係のない遠隔地で戦死するまで、彼のヒーローものの自己陶酔は醒めないようだ。戦隊モノを見過ぎて大きくなった餓鬼のようだ。彼は秘かに寝室で「ヘンシーン」と声を発してポーズを取っているのではないかと思わずにはいられない。
 南シナ海の航行の自由は当たり前のことだが、中国軍基地が基地として機能するまで岩礁の埋立を放置していたのは米国だ。その米国が基地完成と同時に突如として「航行の自由」を叫び始めた。それに唱和して、安倍氏までもAPECなどで中国非難を始めた、それのみならず自衛艦を派遣したくてウズウズしているようだ。

 日本国憲法では明確に「国際紛争の解決に武力を用いない」と明記してある。たとえその前文に異論があるにせよ、日本国憲法に従うのが日本国民のつとめだ。安倍首相も例外ではない。
 しかし安倍首相は「戦隊モノ」ヒーロー症候群ウィルスに感染したまま大人になった。「-ンシーン」と叫んで戦時首相として自衛隊を米軍指揮下に差し出したいのだろう。これほど日本国民に危険な政治家はかつて存在しなかった。戦前の軍人政治家たちですら、米国との開戦前には様々な葛藤に悩んだ。だが安倍氏は憲法を無視して「俺が首相だ」と自己陶酔に陥った叫ぶ危険人物だ。一日も早く日本を狂気の首相から取り戻すためにも、野党連合の結成を望む。


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